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表現者としての自分を探して

クリエイターではない。
クリエイティブなんて言葉は似合わない。
そう思っていた。

何かを生み出して表現する人って、
もっと特殊ですごくて、どこか孤高で。
そんな人だと思っていた。

けれど。

いわゆる難関大学を卒業して、
広告のベンチャー企業に就職し、
気づけばクリエイティブ部署で働くことになった今、
社会や周りの環境に規定され生み出された
「正しさ」から解放され、
新たな自分と出会っているような、
過去の自分に戻っているような、
そんな感覚にある。

表現者たる過去

思えば小さい頃の私は、表現することが好きだった。

小学生の頃は、ダンスを習ったこともないのに、
家族の誕生日のたびにダンスを創作して披露したり、
身の回りにあるものを擬人化して、
ミニ小説を書いていたこともあった。

中学生の頃は、
美術の時間にやった鉛筆画の作品が評価されて、
コンクールに出してもらったこともあったし、
音楽の夏休みの課題では
「My dream」というピアノの曲を作って、
父親には褒められ、
妹にも気に入ってもらえて嬉しかったこともあった。

でも、いつからか、
「表現する」ということをしなくなっていた。

たぶんそれは、
文化祭での演劇で一目惚れした高校に、
どうしてもどうしても行きたくて、
そのために勉強することに
たくさん時間を当てたからだと思う。
勉強するということが
最優先事項になったからだと思う。

幸いにして、
その高校には無事入学することができた。

私は、この最高の舞台で、演者をやり、
学年で最優秀賞を取ることを目標に
3年間過ごすと決めた。

演者を目指す

高校3年生の5月。
演者のオーディションが行われた。

候補者は、クラスから立候補または推薦で選出され、
クラス40名の前で、指定された脚本箇所を演じて、
全員投票と監督の判断によって決まる。

私は、もちろん立候補した。
絶対演者をやって最優秀賞を取ると意気込んでいた。
本気、だった。

けれど、結果は、ダメだった。


オーディションを終えた翌朝の通学電車の中で、
監督から一通のLINEが来ていた。

「悩んだんだけど、演出・脚本に監督陣として関わってほしい。」

その時、涙は出なかった。
まあ、そんな気がしていたのかもしれない。
私も、その方がクラスにとってはいいと思う、と
自分で自分を納得させようと
していたのかもしれない。

そして帰り道。
母にオーディションがダメだったことを伝えた。
その時、車の助手席でぽろぽろ泣いていた。

「やっぱり、私、演者やりたかった。」


そこからなのか、
私は自分のことを、
表現者ではないと思うようになった。
クリエイティブではないと思うようになった。

それよりも、たくさん勉強して結果を出せば、
いい大学に行けるし安心、と思うようになった。
もちろん勉強が好きだったこともあるけども。

そして気づけば、
すごい人に囲まれて生きている自分が、
「すごい人」なんじゃないかと
錯覚するようになっていた。

広告のベンチャー企業に来た今

広告のベンチャー企業に来て1ヶ月半が経つ。
今まで憧れていたけど後回しにしていたことを、
思う存分やってもいいんだよ、と
メッセージをもらっているような気がする。

周りを見れば、
事業責任者として自らを表現し続けている人がいて、
インフルエンサーと仕事をすれば、
そのクリエイティビティには驚かされる。

どうやら周りには、難関大学だというだけで、
「すごい人」と思われているみたいだけど、
なんだかそれも気持ち悪いし、
私はそれを求めにここにきたわけではない。

もっと裸で戦いたいと思って、ここにきた。

裸で戦うのは怖い。
表現しきって違うって言われたらどうしようと
やっぱり考えてしまうからだ。

けれど同時に、頭ではわかっている。

自分を表現し続けて、
結果を出すことでしか、
この世界では生き残れない、と。

それは、未知数すぎて恐ろしいけれど、
昔の自分に戻るような、
想像を超える自分に出会えるような、
そんな感覚がある。
感覚にいる、のかもしれない。


表現し続けること。
その先には、どんな自分がいるんだろうか。

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