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俺のせいでも、お前のせいでもない世界『中動態の世界』(國分功一郎)

例えば、友人が待ち合わせに遅刻したとする。寝坊とのことだ。
僕は友人を咎める。
待ち合わせの時間は伝えたはずだ、どれだけ待ったと思っているんだ、なぜ遅刻したんだ。
最初は平謝りでヘコヘコしていた彼は、しだいに反抗を始める。
彼の主張はこうだ。

遅刻したのはまじメンゴ。でもよ、俺はいつもより二時間も早く寝たし、アラームもかけたんよ。今日の時間もちゃんと確認したしね。でも起きたらもう待ち合わせ時間だったんわけ。そりゃよぉ、寝坊したのは俺が悪いよぉ。でも俺は俺でがんばったのは認めてよ!俺だって寝坊したくて寝坊したわけじゃないじゃん!!!そんな言い方なくない??!!

彼は顔を真っ赤にしながら、その場を立ち去ってしまった。

いいかげんな”責任”

なんとも勝手な主張。だがなかなか痛いところをついている。

まず、友人を責めることができるのは、寝坊の責任を友人が一手に担っているからだ。
そして、責任を負っているということは、寝坊するかいなかが友人の意思によって能動的に選択できると言うことだ。
もし彼が謎の組織に過眠薬を盛られ起きることができなかったとするなら、彼に能動的選択の意思はないから、明らかに責任はない。

ではこの友人は寝坊を自らの意思によって能動的に選択したといえるのか。

例えば彼が夜更かしをしたとすると、結果寝坊してしまうことも勘定に入れて、自らの意志によって能動的に選択したと言える。しかし、彼(の言ってることが本当だとすると)の寝坊は不測の事態であり、彼の意思によって起こったことではないのだから、責められる必要がないと言うことになる。

だが、彼は完全に許されうるかと言うとそんなことはない気がしなくもなくもない。

こういった責任の小競り合いは大小様々起こっている。
アルコール依存症は、薬物中毒は本人の責任か。
飢えをしのぐ為の万引きや、鬱屈した家庭環境からくる非行は本人の責任か。
大抵の場合、彼らは責任があるとしてロクな議論もなく断罪され見捨てられる。

実は現代に生きる僕らは物事を能動/受動の二項対立にしか考えることができない。なぜなら僕らが使う言語は能動/受動を前提にして物事を語るからだと言う。

我々がこの言葉を使い続ける限り、僕らは人を責める続けるか、もしくは被害者面をし続けるかしなければならない。

忘れられた中動態

きな臭く窮屈な能動/受動のからの解放を本書では古代ギリシャに求める。

実は古代ギリシャ時代には能動態と受動態の間に中動態と言う動詞形が存在していた。

例えば「手を”挙げる”」という文を考える。
能動態では「手を(自分で)挙げる」となる。
一方、受動態では「手を(他人に)挙げさせられる」となる。
では中動態では「手が(一人でに、勝手に)挙がる」となる。

中動態において、意思は存在しない。中動態において、物を動かすのは人の意思ではなく、自然の力であり、神の御心である。そこにはきな臭い責任の押し付け合いなどはない。
中動態が息づく世界は責任を度外視できる真に自由な世界なのだ。

そして古代ギリシャにおいて、意思はそれほど大事ではなかった。
自由意思にともなう責任という概念は割と最近生まれたものだった。

責任に”興味がない”時代

そもそも、古代ギリシャ初期には受動態は存在しなかった。

まず最初言語に動詞はなく、全て名詞によって語られた。
ここにおいて関心は事物の存在にのみ注がれる。

次に動詞が生まれ能動/中動の二項に別れる。
中動態から受動態が生まれ、能動/中動/受動の三すくみへ進む。
その後に中動態が消滅し、現在の能動/受動の対立が残った。

能動/中動の中でものを語る古代ギリシャ人にとって、”俺の責任”か”お前の責任”かは重要ではなく、”人の意思”か”自然(神)の力”かが重要であった。

それがいつからか自然(神)への関心が言語から失われ、意思を基調とする言語観が生まれた。その結果、誰かが誰かに責任をふっかける殺伐とした社会になってしまった。

僕らが僕らの言葉を使い続ける限り、能動/受動の争いからは逃れることはできないが、いつか見た自由な中動態の世界に想いはせて、言語の可能性を信じるのも悪くないだろうと思う。

本書は割と分厚い割に、言語学の本にしては珍しく、ポップでシンプルでユーモラスな軽みある文体(作者が若いから?)。
その割に、古代ギリシャ語論を全速力で突っ走りながら、アーレント、デリダ、ハイデガーを飛び越えて3回転ジャンプ。最後はスピノザに着地を決めるハードな内容。

古言語と累々の哲学者を縦横無尽に駆け回り、僕らにつきまとう”意思”の重責からの逃避行を企てる力作。

スラスラ読めるし読み応えある本。
シンプルにめっちゃくちゃ面白い。


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