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感想というより所感/「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

昨日は、お伝えしていた通り、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を、朝7時の最速上映で見てまいりました。
書かないと言いつつ、やっぱり少しは触れたくなったので、多少、、、。

ネタバレはしないです。

といいますか、「ネタバレの仕方がよくわからない」タイプの映画体験ということです。

話の展開を、箇条書きにすることはできる。

こう始まって、これがああなって、あれがこうなって、結果こんな感じで終わる。

とても簡単なお話だった気もするし、まったく意味が不明なお話な気もする。

つまりですね、いつものエヴァンゲリオンです。

ただ、この「いつもの」ってのが、くせ者。

「いつもの」と言いつつ、牛丼やハンバーガーチェーン店のような、いつどこで食べても同じ味ってわけではない。

「お袋の味」に、ニュアンスとしては近い。
(「お袋の味」とか言うと、うちのエセフェミニスト妻が怒り出しそうですが)
家庭で出てくる料理ってのは、その多くが緻密な計量や、厳格な手順を守りながら作るものではないですよね。
目分量で、味見をしながら、作っていく。
この味見ってのが重要でして、日々のテンション・気分がそこに現れるのです。
寒いときは、より温かくしてみようとか。塩辛いものが多いから、副菜はさっぱり目にしてみようとか。
別に食べる側だけのことを考えてるわけではなくて、忙しいから簡単に済ませることもあるだろうし、気持ちに余裕があるときは手の込んだものを作ることもあるでしょう。

作り手の感情が混じっているからこそ、毎日食べても飽きないし、久しぶりに食べても、いつもの味のような気がする。
どっちかというと、コンビニ弁当のほうが、「今日は食えないな。不味くなったかな」とか思いがち。

強引に例えるなら、ラーメン二郎。
あれこそ、日によって味はブレるし、見るからにテキトーに作ってるのに、食後感は、まごうことなく、「二郎食ったなぁ」となる。それは、「二郎」という範囲の中で、こちらも、今日の店主のご機嫌を伺っているからであります。

お。今日はお母さんご機嫌だな。みたいなことが、料理を食べるとわかること、ありましたよね。

そういう意味で、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は、まさに、いつものエヴァンゲリオンでした。

TVシリーズ、旧劇場版、新劇場版が本作含めて4作。
どれも違ったエヴァだけど、全部エヴァ。

「アヴェンジャーズ/エンドゲーム」のような、こんな絵が見たかったんだぜ!みたいな興奮とはほど遠いけど、観賞後の疲労感は、早起きしたからとかではなく、まさしくエヴァンゲリオンでした。

エヴァ初心者の私にはよくわかりませんが、これが作家性であり、THE庵野監督!ってやつなんでしょう。

スタッフ全員、クスリでもキメながらながら制作したんかな。
現代アートというか、言っちゃえば芸大の卒業制作の豪華版みたいな絵が、ドバドバ放流されていく。そして、誰が理解してるか不明な固有名詞の大盤振る舞い。

庵野母さん、ご機嫌である。

1995年からのリアルタイム世代であれば、26年。
私が体験してから、15年。

多くの人が、長い期間を共に過ごしたからこその、深いのか浅いのかもうよくわからん感慨。

「スターウォーズ」「アベンジャーズ」のような、ハリウッド超大作には出せない、日本独自のお祭りであることは間違いない。
クリスマスやハロウィンみたいに派手ではないけど、少ししんみりしてて、なんか楽しい、お盆みたいなそんな感じ。

朝7時の回だというのに、映画館は満席で、でも観客の雰囲気にはしゃいでる空気はなく、そういう意味でもやはり、ジャパニーズフェスティバル「OBON」な映画かも。

少しでもエヴァを体験したことがある人はぜひ。
今まで体験したことのない、いつものエヴァンゲリオンです。


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