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真理と天才性は細部に宿る

真理は細部に宿る

真理は細部に宿る
ゼミの先生の格言のひとつ。
物事の本質というのは、事象の微細な部分に存在するという意味である。

どうやってその「細部」を見つけるのか。

先生はいつも、大きな社会の流れを捉えることの重要性と、
事象の細部に本質的なテーマを見出す可能性について説いている。
なぜなら、細部の意味は、全体の中に位置付けることによって、
初めて浮かび上がってくるもの
だからだ。

であるならば、細部は見つけるものではないのかもしれない。
細部自体は、私たちの視界の中に、すでに存在しているのかもしれない。

しかし、私たちは、細部に潜む真理に、なかなか気づくことができない。

なぜなら、その細部に真理を見出すことができるかというのは、
細部が位置付けられる全体構造を認識しているか、
その中で、細部に意味を付与することができるか
ということによるからなのではないか。

そのため、逆説的ではあるが、
細部に存在する真理を見つけるためには、
全体を学ばなければならない
のではないだろうか。

天才性は細部に宿る

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今日、ある本を読んでいたら、
天才性は細部に宿る」という言葉に出会った。

「真理は細部に宿る」
この言葉と同じ形をしているのは、とても偶然には思えなかった。
物事の本質を突き詰めていくと、真理にたどり着くように、
人の天才性というのは人の真理なのではないかという仮説が生まれた。

「自分とは何か」という根源的な問題を突き詰めていくと、
「自分」というひとりの人間の「天才性」にたどり着くのかもしれない。

自分とは何か。
人は誰しも、生まれてから今に至るまで、
知らない間に磨かれているセンスのようなものがある
と私は考えている。
それは、その人にとっては当たり前でも、
他の人から見たら当たり前ではない資質・能力である。

真理の宿る細部が見つけるものではなく、
そもそも視界に入っているということと同じように、
他者から見たら天才性とも言える、その細部に宿るセンスを、
おそらく、私たちは普段から発揮しているのだろう。
しかし、なかなか自覚的でないのであろう。

では、どうしたら自覚的になれるのか。

その本には、
とにかく多様な種類の仕事を経験することが1つの方法として記載されていた。

つまり、自らの細部に宿る天才性は、
細部に宿る真理を見出す営みと同様に、
全体性の中に位置付けることによって、
初めてその存在に自覚的になれるということなのではないだろうか


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