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【はみ出し者のINFJと社会の関係】


#一人じゃ気づけなかったこと
それは、社会の仕組み。


多数決こそ正義

三つ子の魂100までと言うけれど
私は自分の人生を通して、
生まれ持ったものというのがやはりあると思っている。

物心ついた頃から周りと物事に対する見方が違っていた。
看護師やお友達をはじめ、それは家族、産み育ての親も例外ではなかった。入院がちだったので普通よりも多くの人と接した方だと思うが、常に「なんでそうなんだろう?」と思いを抱き、でもそれはなんとなく外に表現してはいけない気がして閉じ込めていた。

歳を重ねるごとに「なんでそうなんだろう?」と閉じ込めていた思いは、周りからの「あんたはなんでそうなの!」という攻撃によって顕在化してきました。

根本的に自分から湧き出る社会に対する疑問。
不自然・不条理・非生産的な社会、それを普通だと思い常識となっている現実。

私の思う「普通に考えて」と、現実社会があまりに乖離していて、何が普通かわからなかった。
だから人気者の子とかをまねることでなんとか「普通」「好まれる」を創り出していたけれど、それは自分ではないし、結局は偽物なのでいつかそれは綻ぶ。

「なんであんたはそうなの!!!!」
という言葉で、うまく模倣できていない現実を突きつけられる。
うまくできていれば褒められるけど、それは「褒め言葉=自分の存在否定」

褒められたいわけじゃない、ただ怒らないでほしい。困らせたくない。それを満たすにはやっぱり褒められるであろう自分を目指すしかなかった。

そんな矛盾と、「周りと違う」ことに劣等感を抱き続けた人生だった。


医療業界に飛び込んだので、自分が医学的には「うつ」という状態だろうと理解していた。
周りは「うつの人は自分がうつだって気づかないんだよ」「考えすぎだよ」「なんでそんなに考えるの」と私に言った。

私は「勉強したもの自分がうつの状態だとわかるに決まっているだろう」「なんで考えないでいられるの?」と、思っていた。
そんな思いを隠して、「私のことを気遣ってくれている」事実だけを受け取ってありがとうと感謝していた。
でも、素直にありがとうだけが浮かばない自分をさらに忌み嫌った。

転機。

「うつ」「思考の歪み」を治そうと心理学を学び始めたことで全てが変わった。

普通に学んでいれば「ただの思考の歪み」だったものが、物事を追求することに必要不可欠な要素であることがわかった。

地球の外に出たから地球の形がわかったように、そこにいられなかったからこそ見えるものがあると知った。

自分が思っている以上に、枠に当たり前に収まっている人が多くて、その人たちのために社会のルールが決められている。
その人たちはそれに不満を抱けど、疑問を持つことはない。
その不満も心の底からの不満というより、何かを叱責することができる自分として自尊心を満たしている側面がある。

その人たちのために、
その人たちが困らないように
「え、こんなとこまで言わないとダメなの?」
ってところまでルール化しているのが、現代社会。

一つでも失敗させてしまうとクレームになる。
「注意書に書いてなかったじゃない!」
と、自分のミスはそのせいにできる。

顕在化したものを見る人と
見えないものを見えるようにする人。

数が多い方が生きやすいようにできている。
その方が平和なのだろうから。

それが、私が一人では気付けなかったこと。
疑問と違和感を突き詰めて理解したこと。
それがこれからの自分の生業になっていく。

自己理解を深める中で、少数派である運命からはどうしても逃れられないことを自覚した。
でも、反面「少数派」であろうと自分も何かの分類の中にいることに気づいた。大体の人からは理解される可能性がない現実を受け止めるのはしんどいものだったけど、それでも自分が何者かわかり、そういう人が他にもいると知れてとても安心した。


永遠に消化不良のような思いを抱えながら、きっとこれからも理解されずに生きていく。
たった一人でもいい真の理解者に出会えたら、この人生にも意味があったと思える日が来るのかな。

同じように「生きづらさ」を抱えながら何かを探求する仲間を掬い上げて、一人じゃないよと伝えたい。
そういう人間は必ず自分の利益だけじゃなく、永遠に全ての存在がみんな幸せになることを願い、願うにとどまらずそれを現実にしようと苦悩を重ねているはず。
その人たちに居場所を作るのが私の仕事。
私のsdgsに対する向き合い方はその分野で才能を発揮する人を支えること。

育成型評価制度は、そのためのもの。AIを導入できることになりそうなので、現実に実用化できるよう頑張って行きたいと思います。

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