思いやりの交通事故
そんなの、スーパーに行けばいくらでも売ってるじゃない!
なんでチビなの?!
涙目で問い詰めても、チビはもう還ってこないことだけが事実だった。
ある日、学校から帰り、ランドセルを降ろすと、寝室に父が横たわっていて
いつもとは違う重苦しい雰囲気に包まれていた。
どうしたの?お父さん
頭に濡れたタオルを乗せた父の表情は見えない。
由香ちゃん・・・チビをね、今日食べることにしたんだよ。。
お父さんに元気になるようにって・・・
意味が解らない。
朝、何事もなく餌を食べてご機嫌だったペットのチャボは、信じていた人間に殺された。
何故父が倒れたのかよりも、今はチビがいなくなったことがショックだった。
階段の一番下の段に力なく腰掛けて、涙目でいると、歳の離れた兄がいたずらをした後のように笑っていた。
泣いてやーんの!
調理は兄が担当した。
チビがどんな風に料理されたか覚えていない。
いらないっ!
その日の夕食はなんだか変な雰囲気のまま、実はよく覚えていない。
どうして父は倒れたのか、あとで聞いたことだが、頭に突然衝撃を感じて、
気が付いた時には山の上に居て、どうしてここまできたのか覚えていなかったらしい。ひどく痺れて、痛みというよりもとにかく衝撃を受けたんだといっていた。何が起きたのかわからないが、高熱を出して倒れたのだった。
学校に提出する日記に、私はその日の出来事を泣きながら書き、
どうしてペットであるチャボが食べられるいきさつになったのか、わからないままに、鶏事件として教室内に広まることになる。
えええー、チビを食べちゃったんだ、、
その次の日、教育実習に来ていた高橋先生が素っ頓狂な声をあげ、教室中がざわついた。
思い出して涙が出た。
掃除の時間になったが、涙が止まらずに泣きながら掃除をするおらに、なぜだか高橋先生は、
ごめんね・・
といった。
みんなそれぞれにいろんな感情を持ったらしい。
男子は遠巻きにしていたが、隆君が唯一、大丈夫?と声をかけてくれた。
数日後、兄は庭木の手入れをしていた。
そこへ自転車に乗って悪がき集団が通りがかりに
うわあー、八代の兄さん、こえーー!
と言いながら通り過ぎていき、残された兄はぽかんとしたらしい。
由香の同級生か・・・ああ、チビか。
このことは、少なからずショックだったらしい。
兄はその時期、大学を休学してたまたま実家に居たが、本来は就職活動真っ盛りで内心焦燥感を抱いていたから、実はデリケートだったのかもしれない。悪いことは重なるもので、教育実習の高橋先生とは同級生だった。
夜になり、高橋先生から誘われて飲みにいってしまった。
夜中に声を掛けられたような気がしたが、目が開かなかった。
朝方、玄関から外へ、少し内股の足跡が残されていたから、誰か兄ちゃんを送ってきてくれたのかな、くらいに思っていた。
高橋先生がおらの顔を見に来てくれたとは思わなかった。
高橋先生が、その後自信を無くして教師にならなかった原因というか、きっかけのひとつになってしまったのなら謝りたいのだが、おらは知ってしまった。ペンは、武器になる!ってこと。。。
父が倒れた日、おばあちゃんが魚やにチャボを連れていって絞めてもらったのはのちに聞いた。大変だと思ったおばあちゃんは、何かできることはないかと考えて、鶏を絞めて食べさせるという手段にでた。
明治生まれのばあちゃんには普通の感覚だったんだろう。
小学生の孫のペットだなんて思いは無かった。
それに対して、ショックだったのはお母さんで、なにも言わなかったが
それ以来、鶏肉をあまり好まなくなってしまった。
間に挟まれた兄が、おれがやったことにする!と言い出して、その優しさは見事に裏目に出るのだった。
うちの家族は、爺、婆、両親が教師で、兄と姉がいて、忘れたような頃におらが生まれた。七人家族の歩んできた歴史背景を色濃く反映した事件だった。明治、大正、昭和、平成、そして令和
日本の歴史を歩んできた家族のジェネレーションギャップだ。
兄は実家には戻らずに横浜で暮らしている。
四世代同居には自信がないからと、カバン一つ持って東京にもどっていった。姉は保育士をしていたが、間もなくお嫁さんになった。
小学校を卒業するころに、おらの少年時代は終わりを告げた。
都内の居酒屋で、専門学校の仲間と飲みながらふと、鶏事件の話になった。
いや、だからってさ、ビーガンになったりしなくて嬉しいよ。
お造りの鯵の頭に身をかざしながら、こーんな不埒な大人になったねえ、
えへへ・・・
とは、清君。
もちろん、おらは強くなった。命を頂くことについて真摯にむきあってきたし、例えコンビニ弁当であれ、いただきます!は欠かさない。
でも、生簀から鯵をすくって食すのと、チビを食べるのとは違う気がしていた。命に違いはないはずなのだが、少し考えに思いを巡らせていると、
由香は偽善者じゃあないよ、人間だよ!
ちっちゃい由香ちゃんかわいいね、でもおばあちゃんもショックだったんじゃない?兄さんは優しすぎるし、それってさあ・・・
思いやりの交通事故だよね!
ああ、そうかもしれない。
みんなが元気で暮らしていくことが大事で、チビは不幸なんかじゃなかったかもしれない。人間の業は深い・・それでも家族が元気で暮らしてきたのは
おばあちゃんのご飯のおかげ様。
生まれてから何度も戦時下を生き延びてきたのだ。
今なら、理解できる。
おばあちゃん、今では弱ってしまって、おらの作ったコンソメスープを味薄ーいと笑いながら何度もうすーいを繰り返して楽しんでいた。
おばあちゃんが亡くなったのは、それから間もなくだった。
92歳の大往生。
兄ちゃんに、あの時のこと後悔してる?と聞いたら
いいや?
と笑ってた。
高橋は、頭良すぎたんだよな・・
というあなたも教師じゃないよね。
お前もな!
二人で罰悪そうに笑った。
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