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【今でしょ!note#174】真の問題は人手不足ではなくモチベーション不足

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

あらゆる業界で「人手不足」が問題だと言われています。人手不足で困っている個別事情を見ていくとそうなのだろうと思いますし、明らかに需要過大で供給が追いついていないケースも見られます。

一方で、山口周さんの「ニュータイプの時代」を読んでいると、ケインズが1930年に書いた「われわれの孫たちの経済的可能性」(John Maynard Keynes, “Economic Possibilities for our Grandchildren”)に出てくる「先進諸国の生活水準は100年後には1930年当時の4~8倍程度になっているはずで、1日に3時間も働けば生活に必要なものを得ることができるようになるだろう」という予言は当たっているのではないか?という考察が出てきます。

表層的な労働時間だけを見れば、現代人は忙しく、1日3時間どころか、8時間でも足りず時間外労働も問題になっていますね。
よく指摘されるところとしては、「ケインズの予言は、需要側の拡大を加味していなかった」というものですが、本当にそうでしょうか。

山口周さんの考察はとても面白く、上述した本のポイントにも触れながら「本当の問題は仕事に対するモチベーション不足である」という私の主張を解説していきます。

「問題希少・解決策過剰」の時代

まず、日本の現状に関する考察です。
20世紀後半まではモノ不足で「問題過剰・解決策希少」の時代であったため、あらゆる不満・不便・不安を解消する能力に価値がありました。
人類学者の丸山真男さん曰く「日本人は常にキョロキョロ」しており、常に他国に標準を合わせ、他国でできていることと自分たちのギャップを問題と捉えて、それを解決することで経済成長を果たしてきた。
だから、これまでの日本では、「問題を速く正確に解決すること」が重要視されてきて、それが教育のあり方などにも根強く残っています。

しかし、20世紀後半になり人々の生活水準は向上し、分かりやすい生活の中のあらゆる「不」が一定程度解決されてきました。
ChatGPTに聞けばある程度正確な情報にもアクセスできて、「問題希少・解決策過剰」の時代に変わってきたのです。

問題が少なくなり解決策も増えているので、仕事量も当然減るはずですがそうなっていない。では、何が起きているかというと、「ブルシット・ジョブ(Bullshit Job)」、直訳するとクソ仕事が蔓延しています。
こちらの本は、かなり有名なので、書店などでも見られたことのある方は多いと思います。

「暇が怖い」「余暇があると不安」という人間心理から、本来的には不要な仕事が次々に量産されて、多くの人の時間と労力がそこに注ぎ込まれています。
私もこれまで、「その仕事って何の価値を生んでるの?」と疑問を感じるシーンを多く見てきました。「ブルシット・ジョブ」の中でも紹介されていましたが、「我慢料として高額の給料が支払われている」ケースも実際には相当存在しているように思えます。

どの業界でも「人手不足」が叫ばれるけれども、価値を生んでいるとは言い難い仕事をしている人を「人手不足」の業界に再配置することで、かなり需給バランスは調整されるはずでは?と感じる所以です。

「フェイク問題」に騙されない

「問題希少・解決策過剰」の時代においては、問題解決能力の価値は下がり、問題発見能力の価値が高まっている、というのが山口周さんの主張です。これは本当にその通りだと思います。

これまたロングセラーで超有名な本ではありますが、安宅和人さんの「イシューからはじめよ」では、「問題を解く前に、問題を見極める」ことの重要性が説かれています。

「日本は課題先進国だ」という主張も一定程度そうではありますが、一方で「問題」のフリをした「フェイク問題」もかなり紛れ込んでいる印象です。9割以上の問題と呼ばれているものは、実はフェイク問題です。

本来取り組むべき「問題」は、「自分で何らか答えを出せる手段があるもの」で、答えが出ることで、「答えを出す必要性が高いもの」。

地方部の大学生や高校生向けの「課題解決」をテーマにした授業の講師を担当したこともありますが、「シャッター商店街が問題だ」「公共交通機関が少ないのが問題だ」という意見がやはり主流になりがちです。
それに対して「あなた自身はそれに対して何ができますか?」と問うと詰まってしまうケースがほとんどで、これは「答えを出せる手段がないもの」になりますね。

誰かが「問題だ」と言ったものを「問題である」と刷り込まれているのだと思います。世の中で「問題」と言われているものが「本当に問題なのか?」は、自分の頭でよく考えないと、数多ある「フェイク問題」に振り回され、貴重な人生の時間を棒に振ることになってしまいます。

問題発見の源泉はモチベーション

ここまでの話で、解決する価値のある問題を発見できる能力こそ、現代において真に価値のある能力、ということになりますが、根本的な問題として「解決する価値のある問題を粘り強く探し出す」というモチベーションをどれだけ持てるのか?というところに帰結すると考えています。

新規事業を作る時や、新しいことを始める時には、必ず色々いう人が出てきますよね。それでも「自分はこうだと信じる」と突き進むためには、相当強い信念が必要です。とても「会社のミッションだから」くらいの気持ちでは続くはずはなく、これが問題発見能力がなかなか醸成されてこない真因だと考えます。

特に、仕事で解決すべき本質的な需要が減少した現代においては、上述したブルシット・ジョブが蔓延しており、ただでさえ人間のモチベーションを破壊しています。
売上・利益だけが組織内KPIという形で降りてきて、事業そのものの目的や意味が明確化されない組織においては、さらにブルシットジョブが大量生産され、無意味の泥沼に嵌っていきます。

だから、仕事に対して「目的」と「意味」を形成し、本質的な価値を構造的に言語化できる人こそ、とても希少な人です。
そして、本来その役割を担うべきは、職場の管理職です。

管理職は、自分たちの仕事に対して「言葉」を使って「意味」を定義するのが仕事です。なぜならば、管理職に問われるのはチーム成果であり、チーム成果を高めるためには、メンバーをのパフォーマンスを上げることが必須だからです。
人は、やっていることの「意味」の捉え方次第で、全くパフォーマンスが変わってきます。

管理職の楽しさ

管理職の楽しさは、社会全体でも不足しており、根本的な問題である「問題を発見するモチベーション不足」に対して、より直接的にアプローチできる点です。

自分たちの事業をどう定義するか。あるいは、この仕事をやり抜くことのメンバーにとっての意味は何か。こういうところを紐解いて言語化することで、チームのパフォーマンスが変わる瞬間を既に何度か見てきました。

また、私は「問題発見」に不可欠なアプローチは現場を見ることだと考えています。常に現場が最前線であり、ここにあらゆるリアルが詰まっています。
問題は会議室で議論していれば発見できるものではなく、自分で現場を見て、人と話して、「これはおかしい、こうしたらいいのに」と自分事として捉えることが出発点です。

管理職であれば、メンバーに現場を見に行かせるくらいの裁量は当然あるはずですから、こういう機会を積極的に作り、メンバーの心に火を付ける機会を提供できるところも楽しいところです。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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