見出し画像

勝手に再評価/くりぃむしちゅー、藤子・F・不二雄、手塚治虫

関連


で、くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンの続きなんですが。

今回(というか先日)が、第164回。

本人たちもトークで仰ってたんですが、くりぃむの持ち味は、「部室(ぶしつ)感」にある。

一発ギャグ、モノマネ、漫才、コントとか、「芸」には色々種類がありますが、「部室っぽい感じ」がウリって、珍しいというか他にいるんでしょうか。

ジャンルでいえば内輪ウケなんでしょうが、その延長線上もしくはもっと手前で、「一緒に部室でしゃべろうぜ」というテンション。

「神回」は多々ありますが、代表作は、「高校時代のラグビー部話」なのが、最も象徴的です。

昨日申し上げたように、私は163回分の音源をいまだに聴いているのですが、良くも(若干悪くも)そのまま。
下ネタと他人の面白話がメインで、これぞ部室だなという120分でした。

164回の内訳は、
レギュラー放送:159回
一夜限りの復活:4回
なのですが、実はレギュラー放送の最終回、第159回だけは、一度も聴いてないんですよね・・・なんか終わっちゃうのが悲しくて。
いや、とうの昔に終わった番組なんですが。

あと10回くらい復活してくれて、変わらない姿が拝めたら、その時は安心して第159回も聴こうかしら。

やっぱり、くりぃむしちゅーって最高に面白いな、ということを再認識しました。

さて、その再認識ですが、だいぶ偉そうな上から発言(いつも)にはなりますが、4連休中に「TENET」を見て以来、考えてることがあります。

やっぱ、「ドラえもん」と「火の鳥」って、まじ神。
言い換えれば、藤子・F・不二雄と手塚治虫って、すごい人なんだなと。

逆行する時間を描いた「TENET」。
これが、不自然なまでに分かり辛い。
難解というか、単純に分かり辛い。
哲学的・理論的なんじゃなくて、ただただ分かり辛い。

そう、「分かり辛い」のです。

その点、「ドラえもん」と「火の鳥」は偉い。

SFなタイムトラベルだったり、輪廻だったり、「あの時のあいつは俺だった」みたいな要素を、あんなに噛み砕いて染み渡らせて、心に残り続けるって、本当は凄いことですね。

日本人で良かった、てのは、こういう時に感じる。
「ドラえもん」「火の鳥」、あとは勿論その以前もそれ以降も、意外なくらいアダルトなテーマ・ストーリーに、幼少期から馴染んでたりする。

例えばドラえもん。

1982年に公開された、「のび太の大魔境」
2014年にリメイクされた、「新・のび太の大魔境」
※魔境に伝わる伝説の正体とは、、、。

や、

1984に公開された、「のび太の魔界大冒険」
2007年にリメイクされた、「のび太の新魔界大冒険」
※もしもボックスの活躍と、ドラえもんとのび太そっくりの石像とは、、、。

勝手に代表させれば、「ドラえもん」というフォーマットを借りているというアドバンテージがあるにせよ、あんなに分かり易かった、タイムパラドックス展開が、なーんであんなに「TENET」だと分かり辛いんだろ。

「ドラえもん」と「火の鳥」で慣れてる日本人(いや、私個人か)でもよくわかんないんだから、全世界の人はもっと良くわかんないんじゃないか。
それとも、各国それぞれに、「トワイライトゾーン」みたいな作品があって、意外と日本人(私個人)と同じくらい分かってないのか。それとも、私だけ分かってないのか。

そんなことを考えてます。

結論、くりぃむしちゅーと藤子・F・不二雄と手塚治虫を、勝手に再評価している今日この頃です。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

自分に何ができるかはわかりません。 しかし!夢への第一歩として、一層精進いたします。 どのような形でも、読者の方々のリアクションは励みになります!