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#303 他人と比べてモヤモヤしてしまうのは、比べる相手を間違えている

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、先日スタエフで話したテーマを深掘りしたいと思います。

「他人と比べても幸せにならない」とか「他と違うことをしろ」、「他人軸で生きるな!」という話、聞いたことがある人も少なくないのではないでしょうか。
この意見には私も大賛成ですし、他人を意識しても究極的に何にも幸せになることはないと考えています。

誰かと比べて「この部分は勝っているぞ、よっしゃ!」と思っても、上には上がいるものですし、そもそも他人を意識してしまっている時点で、一番大切な自分軸を無視してしまっていますから、本当に「自分が」夢中になれるものを見つけて、一人で勝手に幸せになるという、最も幸せな状態からは離れてしまいます。

一方で、完全に「自分は自分、他人は他人」と割り切って、全ての物事を達観できる人間性を持ち合わせている人って、そんなにいないとも同時に思っています。
かくいう私も、おそらく「他人と比べても仕方ない」という発想自体は、高校生くらいには意識していて、セルフコントロールして自分を律して生き続けてきたつもりではあるものの、他人を見ていかなるケースでもモヤモヤしないか?と問われると答えはNoになります。

孔子は、「論語」の中で「六十にして耳順ふ(したがう)」と述べているわけですが、60歳になって他人が言うことに「うん、そうだよな。ありがとう」と素直に受け止められるということですよね。つまり他人がやること、言うことをそのまま素直に受け入れられると解釈すると、60歳で「他人と比べない」という考え方で自分を律していられれば万々歳なのかな、と。
現状、周りを見ていても、そんな60歳の方が少ないように思えます。

で、この「他人と比べても仕方ないと頭では分かっているけれど、どうしても他人が気になってモヤモヤしてしまう」という考え方に、「弱者の戦略」を掛け合わせると、そもそも「他人と比べてモヤモヤしている時は、比べている相手が間違っているのでは?」と捉えることができます。

今日は、このあたりの私なりの考え方をご紹介します。

他人と比べてしまうのは、人間にプログラムされた防衛本能

そもそも、多くの人が何故「他人と比べることは良くない」と分かっていても、「他人と比べてモヤモヤする」現象が発生してしまうのでしょうか。

私は、単純に人間の生存戦略として、予め頭の中にプリインストールされたプログラムだと考えています。

もちろん、他人と比べないように完全に自分を律することができる人間にまで成長できれば、それが一番素晴らしいですよ。でも、いきなりその領域に達することができる人はいないと考えています。
他人と比べてモヤモヤしているとき、それは自分の意思を起点にした感情ではなく、単純に「自分の立場が群れの中で脅かされている」というのを勝手に脳が検知している状態ではないのかなと。

他人と比べてモヤモヤしているときの「他人」が誰か?と考えると、「自分とキャラクターが似ている」とか「自分と年齢が同じ」とか「自分と何かの群れの中で同じようなポジションにいる」とか、そんなケースがほとんどではないでしょうか。

多くの人が、他人と比べてモヤモヤしているとき、こういうケースに当てはまらない人を想像していないと思うのです。例えば、自分が新卒で入社したてのタイミングで、入社した会社の社長をライバル視して「社長は評価されているのに、自分は何で評価されないんだ」とはまず考えないですよね。
他にも、いわゆる「一般の人」が超著名人と自分を比べて、「あいつは自分よりも上手にこれができている・・キーっ!」とは、基本的にならないわけです。

そうではなくて実際現実で多いのは、新卒一括採用、終身雇用制度が一般的な日本においては、「同期入社のあいつが、自分よりも先に出世した」とか「同じコミュニティにいるAさんは、自分よりも段取りよく物事を進められて評価されている」とか、「自分と似たポジション」にいる人を比較対象としているケースです。

で、何故こんなことが起きてしまうかというと、集団や群れの中で生存するように設計された人間が、集団の中でその人が生存し続けるためのポジションを奪われてしまうリスクがある!ということを無意識に検知した結果だと考えています。

だから、他人と比べないようにしよう、と理性では分かっていても、どうしても気になってモヤモヤしてしまう、ということが発生しているのではないかと。

「弱者の戦略」は、ポジショニングと捉え方の話

で、最近言及しているランチェスター戦略の「弱者の戦略」を、より抽象度を上げて捉えると、これは「ポジショニングと物事の捉え方をズラす」という考え方になるわけです。

つまり、「比べるな」と言われても「どうしても比べてしまう」、あぁ分かっているのにどうしよう・・・となってしまう人は、「比べるな」というのを一旦諦めて、「比べてもいいけど、比べる相手をズラす」と発想転換してはどうか、と。

弱者が「強者が市場でパワープレイを仕掛けているのを見て、自分も同じようにやるぞ!と勇んだ結果、ボロ負けする」話は、そもそも勝負を仕掛けている相手が違う、ということですよね。

これと同じなんです。

自分が比べてモヤモヤしてしまう相手を思い浮かべて、「そもそもこの人は自分が比較する相手なのか?」を考えるという発想の転換。他人と比べてはいけない、と考えるのではなく、比べてもいいけれど、この人は比べる対象なのか?を冷静に判断すると、モヤモヤが晴れるケースがあるのでは?という発想です。

比べてモヤる相手は、本来「比べる相手」ではない

上述した「一緒に入社した同期が自分よりも先に出世してモヤるケース」を例に考えてみましょう。

これを冷静に考えると、自分よりもある分野で能力が高いと判断された人が同じ会社の同世代にいる、ということで、本来は喜ばしいことです。何故ならば、そういう優秀な人がいることで、その会社自体が存続できる可能性は高まるからです。

自分がある組織で一番能力が高いということは、言い換えると「組織能力の限界=自分の能力」ということで(当然掛け合わせによる能力向上はありますが、一旦置いといて)、自分がポシャると全体もポシャってしまう危険性を孕んでいます。

そうではなく、自分よりもある分野で能力が高い人がいてくれることで、自分がヘマこいても、組織全体が傾くことにはならない、ある意味リスクヘッジのような存在でいてくれる、ということです。

一番マズイのは、沈みゆく船の上で頑張って最前線に行こうとしていることに気付かないことですが、比べてモヤる相手は、大抵の場合、その船自体の価値を一緒に高めてくれる相手なはずです。

同期入社の例であれば、その会社自体の価値を一緒に高める仲間だし、コミュニティの例であれば、そのコミュニティの価値を全体で上げていくことが、より生きやすい生活に繋がるわけです。
地域におけるイオンvs小規模店舗の構図も同じですよね。昔ながらの小規模店舗がイオンをライバル視しても仕方なくて、イオンをランドマークとして買い物に来てくれた人が、いかに自分のお店にもお金を落としてくれるかを考えることで、エリア全体の価値が高まる、ということです。

これらの例の場合、本来比較すべき相手は、「同じ会社のアイツ」ではなく、他社になり、「同じコミュニティで気に食わないアイツ」ではなく、そのコミュニティにいない人、「同じ地域で自分より稼いでいるあの店」ではなく、別の地域になる、というわけです。

このように、「他人と比べるな」というのはよく分かっているけれど、どうしても比べてしまう人は、比べないようにすることは一旦諦めて、比べる相手が妥当か?を冷静に考えることで、モヤる気持ちが少しは晴れるのではないでしょうか。

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