書くということ。前書き。

久しく文章を書いて誰かに読んでもらうという行為から遠ざかっていた。
僕も世の中の多くの人と同じように、日々頭の中にはたくさんのことが騒々しく駆け巡り、どうでもいいことや大切なことなどがグチャグチャに入り混じって考え事をしている。音楽のこと、明日の気温のこと、政治のこと、戦争のこと、夜ご飯の買い物のこと、友達の悩みのこと、電車で見かけた奇妙な人のこと、時事ネタや社会問題、今月のお金のやりくり、世界経済のこと、体調のこと、子どもの頃の嫌な記憶、明日着る服のこと、SNSの投稿・・
そんな無数のことを考えていると、脳が沸騰したようになってどうにもならなくなることがある。そんな時、文章を書くとすうっと落ち着く。何を書くのかもわからないまま、ノートを広げて殴り書きしていくうちにモヤモヤが晴れていく。答えを求めるわけでも結論もなく、ただ書く。この方法は中学生くらいの時に母から教えてもらった。ある日「とにかく何でも書いてみればすっきりするよ」と母に言われた。中学生の自分はそんなに悶々として落ち着かなかったのだろうか。いずれにせよ、とても良いことを教えてもらったと感謝している。

ふと「自分というのはどういう人間なのか」と考えることがある。
自分は色々なことを考えているようで、たいしたことは考えていなかったりする。とても大切なことを考えていたような気がするのによくわからなくなったりする。そんな時に「文章を書く」という行為は地に足がつくような感覚を取り戻させてくれる重要なはたらきをする。文章を書くというのは僕にとってとても大切な行為なのだ。
僕はバンドでギタリストをやっているのに昔からブログというものもやっていた。当初はバンドの宣伝目的でもあったのだろうけど、書くことは好きだからずっと書いていた。色んなサイトで書き散らしたからそれが今どうなっているのかもわからない。ここまでの人生では音楽を演奏した時間と同じかそれ以上に文章を書いていると思う。今気づいたが、ギターを本格的に弾き始めた頃と文章をなぐり書きし始めた頃は同じ時期だ。音楽を演奏し作るということと文章を書くことは僕にとってはどちらも欠かすことのできない人生の営みなのだと思う。

自分がどういう人間なのかということと、自分がどんなことを考えているのかということは別な問題だが、繋がっている問題でもある。自分が考えていることを知ることで自分という曖昧なものの輪郭を少しは掴んでいくこともできる。実存なのか本質なのかというような哲学的な話ではないけれど、自分がどんなことを考えているのかを書いていくことで自分の何かを掴めるような気もする。僕という人間は音楽と書くことを常にやってきた。その「書くこと」にじっくり向き合ってみたい。自分の頭の中に浮かぶ様々な考えや感じたことに言葉という形を与えて定着させる。そうやって自分の文章を書くことで間接的にだが自分がどういう人間なのか少しずつ見えてくるかもしれない。
過度な自意識に悩まされないように気をつけながら。
難しいだろうけど。

作った音楽は音源やアルバムという形になって残る。
自分の文章もいつか本という形になって残せたらいいなと思う。

2024年2月25日(日)

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