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読書記録「チボー家の人々 エピローグ」ロジェ・マルタン・デュ・ガール著

山内義雄訳
白水uブックス
1984

最後のエピローグはIとIIの2巻。

1918年5月。
戦争となって4年目。何もかもが変わってしまっている。
アントワーヌは1917年の11月にマスタードガス(イペリット)にやられ、療養している。旧知のバルドーと良き友人となり、治療の日々。体重は落ち、声はかすれ、すぐに咳き込み長く話すことも出来ない。

エピローグを読んで分かる、この壮大な物語の真の主人公はアントワーヌだったのだと。

アントワーヌの近くにいた人たち、愛国心に溢れていて自ら志願したロワは戦闘で行方不明、ステュドレルやジュスランも、そしてチボー家に勤めていたレオンも皆、捕虜になったり負傷したりしているようす。

4年間一度もパリに戻っていなかったアントワーヌだが、ジゼールからおばさんの死を知らされ、帰ってみようかという気になる。献身的にオスカール・チボー氏に仕え、家の全てを仕切ってきたおばさん。アントワーヌの彼女への態度は何となく冷たいものを感じていたので、ジゼールの顔を見たいという思いと共に長い不義理をつぐないたいとう気持ちがあってちょっとほっとした。

パリの家に着いても、アントワーヌの中に浮かぶのは父。自身で部屋を改造したのにも関わらず、思い出すのは父の時代の家のようすと、そして若々しく活力に溢れた自分自身。夢に出てくるのも父。
家で彼は、数年前に届いた荷物の中から竜涎香の香りのする、紛れもなくラシェルのものと思われる首飾りを見つける。荷物はギニアから。この香りが、アントワーヌの大きな慰みとなるのだ。

メーゾン・ラフィットを訪れるアントワーヌ。
メーゾン・ラフィットはフォンタナン夫人の指揮もと、病院となっていた。そこにはジゼールにニコル、そしてダニエルと、ジャックの子供を産み育てるジェンニーが顔を揃えていた。

ダニエルは足を切断、義足となっていた。戻ってきてからは無気力で、出かけることもなく、ただジャン・ポールの面倒をみるだけの生活。
生きていてくれた上に、子守りをしてくれるだけでも十分すぎるくらいだと思うのだが、皆はダニエルに対して手厳しい。唯一、戦前のダニエルの様子を知らないジゼールだけが優しく接している様子。
ジェンニーは何不自由ない自堕落な生活に戻れないことを受け入れられないだけだと考え、ニコルは今でも自分に気があるからずっと一緒にここにとどまっているのだと思っている。
何より驚くのは戦争で一気に愛国主義者となっているフォンタナン夫人の見方。義足になってもう一度お国のために戦いにゆけない中で病院で周りの兵士たちが回復して再び戦地に行くのを見ているのがたまらないのだという。アントワーヌも言っているように、この見方だけは違うと思う。
後でアントワーヌへの手紙で明らかになるのだが、ダニエル思いはそのどれとも違っている。もう以前のように情事を楽しむことができないというのは、ジェロームの影を感じさせるダニエルにとってなによりも辛いことなのではないだろうか。

ジェンニーはジャックの行方が分からなくなった後、スイスに行きジャックの消息を追っていた。ヴァンネードに案内され、バーゼルまで行きプラトネルに会い、そしてそこでジャックの子供を出産。

ジーゼルとジェンニーのなんとも不思議な関係。ジゼールの中には変わらずにジャックがある。嫉妬や、ジャックの遺していったジェンニーとその子が愛しいという気持ち。
ジゼールはアントワーヌに、彼女は決してジャックのことを話そうとしない、心を開いてくれないと不満をもらしていたが、ジェンニーも同じようにジゼールは心のうちをみせてくれないと不満を持っているよう。それでも、この先、環境を変えて1人で自立して生きていく際にはジゼールに側にいて欲しいと思っている、不思議な結びつき。

メーゾン・ラフィットの部屋にはパタースンが描いたジャックの肖像画が飾られていた。
四年経っているとはいえ驚くほど逞しく強いジェンニー。

それをみごとにやりとげられたというのも、それは、わたしたちふたり、ジャックさんとわたしと、いっしょの生活を一度もしたことがなかったからなんだと思いますわ。あの人が死んでもその日その日のわたしの暮らしにはなんの変化もありませんでした…そうでした、少なくも最初のあいだ、このことがささえてくれていたんですの。…それにもうひとつ、子供というものがありました。

アントワーヌのことをあまり好きではなかったジェンニー。しかし、思いをあらためることとなる。それどころか、彼以上の話し相手はいないと思うようになり、思いを打ち明けるようになる。それを嬉しく思うアントワーヌ。

ジャックそっくりの、反抗的な目のジャン・ポール。アントワーヌとジャックは9歳違い。思い出される、数々の子供の頃の弟の姿。
そしてアントワーヌが考えるのはジャックのこと。自らも戦地にいる中で知った、恐らく確実であろうジャックの死。考える暇もないまま過ごして来たが、メーゾン・ラフィットでその思いが溢れ出す。

彼はこれまで、ジャックのいなくなったことについて、これほどまでに、ぜったいにかけがえのないもの、彼にとってただひとりの弟を奪い去られたと感じたことがなかった。そうだ、ジャックが死んでからというもの、ぜったいに、彼はこれほどはっきり、取りかえしのつかないものを失ったと感じたことはなかった。彼は、こうした真剣な絶望を、こうしたむきだしの絶望を、いまになってはじめて感じたことをわれとわが心に責めさえしていた。

ジャックの遺したアジビラの下書きをジェンニーに見せられて、その最期について考えずにいられない。ヒロイズムに対するその考え方は、作者の考えを代弁しているように思える。

彼は、そうしたヒロイズム、さらにその他のヒロイズム、そしてほとんどすべてのヒロイズムの無意味さについて考えていた。彼の心には、崇高であるとともに空疎なさまざまな戦争の思い出がよみがえってきた。≪ほとんど常に≫と、彼は思った。≪ああした勇ましい狂気は、誤った判断のうえに立っている。すなわちそれは、はたして最高の自己犠牲に値するものであるかどうか冷静に考えたことのない、ある種の価値にたいする、夢のような信頼にすぎないのだ…≫彼は-排物狂とさえ言えるほどの-意志と勇気の礼賛者だった。それでいながら、彼の性質は、ヒロイズムなるものきらっていた。そして、四年にわたる戦争のあいだ、それにたいする嫌悪はますます固められるいっぽうだった。それはけっして、弟の行動の価値を引きさげようと思ってのことではなかった。

≪なんにしても≫、と彼は思った。≪おれにはいままでに何ひとつ、これといったことをしておかなかった。だからおれには、自分の信念で思いきったことをやってのける連中…不可能をやってのける勇気のある者をさばいたりする権利はないんだ…≫

ジェンニーに対して、ジャックの影響を受けすぎていて皮相だと思いながら、実はアントワーヌ自身が本人の思っている以上に変わっている。
今だったらジャックのこともっと分かってやれるのに、というアントワーヌの繰り返される思い。それは、父の死の際にスイスに迎えにいったアントワーヌに対してジャックが何度も言った、兄さんにはわからないんだ、という台詞へのこたえ。

そうだ…彼のほうが正しかった。いまだったら、ふたりはどんなに理解しあえたことだろう!…金銭によって毒されるということ。とりわけ、人から譲られた金銭で、自分の勝ちえたものではない金銭で…。もし戦争がなかったら、おれはあやうくだめになるところだった。

彼は、自分のいまの気持ちが、フォンタナン夫人の愛国的思想から無限に遠く、むしろジェンニーの非難や憤慨に近いものであることにおどろいていた。そして、彼はジャックのことを思いながら、あらためて心の中でくり返した。≪いまだったら、もっと理解してやれるんだろうに!≫

メーゾン・ラフィットで過ごしたあと、フィリップ博士に会いに行くアントワーヌ。
ここから一気に話の様相が変わってくる。
ここではじめて彼が毒ガスにやられた経緯が明らかになる。そして、今まで咳き込んで話がしずらいなど何となくの様子しかわかっていなかったアントワーヌの症状の深刻度。
師を前にして、今まで決して出さなかった絶望とでもいった気持ちを口に出すアントワーヌ。
フィリップ博士は医者として、決して表情を変えず、相手に希望を持たせることしか口にしない。それでも、別れの際にアントワーヌは確信してしまう。

とたちまち、十年にわたるそのあいだ、ともに仕事をしていた結果、微妙な変化のはしばしまで知りつくしている博士の顔のうえ、その鼻眼鏡のかげにしばだたく小さな灰色の目の中に、博士自身さえそれと気づかぬ告白と、深い憐憫のかげをみとめた。それはまさしく、一つの宣告ともいうべきもの。博士の顔、博士の眼差し、ともに≪何をいまさら?≫といった意味を語っていた。≪何をいまさら夏のことなど?そこであろうとどこであろうと…どうせ運命はきまっているんだ。きみはとうてい助からないんだ!≫

はっきり自覚していなかったとはいえ、アントワーヌには分かっていたのだ、自分がこの先よくなることはないということが。
空襲警報が鳴り、まるで死んだ様なパリの街でひとり、待ち受ける死と対峙するアントワーヌ。

彼はしばらく壁に身をもたせ、弾幕射撃の音、飛行機のうなり、ずっしりした爆弾のひびきを頭の中に感じながら、≪ただひとりの友もない!≫という不可解な事実のことを思っていた。人に対していつも愛想よく親切だった彼。患者からもしたわれていた彼。友人たちからも好意を持たれ、恩師たちからも信頼されていた彼。幾人かの女たちから、狂おしいばかりに愛されていた彼。だがそうした彼に、いまはひとりの友もなかった!ぜったいひとりも!…ジャックにしても…≪ジャックにしても、おれは友とすることができずに死なせてしまった…≫

フィリップ博士と別れた後、安楽死という選択肢がある、いつでもやろうと思えばやれるというだけで気持ちが楽になるアントワーヌ。
その後にうかがえるのは日々を精一杯生きる思い。自分の記録をつけることでジャン・ポールだけでなく、ひとりの患者の記録として医学にも役立てていってほしいという思い。
死が迫るアントワーヌが見ているのは過去と、そして将来。

せめて自分の出来ることとして私生児としての苦労を取り除いてやりたいという思い、そのために籍を入れようという提案は読んでいて涙がこぼれてきた。でもそれを断ってこそのジェンニー、そしてそんな環境で育ってこそジャックの息子なのかもしれない。

日記にあるジャックに関する分析はかなり的を得たもののように思う。

おれはただ、おまえの父が、とかく衝動的な人々の場合に見られるように、大部分の問題について、まちまちな、多くの場合矛盾しあった、そして自分自身でも整理しかねるさまざまな見方を持っていたらしいことだけを言いたいのだ。少なくも彼は、そうしたさまざまの見方から、一つの明確な、がんじょうな永続性をもった確信、これとはっきりきまった方針を引きだすことができなかったのだった。いっぽう。彼の人格にしても、それはたがいに異質な、矛盾しあった、同時にまた高びしゃな、さまざまな要素からなりたっていた。このことは、彼の豊かさをしめすいっぽう、彼としては、そうした要素のどれを選んでいいかわからず、またそれらをあつめて、調和した全一体をつくりあげることもできないでいたのだった。そして、そのことから、彼の永遠の不安が生まれ、また、その生涯をかけてのはげしい懊悩が生まれてきたのだった。

ジャン・ポールへの人生のアドバイスは自身で読み返しても説教くさい感じなのだけれど、自分とジャックの人生を振り返ってそこからアントワーヌが洞察したことが詰まっている。
彼のバランスのとれた、この血も、必ずやジャン・ポールに受け継がれていくことだろう。もしかしたら、アントワーヌの一瞬願ったように、医者になっているかもしれない。

(4.1 再読後に追記。)
日記は涙なしでは読めない。医者としての記録はこの先の研究に必ず役立つだろうという医者としての思いと、ジャン・ポール、そして未来への想いに溢れている。
弱気になっているのもあって自身を平凡な、傲慢な人間だったのだといっているが、そんなことはないと言ってあげたくなる。
書かれたのは1939年で、国際連盟が失敗に終わったことは分かっている。日記のなかでも最初は国際連盟を持ち上げていた新聞が、戦況が好転するにつれて最大限を得るほうに向かい、国際連盟について口に出さなくなったことに触れている。それでも国際連盟に、ウィルソンに期待をこめるアントワーヌを通して著者が伝えたかったもの。何百年、何千年かかるか分からないが必ずや平和を打ち立てられるという希望。
次の世代により良い世界を託して繋げていくことしか私たち人間に出来ることはないのだ。

いわゆる通説なるものに耳をかしてはいけない…かんたんに信じることができたらと思うだろう。というわけは、けっきょくそうするほうが便利であり、そうするほうが楽だからだ!思考が複雑になればなるほど、人は、自分を導いてくれるような既成的観念を受け入れやすい。そして、自分ひとりでは解決できないいろいろな疑問に納得性のある答えを与えてくれるようなもの、そのどれもこれも助けの神のように思うにちがいない。

ところが、それこそ最大の危険なのだ!抵抗せよ!あらゆる合言葉を拒絶せよ!…むしろ不安定による悩みこそ選ばなければならないのだ!自分ひとりで、暗黒の中を模索するのだ!それは、楽しいことではないだろう。だが、それによってもたらされる害は少ない。害の最たるものは、まわりの人々の空念仏にただおとなしく追従していくということにある。心せよ!この点、父の思い出を手本にするのだ!孤独だった彼の生活、絶えず悩み、ぜったいに定着することのなかった彼の思想、それこそまさにみずからにたいする誠実さ、潔癖さ、心の勇気、見識等の点からいって、おまえがまさに手本とすべきものなのだ。

別の本を間に挟みながら半年以上かけて読んできたこの壮大な物語。
1914年夏の巻を読んでいる時にロシアがウクライナへ軍事侵攻。
フィリップ博士がアントワーヌに言った言葉がそのまま今の時代にも当てはまるように思える。

「ぼくたちは、そうした自由が、確実に得られたものと信じていた。それが問題になることは、ぜったいあるまいと信じていた。ところが、あらゆることには、つねにふたたび問題にされるときがやってくる!すべてが夢でなかったと誰に言えよう?それはつまり、十九世紀末が、さも恒久の現実ででもあるかのように思いこんでいた夢だったんだな。それというのも、当時の人たちは、きわめて幸福な時代に生きていられたからなのだ…」

「ぼくらは、これで人類もいよいよおとなの域に達して、これからは、知恵、節度、寛容の支配する時代に進んでいくものと信じていた…知識と理性とが、いよいよ人類社会の進歩を導くような時代になるものと信じていた…そういうぼくらが、後世史家の目から見て、人間について、また文明にたいする人間の能力について、甘い夢きづいていたおめでたい人間、何も知らなかった人間としてしか映らないと誰にいえよう?…」

ウィルソンの持つ理想に希望を持ち続けているアントワーヌ。
そんなアントワーヌの、悲観的でもあり同時に楽観的でもある、以下を希望にしたい。

≪人間はすべて平和をもとめている≫…≪はたしてそうかしら?…人間は、それが侵害されるがいなやそれを求める…だが、彼らがたがいに許しあおうとしない精神、彼らの闘争的な本能は、それが得られるやいなや、たちまちそれを不安なものにしてしまう…戦争の責任を政府や政策に背負わせること、それもたしかに一理はある!だが、そうした責任の中にあって、人間の本性に帰さなければならないもののあることを忘れてはならない…あらゆる平和思想の根底には、次のような仮定が必要だ。いわく、人間の精神的進歩への確信。このおれは、その確信を持っている-というより、感情的に、そうした確信を持たずにはいられないのだ。すなわち、人間の良心は、無限に向上すべきものであると考えずにいられないのだ!おれは、そのうち人類が、この地上に、秩序と友愛とを打ち立てる日くるだろうと考えずにはいられない…だが、そうした革命の実現のためには、数人の賢者の意志や犠牲だけでは不足だろう。そのためには、何世紀、いや、何千年かにわたる進化発展を必要とするだろう。(二十世紀の人間などから、どうして真に偉大なものが期待できよう?…)

読み切るまで書かずにいたが、ぜひとも新訳を出版してほしいところ。
日本においては戦争前に”父の死”までが翻訳。その後戦争によって中断を余儀なくされ、戦後再び翻訳がなされた。その歴史は分かる。でも、さすがに訳が古すぎる。
例えばアントワーヌたちがよく利用するマキシム。食堂や茶碗などといわれてしまうと、イメージがちょっと…
さんしたやっこなど意味がわからない言葉も多数。
一番気になってしょうがなかったのは"童貞"。sœur、英語だとsisterで看護婦をしているシスターだと思うのだが、どうしても気になってしまった。
これだけの長い作品で新訳を出して採算が取れないのかもしれないけれど、ぜひ改定してほしい。そうすればもっと人に勧めやすくもなる。

これまでの感想
チボー家の人々 灰色のノート
チボー家の人々 少年園
チボー家の人々 美しい季節
チボー家の人々 診察
チボー家の人々 ラ・ソレリーナ
チボー家の人々 父の死
チボー家の人々 1914年夏I
チボー家の人々 1914年夏II
チボー家の人々 1914年夏III
チボー家の人々 1914年夏IV

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