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ノマド女子大生17 公民館職員のバー、こうみんかん。〜奇跡を起こして、必然にして。〜

鯖江ツアーが終了し、車に乗り込んで福井駅へ向かいます。

目的地はここ、

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こうみんかん

どんな名前だよと思い、マスターの出蔵さんに伺って見ると

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「あ、俺が公務員で市役所勤務だから公民館だよ」

そのまんまやないかい。

そうです。その名の通り(?)ここは公務員が経営し、公務員が集う週末限定バー。

しかし面白いコンセプトだからか、公務員全然関係ない人も集います。

なんで今日ここに?というと、私がこの福井で初めて出会ったまちびと、パンツ屋さんの宮田さん

と、こないだ再開いたしまして。彼の仕掛けた福井のまちの人みんなで作った映画フェスティバルでの映画作品を見たい!といったところこのバーで見せてくれる、とのことで開催されたのです

「あ、でもちょっとご飯食べて来て。うちペヤングしかご飯おいてないんだよ」

まじすか。謎のセレクション。

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ソースカツ丼を食べました。福井名物ですしね。いやでもこれはまじでうまい。衣が違うのよ、、みんな食べて、、

てな訳で、早速上映開始。


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二本見たのですが、一本は宮田さんがモデル、もう一本は今日のお客さんが主演の映画でした。

内容としては普通にいいショートフィルムなのですが、面白いのが出演者がみんな身内で、撮影地もすぐそばってこと。

見てると、「OOちゃんじゃん!」とか「あれうちでとった」「おとんとおかんじゃんwww」というように、映画の本筋とは別のところでみんなツッコミを入れています。

この、みんなで作り上げたものをみんなで見て、笑い合う瞬間までがこのムービープロジェクトで。

さらに一つ大事なのが、クオリティがしっかりしている、ということだなあと。

そりゃ、素人の「やってみたい人」が主人公をつとめ、「作りたい人」が監督を務め、「撮りたい人」がカメラマンを務めるわけで、ある程度は素人の作品になるかもしれない。

実際カメラもブレるし、至らないところも多いのかもしれない。

でも、きっと手を挙げた「彼ら」は本気でこの映画をとったんだ。ということが伝わってくる。

棒にならない演技、映画として観れる映像の撮り方やライティング。きっと手を挙げたからには本気で作ったんだろうな。だから身内ネタにならない。身内に私のような外部者を巻き込める構造になってる。

だって完成度が高いから。

これはホームビデオの延長、ではなく映画、なんだ。

そんなことに密やかに感動しながら、映画の中のワンシーンのバーを見つめる。っていうかこれここやん。

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「ここね、一年半後に取り壊されるんだよ。福井駅前周りの再開発で。だから、この映画、日々の主題はこの街のいま。再開発直前の古い街と、工事現場と、このビルにしたんだ。映画にすれば、作品にすれば、この瞬間のまちは永遠に残り続けるから。」

なんだか泣けてしまいそうな一言。

人が、映像や本や、文化的ななにものかを作るのは、どこかそこに残したいものがあるからなんじゃないかな。

口じゃ伝えられない思い出も瞬間の記憶も、トリガーがあれば残すことができる。だから目に見えない瞬間を目に見えるものに変化させるのは人の性なんだとおもう。今この瞬間の私の文も、今の心を永遠に残すからだ。

なんだか20分の映画二本なのに、ずっと大きな時を過ごした気分になってしまった…

そうそう、そんな映画を見てて、隣に座っていたのはかこさん。2本目の映画の助演女優。(このセリフの強さよ)

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まさかの彼女は子供の頃から大学まで、アメリカで過ごしたアメリカ国籍の女性。でもお父さんもお母さんも日本人で、リモート授業を生かして一人日本にきたんだと言います。ノマド女子大生(ペンシルベニア大学)ここにも。

「え、じゃあ初日本?」

「初日本暮らし。旅行にきたことはあったけど住むのは初めてだし、謎に友達がいたから親戚もいない福井だった笑」

そういうかこさん。じゃあ、自分のルーツである日本にきたかったってこと?

「なんできたんだろうね、、あんまりはっきりとしたものはなかったけど、自然と社会に出たら日本で暮らして日本で就職するって思ってたんだよね。だから、今はそのトライアルかな。そしたら思いの外楽しくて、半年の予定がもっと延長する笑」

そこにその瞬間に明確な理由はなくても、何かに引かれたのだろうか。

これが奇跡であり、運命なのかな。

そんなことを考えていると、自然と宮田さんと、なんで奇跡についての話になりました。

私は日々毎日まきおこることは奇跡だ!と表現するタイプの人なのですが、そういう話をしてると

「この世の中、偶然なんてものはなくてさ。全て未来から見て必然的なことなんだよ。だから奇跡も偶然もあり得ることはなくて、全部未来のための一つ一つのことで。」

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人生は、バームクーヘンなんだ。ひとつひとつ、過去が焼き上げられて未来の年輪になっていて。その芯は変わらず。だから、ひとつひとつの出来事を奇跡や偶然、運の良さと言い切るのは勿体無い。未来へのつながりの理由を考えるのを止めてしまうから。常に日々の出来事にはなぜ起こった?を五回繰り返すべきだと、俺は思う」

そういう宮田さん。

確かに、確かにめちゃくちゃわかる。全ては未来に繋がっているひとつのピースではあるし、私もこの世に起こる全ての瞬間には意味があると思ってる。

でもね、でもね、私はこの選ばれし瞬間を奇跡と表現したい。

ことばにはなんとなくぼんやりしてるものに意味をつけることができる力を持ってる、って私は信じているんだけど。

例えば福井にいる瞬間って毎日が奇跡的で。初めて出会ったまちのひと、しかも紹介された訳でもなく、ふらっと入ったまちのパンツ屋さんの店主が雑誌編集長さんで、映画のプロジェクトもしてて、今こうして楽しく話してる、って、確かに将来的に見たら必然的なのかもしれない。ていうか、そうだと思う。

ただそれを奇跡とことばにすることで、私はこの一瞬の意味を今は理解できなくとも、自分の中で愛するべきこととして冷凍保存しておくことができると思う。

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今日のお昼がプリンだったとか、このお店が定休だったとか、それらは確かに偶然であり、かつ必然だ。

でもそんな何気ない瞬間って、きっとすっと忘れてしまう。飲み込んだ水が体に染み込むように。

でも、その出会いや感動、おいしさを奇跡って表したら。忘れちゃいけない、何か大切なものだって思ったら。

いつかその奇跡がつながる未来が見えたときに、水が自分の体を作っていると自分で気づけたときに、それを必然に変えることができる。自分の中で。

私は旅をする時、奇跡をとっても起こしやすいとおもう。それは間違いなく、自分が奇跡を起こせる制度が上がっているから。だし、奇跡だと思うことへの芯を持ち始めたから。

なげえ思いの丈になってしまったンゴ!キャラじゃねえな!

「そうそう、ここのバーの場所もあと一年半で取り壊しなんだよ」

というのは野田さん。このバーのマスター。

「ってことは、公務員ですか?」

「あ、いやフリーランサーだし民間出身だ笑」

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そこ違うんかい

と思いましたが、それには理由があり。

公務員って、そもそも副業が禁止。

だからこのバーは公務員がマスターのバーなのに、公務員が設立することはできなかったのです。そこを造ったのが野田さん。

「え、じゃあ公務員の方にはお給料は」

「俺は出蔵さんたちに金という形の賃金は払ってないよ。一銭も。その代わり、この場という価値を提供している。」

そういう野田さん。

「実際、お金じゃない価値提供をし続けるのはすごく難しい。お金の何倍も難しいよ。だって人の求めるものなんて、常日頃変わるわけで、お金は一種、楽な指標。でもそこにお金を絡ませないとしたら日々相手の欲するものを考え続けて返す責任があるよね」

いやそれ。ボランティアとかスポンサーとかクラファンとか、もう、始める前はただでラッキーくらいにしか思ってなかったけど、お金でどうにかなるんじゃなくて自分の身でってなると、全然楽じゃない。お金を払う方が数十倍楽。

「でも、野田さんはそれをやるんですね。好きだから、ですか?」

「うーん、好きというか。俺自身、やりたいことはないんだよ。何も。もともとの仕事もPRのデザイナーとかだったんだけど、これと根本は近くて、人がやりたいことを実現させる立ち位置なんだよね。だから人がやりたいことを具現化するのが、好きなんだと思う。し、得意なのかもしれないね」

野田さんは、伝わりにくいかもだけど、ものすごく冷静なひとだったし、世のため人のため!っていう、そういうタイプでもなかった。

ボランティアボランティア的な、優しさが前面に出てるわけじゃなく。

多分人のために結果的になっているけど、冷静に自分としてやる価値を自分に見出してるから、綺麗事感がなかったし、あーこの人は別に人のために生きてるんじゃないんだろうな、って謎に安心できた。

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単純に自分のやりたいことだったらそれが人のためだった、という構造。それがナチュラルなのかも。きっと見返りをいい意味でお互い求め、互いに利用しあって生きていくことができる、から。

とかなんとか。

あーーーーもう今日のインプット多い!しんでえ!でも楽しいね、と思ってると、ふと野田さんが

「議論は、自分の当たり前を拡張することができるからいいものだよね。人の意見として知ってることが増えるから、自分の幅が広がる」

と言いました。

きっと多分。ちょうど一年前の私だったら今日の例えば宮田さんのお話聞いても何にも思えなかったと思う。そっかー、って吸収して、自分の中にただただそのまんま取り入れてたと思う。

でも、旅してたくさんの人に出会って。それが奇跡である瞬間を超えて必然として自分の体を形作った、ということを知った今、私は宮田さんという人生の大大大先輩に対して、自分の自論をもてた、んだと思う。

話をすることで人の自論を見つめることができる。みんなの自論が正解だし、人の自論はいつかの未来の自分の自論を造ってると思う。

人の自論を聞くことで考えたようなこともないこと、を考えたのならそのことを思考するきっかけをくれたってことで、そこから時間をかけて自分の自論が出来上がって行くと思う。多分この「運命」なんちゃらに関しては日本一周の時がこのフェーズだった。

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でも今、自分の今の所の芯が決まった今、人の自論を開示してもらえたら自分の自論も開示できるようになった。これは相手を論破するためでもなんでもなくて、二人の将来考える自論のためのエッセンスになるんだと思う。

自論なんて、今現在の思考、過去の全ての瞬間の総決算で、この先変化するものだと思う。

今は違うなーという人の考えでも、そこに違うなーと思った感情を添えて頭の隅っこにとっておくことで、いつかの糧になるんじゃないかな、って思ったのです。

はあ。すごい頭使った〜!

ただバーで過ごす約五時間(なげえ)。でもこれが旅先の夜、だし私が初めて出会う福井びとに宮田さんを選んだ奇跡が、必然になった瞬間。

そしてこのバーでの時は、今は奇跡だ。

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多分、きっとこれはいつか必然になる。

その時まで、冷凍保存しておこう。愛すべき偶然として。

(長い長い)余談

さて、一通り話しきり、しもちゃんと二人で帰っていました。

疲れたねー、とか、インプットが多すぎたよね、とか、そんな話をしてるときに、不意にしもちゃんがこう言ったのです

「でもね、ゆずちゃんを見てて、ゆずちゃんを囲む大人を見てて、あーそりゃあ地元の子は何もするモチベーションが作れないんだな、って思っちゃったの。多分、この感情は羨ましさとかそういうものなんだと思う。ごめん、ごめんね。」

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「でも、よくある瞬間なんだ。福井で何かしらイベントをすると、そこにくる県外の人に対して大人は煌めきの瞳を見せる。それがわかっちゃうんだよ。でも、しょうがないのもわかる。大人も、物珍しいから持ち上げてるんじゃなくて、きっと東京には本当にたくさんの刺激があって、それを持ってる人だから大人も興味を持つ。根本的な地域格差なのかもってわかってて」

謝りながら、言葉を選んで伝えてきたしもちゃんを見て、心がキュッとなった。

きっと普段。みんな口に出すことはないけど、どこかでかかえてることなんだと思う。

それを伝えてくれるという行動に、どれだけの体力が必要か。口をつく瞬間に何かしらの黒い感情的なものに向き合わざるを得ないという困難に向き合ってくれたのか。すごくそれを感じた。

その上で、自分の思ってる意見を伝えた。

「それは、ある種当たり前なのかもしれない。っていうのは、東京で過ごしてる中で見つけられたほんの数パーセントが、こうして今地方にきてるから。わざわざ地方にいくなんていう変な選択肢をとる人がそもそも都会ではマイノリティであり、それだけでもう、面白い人でさ」

「受け入れる側からすれば、その面白いほんの数パーセントを見るからすごいように見えるけど、都会は地方に対して”おもろいこと”が多い分、それが飽和してるし、敷居もできてしまう。私は地方では今日みたいな奇跡は起こせるけど、東京では起こせない。数は少ないかもしれない。でもその奇跡を起こすために都会でやらなきゃいけない第一次審査みたいなものが、地方にはなくて、みんなひらけてて、だから私は地方に行く。その奇跡を起こすために。」

「反対に、私はしもちゃんが羨ましかった。地元がある。顔が聞く。しもちゃんがいたから私たちはこの鯖江を楽しめた。動く人はもちろん大切だけど、受け入れる人がこの地を愛して、地に愛されてるから、二つともが素敵な結果になったんだと思う」

たらたら、たらたら書いてしまったけど。

動く人、受け入れる人、都会、地方。それぞれ無い物ねだりをしてしまうと思う。それは間違いない。

でも、その無い物ねだりをするもの同士がいるからどっちも輝くのであって、今はよくわかんないパズルのピースだけど、誰かと重なり合うから絵になる。

結局人は人がいないと生きていけない。人に人は生かされてる。

でもそんな中で、自分が普段当たり前だと思ってることでものすごく尊いものってあるんだな。と。

それがこの鯖江という地にとってもしもちゃんのような、鯖江の人で鯖江を愛する人。なんだと思う。

多分今、地域のことを話すと移住者とかが輝木がち。そりゃあそうだ。今までない価値観を持っている人だもん。そりゃ輝く。

でも、そんな中でずっとひたむきに生きてる人はどう目にとめられるんだろう。

って、考えたら外から来る人なのかもしれない、って思った。

しもちゃんがどう捉えたかはわからないけど、私は、ていうか今日しもちゃんに案内してもらったみんなは、もうめっちゃくちゃ感動して。多分しもちゃんにとっては当たり前のつながりに感動した。幸せだった。

そういう、感動を伝えられるのって、いつもいない存在なんだと思う。何にしても。

全然まとめられないけど、少なくとも何か感動したらその感動は素直に伝えてい区ことで、人の喜びとか生きる意味とか、そんなものが見いだせるんじゃ、ないのかな。これって難しいね。でも少なくとも私はしもちゃんは美しいと思った。生き様がもう、綺麗だった。

そんな深夜の車内でした。長めの余談、終わり。

ガチ余談

えー、深夜3時に家の前についたのですが

内鍵閉められててあかねええええええええ

何かを吹っ切れました

最終、車で仮眠を取りました。鍵マネジメント、大事!wwwww



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