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自己紹介。1/2

どうもこんにちは(こんばんは)通称 トムさん こと 金子友也(かねこともや)です。2021年も終わろうかというタイミングで、noteを始めてみることにしました。

というのも、ブログやTwitter、Instagram、Facebook、stand.fm等…長年愛用しているSNSはたくさんあるのですが、自分の特性上、全SNSが全部違うジャンルの人たちとコミュニケーションするクローズドな仕様になっていて「公的なSNSもやりたいなぁ…」と思った次第です。

※棲み分けは・・・ブログ(自分だけが読む日記)、Twitter(音楽活動用)、Instagram(大親友とART関係者のみ)、Facebook(付き合いの長い方々と気軽に日常のシェア)、stand.fm(ビジネス関連の音声メモ)・・・みたいな感じです。

SNSごとにキャラを変えているわけじゃないんだけれども、言いたいことも言えないこんな世の中だから…コンテンツ別に言いたいことを言っても大丈夫なスモールワールドを作って今の気持ちで言いたいことが言える環境を構築した具合です。(結構気楽で幸せなSNS活用術とおもっている)たくさんの人に読まれてもいいやってコンテンツは一か月前に再開したTwitterしかありません。

note活用の目的は・・・”誰に読まれても大丈夫なやつ”

全SNSでシェアしても大丈夫そうな文体の記録…というか、ひいては私などという人間の人生の切れ端から誰かのほんの少しお役に立てれば幸いというような文章を書きたいと願いつつも目的は不明瞭な優しい愚稿を連ねたい…と考えております。

”金子友也”という人間。

noteでは、なんだか取り留めのない金子友也という人間を丁寧に切り抜いていきたいと思っているので、初回では自己紹介をさせていただきたいと思います。

略歴。

1987年栃木県足利市小俣町というド田舎に出生。実家は父親が業態を何度変えたかわからないくらいですがずっと自営業をやっているギタリスト。母親は保育士を定年まで勤め上げ、その後も保育士の手伝いをしつつ化粧品販売の部長もしているキーボード奏者・・・とりあえず、バンド活動をキッカケに知り合った両親から生まれたのが私であります。

バスケにハマった。

そんな私は小さい頃は音楽が嫌いで(親がやりすぎてて嫌でした)音楽やれ!と言われてもやる気ゼロでしたが、代わりにバスケットボールにハマり、小学4年~高校までずっとバスケットボール部に所属し、それなりの選手でした。(今でもNBAが大好きです。世代のスターはアレン・アイバーソン選手でした。バッドボーイ!!今見てもカッコよすぎです♡)

バンドにハマった。

しかし血は争えない。中2の頃、学校の友人たちが父親にギターを習いに来ました。友達がギターを習いに家に来ている…とりあえずやるしかない空気になり、やり始めたらソッコーでのめり込んでいき、家に集まってる仲間たちで即バンドを結成しました。

Zepp Tokyoでライブ!

中学を卒業したあたりからライブハウスでライブをし始め、人気者が集まっていたからか会場は常に満員。対バンなしのワンマンライブをやりまくる。オリジナル曲でコンクールに出てみたら~?と楽器屋さんに誘われてヤマハさん主催のティーンズミュージックフェスティバルという大会に出場し、1年目は地元で優勝するも東京予選で敗退。2年目で東京予選も通過し、Zepp Tokyoでライブを経験。奨励賞受賞でバンドはテンション爆上がりし、上京してミュージシャンになるぞぉ~!と高校卒業後にみんなで上京。(ベースだけ実家にのこりました)

V系バンドで活動するも色々あって解散。

右も左もわからないまま、なんとなく自分たちはV系だと思って池袋サイバーや新宿ホリデー、浦和ナルシスさんなどの所謂V系のライブハウスで活動するも、正直音楽がさほどV系じゃなく(パンク~ハードコアのような)、オリジナル曲に絶対の自信とポリシーを持って活動していましたがファンとどうもかみ合わないまま金欠になったり、真面目にV系やるって抜けたメンバーが日本武道館まで行ったり、それでも懲りずにひたすらハードコアな活動をV系で継続し、徐々にすり減っていき、解散。

大学にも通っていた。

メンバーでは唯一、私だけ音大に進学し、音楽を勉強しながらバンド活動をしていました。課題提出はバンドの音源を作って提出すればいいや!という安易な考えに基づき、演奏ではなく作曲コースで入学。大学では実際にバンドの音源を作るためにエンジニアやマネージャー、アートワーク担当など、各コースから見つけ出して制作できたので本当に素晴らしい環境で音楽制作することができました。

芸術と哲学に異常なほどハマる。

だが、なぜだろうか。わたしはとにかく音楽を勉強してても良い音楽が作れる気がしない…と思い、毎日図書館にこもって芸術や哲学の勉強をし続けました。今考えると意味があったか?なかったか?わかりませんが、音楽という形のないものを作るにあたって、その他「カタチのないもの」たちの造形や深淵を学び、水平展開的に自分の制作する音楽の価値を測る…というような…音楽同士ではなく、その他の表現から自分の音楽を比較判断するために芸術や哲学を学び始めた気がします。ああ…ニーチェと横山大観は青春です。

バンド解散後、ボランティア団体を立ち上げる。

バンドが解散したのは2011年の2月頃でした。その直後、311(東日本大震災)がありました。バンドが解散して路頭に迷っていた私は何かしなければ…という使命感にかられ3週間後くらいに宮城県にボランティアに行きました。この時、自分のことをよく省みることができ、自分の音楽を初めて人のために作る活動がしたいと思うようになります。(これまで生粋のパンク野郎だった私は人のために音楽など一切しないと言い張っていました。)

翼プロジェクト設立。そして新バンドWing Swings結成。

ボランティアに参加しながら、自分にできることは何かないか?と考え、被災地の保育施設に都内のバンドマンを派遣し、子供たち向けの音楽を生楽器演奏する企画「翼プロジェクト」を立ち上げました。被災地支援したいけど自分にできることがわからない…という音楽家向けのボランティア活動で、4年ほど継続される活動になりました。いい思い出がいっぱい。その活動から学んだことを理念にすえて「Wing Swings」というバンドを結成。ようやくハッピーでポップな楽しい音楽活動ができるようになりました。

今回はココまでッ!!

ずらぁ~っと書き切ろうかと思っていたのですが、精魂尽きました。(笑)

このあと私の人生はビジネスと結婚の章(ようやく多くの人が経験しそうな内容※わたしの場合、そうはなりませんでしたが)に入っていきます。

決して自己紹介のためにnoteを書き始めたわけではないので…自身の経験のなかから学んだことや、好きなことの共有などをメインに書こうと思っているのですが…もう暫し、お付き合いくださいませ。

そしてnoteさん。楽しく活用させていただきます。何卒よろしくお願いいたします。



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