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椎名林檎になれなかったガール

14歳の時に夢中になったものが、その人を形作る。

昔、誰かが言っていた。理由は「深夜」を発見するからだという。家族が寝静まったあと、たった1人の時間に世界を知った。親とか学校とか、そういう昼の世界とは全く違う、危なくて鬱屈して美しいものだった。

どうやらこれは信憑性のある話らしく、人の音楽の好みは14歳の時に聴いたもので形成されるという研究結果が出ているくらいだ。

14歳。身体が大人になっていく途中、昼の世界には建前があることを知る。友だちは噂話かテレビ番組の話ばかりで、先生や親が気にするのは世間体。すべてが「偽物」みたいで虚しい。でもそんなことを思っているのは、自分だけな気がしていた。

誰ひとり同じ人なんていないはずなのに、なぜかみんなは行進するように同じ方行へ進む。それが不自然に見えて仕方がなかった。

きっとそれは疑問を持つということ。右も左も分からないまま、意志を持ち始める時期なのだろう。

怒声に癒やされる

空気を読まなければ生きていけない昼の世界で、14歳の私は椎名林檎の楽曲を聴いていた。

といっても当時彼女は活動停止状態。1998年のメジャーデビュー後、『本能』や『ギブス』でミリオンセールスを飛ばした絶頂期はとっくに過ぎていた。うっすら覚えているのは、仏頂面で受け答えする姿とか、中指を立てたり、白目をむいたりしている姿で、小学生の私には理解ができなかった。

幼いながらに「美人なのだから、にっこり笑っていればいいのに。奇をてらっているのだろうか?」と思っていたぐらいだ。

中学生になり、ふとしたきっかけで『ここでキスして』を聴いた時、電撃が走るような感覚にとらわれた。エレキギターみたいな声に、時おり金属が擦れるような金切り声が混ざる。

怒っている。声がそう言っていた。歌の多くは「あなた」と「あたし」で構成される恋愛モノなのに、触ったら噛みつかれそうな気配がした。

写真を撮りたいと言われたら嫌だといい、愛車を刀で真っ二つに斬り裂き、そのうえ煙草の空き箱を捨てる。全然、可愛くない。

誰にどう見られようが、自分はそうしたい。拡声器を通して、音質がガクッと落ちた声からは強い意志を感じた。奇抜なパフォーマンスに賛否両論があったのは言うまでもなく、それでも怒りを表現している様は「本物」だった。

学校では、女子はバトン部、男子はバスケ部とかサッカー部に発言権があって、モブキャラがちょっと目立つと後ろから指を刺された。体育の時間や校外学習のときにグループを組まされる時はいつも審判がくだされるような気持ちになった。余り者になるのが怖くて空気を必死に読む。1人で帰るときはその姿がバレないように違う経路を選び、休み時間は机に突っ伏して寝たふりをしたこともある。

「お前ら全員つまらねーんだよ!」と叫んでしまいたい。でもそんな風に振るまう勇気もセンスもない私は、いつも乾いた笑い声をあげていた。教室に飛び交う視線をかいくぐりながら、イヤフォンから流れる椎名林檎の怒声に癒やされる。

「無理矢理に繕ってみたりしないで大丈夫」

嘘だらけの世界、嘘だらけの友情、嘘だらけの自分。本物が欲しかった。

共感してみたかっただけ

生後間もなく受けた手術の後遺症で身体が不均衡になった椎名林檎は、シンメトリーに並々ならならぬこだわりがあるという話は有名だ。アルバムの楽曲タイトルは文字数が左右対象になるよう配置され、『勝訴ストリップ』は、55分55秒にするため曲の終盤をブツッと切ってしまったそうだ。コンプレックスを完璧に昇華する都市伝説のような話は彼女のカルト性を強めた。

自分をさらけ出して、世の中に中指を立てるかっこいい女性。ああなりたいと思ったのは、私だけではなかった。

ネット上には椎名林檎ファンによるファンサイトや考察ブログが乱立していたし、歌詞が書かれた画像を携帯の待ち受けにするのも流行った。2004年に東京事変がデビューするとみんながコピーバンドを結成し、ボーカルを勝ち取った女の子たちは誇らしげに歩いていた。

Vivienne Westwoodのアーマーリングを光らせて、タバコを吸いながらアナーキーな恋愛の話をする。椎名林檎と共通点がたくさんある彼女たちを目の前に、私は完全に気後れした。

「好き」という感情にはチェックリストのような項目があって、共通点が多いほどそれが保証されるように思えた。

そういう時、14歳の私が顔を出す。

「それって自分に正直って言えるの? 劣化コピーじゃない?」

思えば、自分は現代のシド・ヴィシャスにも、小さなモンテスキューにも出会ったことがない。身をもって「わかった」のは学校がつまらないという一点のみ。つまり私は「共感してみたかった」だけ。彼女の歌う「あたし」になりたかったのだ。

だって共感したいじゃないか。天才の感性が1ミリでも理解できるのならば、たとえ学校に馴染めなくても彼女のような才能がある気になれたのだ。本当はアーマーリングをつけたかった。けれども、何をやっても中途半端な自分が椎名林檎らしく振る舞っても似合わない。

いつだっただろうか。雑誌に載ったインタビューで「音に合わせて歌詞を作っている」「歌詞は自分の話から作ってはいない」といった発言しているのを見て、恥ずかしくなったのを覚えている。

そもそも、彼女にちょっとでも近づければと思って読みふけったインタビューも正直なところ理解できていなかったように思う。不自然なまでに丁寧な言葉から彼女の本心を探しても、煙に巻かれた気持ちになった。

唯一覚えているのが歌詞不要論だ。

椎名林檎は10代の頃からポップスとして受け入れられる現実的な音楽を最大限のクオリティで作っているだけ。やすやすと自己投影できる人ではない。私は、彼女の作る旬のフルーツがたくさんのった美味しいケーキを頬張っているだけだった。

14歳の私が囁くこと

月日が流れ、私もいい年齢になった。10代の頃、ショックを受けた彼女の職人の矜恃も今ではありがたく受け取れる。「好き」と「なりたい」の分別もつくようになった。

椎名林檎はソロシンガーとしてカルト的な熱狂を作った後、東京事変として共闘し、今や東京2020総合チーム クリエーティブ・ディレクターを務めている。

その間に結婚や出産を経た彼女は、労働者の虚しさや、母親の心境まで幅広い現代詩を歌う。あんなに怒りに満ちあふれていた声も、今ではどんなコラボレーション相手でも受け入れてしまう柔らかさを感じる。仲間や家族といった他者と交わりながら変化していった"ように見える"椎名林檎の音楽は、人の成熟を体現しているようだ。

そんな薔薇色の人生を歩んでいる人が「大人になってまで胸を焦がして時めいたり傷付いたり慌ててばっかり」とため息まじりに歌う。反則ではないか。

私のことを歌っている気がして仕方がない。どうか見抜かれた気持ちにさせないで。救いを求めたくなってしまう。

もう大人になのだから、右も左もわかっている。でも、椎名林檎はいつも今一番美味しいケーキで誘惑してくる。カリスマというのは罪な存在だ。

足元をぐらつかせていると、14歳の私が「ねえ、私の人生、生きてる?」と囁く。いい加減、キラキラと輝くフルーツにフォークをいれるような気持ちで再生ボタンを押したい。職人が作る現代詩を、ピュアな気持ちで楽しめるぐらいには自分の人生をしっかりグリップしていたい。

あの頃、アーマーリングを輝かせていた「あたし」たちは今どこで何をしているのだろう。

「この文章は、LINE MUSIC×note の「 #いまから推しのアーティスト語らせて 」コンテストの参考作品として書いたものです。 #PR

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