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【心構え編①】「聞くこと・書くこと・編むこと」がなぜ楽しいのか



「オシャレで楽しい仕事」の本当とウソ


前回、初めて記事を投稿し、嬉しいことに多くの方に読んでいただいたようです。これからは、価値あるコンテンツをつくるために必要な考え方やスキルを、「心構え編」「構成編」「取材編」「ライティング編」に分けて書いていく予定です。

その中の「心構え編」では、編集者・ライターにはどんなマインドセットが必要か、あるいは、この仕事をすることで何が得られるのか、といった視点で書いていきます(「心構え編」だけ続いても面白くないので、「構成編」「取材編」「ライティング編」も並行して書いていく予定です)。今回はその1つ目として、編集者・ライターという仕事の厳しさと楽しさについて考えます。

編集者・ライターという仕事に「オシャレ」「楽しそう」というイメージを持つ人は多いと思います。有名人の話を聞くことができる、自分の好きなことを仕事にできる、MacBookを使ってカフェで仕事、時間に縛られずに働ける――。これらは事実なのかもしれませんが、実際の仕事はイメージと大きく異なります。

人の話を聞いて、文章にする。これ自体は誰でもできることです。しかし、仕事として捉えたときには大きな責任を伴い、多くの専門的スキルが必要になります。スクールを出てライターや編集者を名乗る人もいますが、例えば5000字の取材記事をつくるとすると、どれだけ優秀な人でも最低20本は経験しないと一人前にはなれないと思います。さらにブックライター・書籍編集となればコンテンツの量が増え、求められるクオリティの仕事ができるようになるまで3年は必要でしょう。

「やってみたい」となんとなく業界に入り、想像以上の大変さから去っていく人もたくさんいますが、それならまだ別の道に進めるだけいいのかもしれません。「私は好きなことを仕事にしている」という自己満足だけを頼りに、必要なレベルのスキルを持たず、その自覚もないまま年を重ねる人もいます。

「人生に1回だけ」に携わる責任


コンテンツを扱う上で最初に理解しなければいけないのは、その責任です。

このnoteは主にインタビュー記事や書籍の編集者・ライターを想定して書いていますが、いずれにしても誰かの話を聞いて、それを文章化することになります。つまり、コンテンツの発信者は編集者・ライターではなく、著者・インタビュイーです。

自分の話したことが文章になって世の中に発信されるということは、特別な出来事です。よほどの有名人でなければ、インタビューを何度も受けるようなことはないでしょう。自分がインタビューをする相手にとって、その機会は人生に1回だけということもあります。これが書籍であれば、なおさらに少なくなります。

一方で、編集者・ライターにとっては文章をつくるのが仕事です。この仕事だけで食べていこうと思えば、断続的に仕事をこなしていかなければいけません。編集者・ライターの収入などについてはまた別の記事で書きますが、一例としてフリーライターが取材1時間・5000字程度の記事を書く場合、5万円もらえればかなりいいほうだと思います。月に50万円稼ごうと思えば、隙間なく仕事を受けながら、1本3日で書き上げる必要があるということです。書籍編集の場合、出版社やジャンルによって異なりますが、「1月に1本」というノルマも珍しくありません。ビジネス書であれば、1本当たりの文章量は大体7万~10万字です。

そうすると、文章を書く・編むということが“こなす”作業になる。これが危険です。コンテンツには正解がありません。書籍の部数やウェブ記事のPV数といった指標はありますが、その数字がコンテンツの質を反映しているとは言えません。また、業界の慣習的に上司が部下のアウトプットをチェックすることも、編集者がライターを教育することも、あまりありません。

自分が作るコンテンツの質をジャッジするのは自分自身です。ここでやめるか、あと3回推敲するか、10回するかを決めるのも自分。一方で締め切りは決まっていて、その次の仕事も待っています。すると、どうしても妥協が生まれてしまいます。「少しわかリづらいけどいいや」「エビデンスが怪しいけどいいや」「タイトルにこだわり切れなかったけどいいや」と仕事を進めてしまうようになります。

そうして著者・インタビュイーにとって不本意なコンテンツであっても、その人の意見として読者に届いてしまいます。前回の記事では編集者・ライターの役割を「価値あるコンテンツをわかりやすく世の中に届けること」だと書きましたが、まったく逆の結果を生んでしまいます。

本当の楽しさがスキルアップに繋がる


価値あるコンテンツを世の中に届ける。そのために、著者・インタビュイーに対しても、読者に対しても、真摯にあり続ける
。細かなスキルや知識は別途必要ですが、この前提を忘れずにいれば、編集者・ライターとして働く上での本当の楽しさややりがいを味わうことができるはずです。

では、どんなことに楽しさを感じるのか。仕事としてやる以上、売れることは必須です。自分がどれだけ素晴らしいと思っていても、売れない、読まれないのであれば、質が伴っていないということです。

結果を求めることを大前提に、それ以外の点については、人によって「企画が楽しい」「取材が楽しい」「書くのが楽しい」「著者に喜んでもらえるのが嬉しい」「読んだ人から感想をもらえるのが嬉しい」など、たくさんあります。私の場合、コンテンツ制作を通して物事の本質みたいなものが見えたとき、この仕事のやりがいを感じます。

以前、ある著名なデザイナーに取材をしたことがあります。普通であれば見過ごしてしまいそうな部分にこだわり、高い機能性やデザイン性を生み出している。そこで私は「なぜそのような視点を持てるのですか?」と聞きました。すると彼は「世の中に送り出されるものである以上、最低80点でなければいけない。しかし、実際には60点のものが多すぎる。私はその20点を埋めているだけなんです」と言いました。

また、別の経営者にはこんな話を聞きました。通信系のイノベーションと言えるシステムを開発した方です。彼は自室のホワイドボードに貼られた世界地図を見て、「僕ならこんな商品は作らない」と言いました。どういう意味かと尋ねると、「大きい地図が畳まれて売られているから、折り目になっている部分が見づらい。それに、小さな磁石では落ちてしまう。丸めた状態で売ればいいのに」と返ってきました。

この2人はまったく異なるジャンルのプロフェッショナルですが、どちらも「人が当たり前だと思っていることを疑う意識」について語っています。私は、「別々のジャンルの人の話に共通すること」が本質だと考えています。こうした学びを得たとき、本当にこの仕事をやっていてよかったと感じます。取材中、泣くような話ではないのに、感動で涙を流したこともあります。

そして、心を大きく動かされる経験をするからこそ、「この話をしっかりと世の中に届けたい」と思うようになります。だからこそ、そのために必要な知識やスキルを覚えようとします。そうして少しずつ取材力や文章力が増し、また本質的な発見をできるようになります。

スキルは後からでも育てることができる。まず自分の責任を理解し、妥協のない仕事をすることで好循環が生まれる。私もそう自分自身に言い聞かせながら、今日も明日もコンテンツを作り続けようと思います。

まとめ

・一人前の編集者・ライターになるのは大変
・人の話を文章にすることの責任を理解する
・楽しさを知るからこそスキルアップしようとする


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