3月の泉
そうだ閏年だった、と思い出したのが28日の夜。
だから、29日はずっと余白のような心地で過ごしていた。
2月29日。
忘れられた片隅の冬が、ひそやかに集まって春を祝う。
めざましい3月。
あぁ、とうとう3月が来たのだ。
職場で、お別れする方々がいる。
その中には何年も一緒に働いた、友人のような仲間も。
感謝を伝えて見送りたい。
本格的な春の到来、そして年度末でもある。
落ち着いて過ごせる日は少なくなるだろうから、今のうちに2月を振り返ることにする。
“変化”が多いひと月だった。
私にしてはめずらしいほどに。
(変化に憧れるのに、変化が何よりも怖い。)
変わったところは色々あるけれど、一番は急激なアウトプットが増えたこと。
エッセイ、詩、俳句、川柳、キャッチフレーズ......
実名で、あるいはペンネーム夕星みみで。
新聞や公募雑誌から「これなら書けそうかも」というものを見つけ、とにかく書いて応募した。
決まったテーマや字数で文章を書くのは、ずっと苦手意識があった。
書けないテーマはとことん書けないし、一度筆が乗った文章はだらだらと長くなってしまう。
期日、テーマ、字数、キーワード。
制約に苦しみながらも、書き切ると決めたものを書き切った。そして応募した。
中には「もう少し粘ればいい表現が浮かんだかも......」と心残りがあるものもあった。
だけど、期日までに応募することを優先した。
いや、最優先できるようになった。
今までは、途中まで書いたのに応募しないことがあった。
「まぁ、応募しなくてもいいか。書いてみたかっただけだから」と言い訳して。
妥協して無理やり書き上げたものを提出し、「これが精一杯か」と思われたくなかった。
それでいて、満足いくまで書き切った自分の文章やアイディアが、他人に評価され、優劣を付けられるのが怖かった。
土俵に上がらなければ、傷付くことはない。
「書く」という好きなことを、楽しい気持ちのまま続けられる。
「書く」ことを嫌いになりたくなかった。
応募したい、と思えるようになったのは、noteでの経験があったから。
いつでも温かく迎えてくださる皆さんのおかげで、自分の文章を他の人に読んでもらうという恐怖やハードルがぐんと小さくなった。
“100点の形でなくても、どうしても伝えたい。
下書きのままの文章でいいから、記事を投稿しよう!”
そんな風に考えられるようになった。
noteを始めて2年目、自分の中で何か目標を立てたくなり、思い付いたのが公募だった。
期日ぎりぎりまで悩み、筆(スマホやPCが主なので指)を走らせ、そうしてどんな形であれ終わりまで書き切って投稿する。
公募だから採用・不採用がある。
魅力がなければ落とされるだろうし、実力不足だと突き付けられるのはつらい。
でも私の作品を誰かに読んでいただけること、それがどれほど有り難いことか。
それだけで、応募した意味がある。
採用していただけたら本当にラッキー。
それくらいの余裕を持ち合わせて、今後も果敢に挑戦したい。
アウトプット中心に過ごしたことで、とくに2月後半はnoteを覗く時間が少なくなっていた。(皆さん、すみません!)
3月は色々と慌ただしい予定が詰まっているからこそ、心ゆったりと過ごすインプットの時間を取り入れたい。
3月1日。
2月の雪解け水が、泉をつくる。
静謐な水面は、心を映す透明な鏡。
あたたかい陽差しが届いたら、どんなかがやきを見せるだろう。
風が吹けば、どんな波紋を描くだろうか。
何色の花が咲くだろう。
鳥たちは、遊びに来てくれるだろうか。
通りかかった生き物たちの、束の間の憩いの場になるといい。
誰もが気兼ねなく、ただのんびりと
空をながめて深呼吸する
そんな泉を夢見て、私は淵に腰かける。