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Sweet like Springwater ⑩(短編小説)

Part 1~9も読んでください!

11.

ー春香ちゃんに伝えないことがある。

突然、沙也加がそう言い出す。それは、オープンの朝だった。店に入ったとたん、春香に語りかける。店内の灯りはバックライトだけ。薄暗い環境で沙也加は深刻な表情。

沙也加は仕事を辞めるという報告だった。これを聞いて、一粒の涙が春香の目玉に昇った。でも、春香は笑顔で報告を取り入れた。そうですか。どこへいくんですか?

大阪、と沙也加は言う。

もしかして、ダンスのためですか?

ーいろいろな理由はあるけど、ダンスもそう。沙也加は答えた。

別れるのは悲しいです。でも、一緒に働けて本当によかった。いろいろ教えてくれて、感謝しかないです。

沙也加も確かに悲しそうな顔だった。でも、大阪でいっぱいやりたいことがあるのも確かだった。その日、いつも通りに沙也加は機械的、でもエレガントな動きで仕事に潜んだ。春香はその見慣れた姿を窺って、あと数回しか沙也加の仕事を見ることができないと思った。優しくしてあげようと意識しながら、隣で自分の仕事に潜んだ。日が終わる前に、シフト表を確認して、一緒のシフトはあと三回だけだと知った。

ー新しい子がもう入ってくるんだって。今週スタートの予定。トレーニングは任せるからね。

頑張ります。と、そして、どういう方ですか?

ー会ったことないけど、可愛い子だと聞いた。


その次の日に新しい子とシフトに入った。春香はまず驚く。外国の方だった。その上、超美人だった。金髪に空色の目に白雪の肌。彼女は深く頭を下げて挨拶した。わたしはアナスタシアといいます。よろしくおねがいします。日本語の発音が完璧すぎて、春香は呆気した。コミュニケーションは取れそう、それは安心だったが。

ロシア出身で、去年来日した、とアナスタシアは説明する。姉は現役モデルで、既に日本で暮らしていた。わたしの姉はわたしよりきれいです、と言った。それは嘘でしょうと春香は言いたかった。

シフトはいつもより忙しかった。春香は先輩の役割を担って、新人に指導したり、やんわり注意したり、出来る限り細かく心得を教えた。アナスタシアは常に無表情で、笑うことは一切ない。笑顔で接客しましょう、と言わないといけないなと春香は思った。客からアナスタシアに「可愛いですね」というコメントが何人からきた。ありがとうございます、とアナスタシアは冷静に返事する。この子は褒め言葉に慣れてるんだ、と春香は思った。

アナスタシアは素早く働いて、まめな人だから教えるのは割と楽だった。笑わないロシア出身の美人と一緒に仕事が続けられそうに感じてきた。オープンからクローズまで一緒に働いた。長い一日、売上は新記録だと春香は思った。頭も体も疲れてきたが、春香は最後まで先輩の帽子を掴み、アナスタシアを育成させた。夜で、もう外は真っ暗。交代に着いて、最後にセキュリティ設定とドアの閉め方を教えた。

ずっと側にいたせいか、一日だけでも絆をしっかり結ぶことができた感じ。文化が違うといっても、心を開ければ誰とでも気持ちは通じる。そして、別れの場面、おつかれさまと言おうとする時、アナスタシアは春香をキスした。

キス。

そして、唇に。

これは西洋流の挨拶なの?と春香は思った。

アナスタシアの方は、何気なくバス停の方へ歩き始めて姿を消した。春香は呆然してしばらく動けなかった。それは日本のやり方じゃない、それを早く教えないと、と春香は焦って考えた。まだ呆然とした状態でアパートへ帰った。疲労感とキスされたこと混乱で、もう早く全てを忘れて寝たいとき、スマホに通知が入った。寺山拓摩からのメッセージ。

彼から三週間も聞いてない。何を言うつもりなのだろう。返事は朝になってからでいいやと思い、春香は身支度を整えた。それでも、ベッドで寝返りを打ちながら、なかなか眠れない。春香は諦めて、携帯をチェックし、メッセージを読んだ。


吉本さん、もっと早くメッセージを送らなくて、ごめんなさい。もう一度、会えることはできますか。もっと前に連絡しなかった理由も全て説明したいです。


春香はメッセージを読んで考えてみた。返事は、ひと晩待たせよう。それが良い作戦だと思った。納得したように携帯をオフにして目を閉じた。


沙也加は新人に付いて訊いてきた。トレーニングはよくいってる?良いと思います。一日でコツを覚えました。その時、キスのことを思い出した。沙也加とこれに付いて相談するかどうか考えた。

ーアナスタシアさんの履歴書に付いてた写真だけ見たけど、美人じゃない?

ええ、美人だと思います。

春香は恥ずかしそうに言った。そこまで言ってから、キスされたと話すと、自慢話に捉えられるではないかと思い、その出来事については口をつぐむことを決めた。


来てほしくなかった日、沙也加の最後のシフトが容赦なく回ってきた。春香は心の準備ができたと思っていたものの、さようならの時期が一分ずつ近寄ると涙を控えられない想いがつくづくした。大阪でも頑張ってください。もう一度、いつかどこかで会えたら幸いです。このセリフを頭の中で繰り返した。

鍵を閉めたら「今だ…」と思って、春香は口を開けると、沙也加の方が先に喋った。

ーねぇ、春香ちゃん、お酒呑む?

え?はい。ちょっと呑みます。

ーじゃあ、送別会ぶって、近くのお店にいかない?

涙を流すところの春香は、驚いたまま賛成した。

店に入る前に、春香は決めた。「大阪でどんな仕事をしますか?」と訊けば、相手の話しを促して、良い気持ちにさせる。それが作戦だったが、席を付くと沙也加が関係ない話題を次々と話してくる。いろんな方向に話しが飛んで、二人だけでわいわいで、いっぱい話していっぱい笑って、いい思い出になるそうな夜。沙也加は生ビール二杯、春香はレモンサワーを一杯。結局、沙也加は大阪で何を仕事するか学べなかった。それより、引っ越しする理由もちゃんと知らないまま別れた。最後は涙でなく笑顔で、じゃあまたねー、手を振りながら反対方向へ歩んだ。

計画通りにはいかなかったけど、楽しい夜だったと春香はあとで振り返った。話し合い中に、沙也加はどうやら大した悩みはないようだった。あるいは、あったとしても、露わしなかった。なにのこともない談笑だけを交わして、同僚として二年間の付き合いがおしまいになった。カウンター越しの狭い空間で、何度も何度もシフトを組んだが、最後の最後まで相手のことをよく知ることはできなかった。こういうこともあるんだ、と春香は帰り道で思った。数年間も一緒だったけど、沙也加は永遠とミステリアスな人物。




今週のカバーはreni.wongの作品を借りました。ミステリアスでちょっとシュールな画像をよく創造するアーティストです。ページをご覧くださいませ。

https://www.instagram.com/reniwong/?hl=en