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佐藤泰志の作品のこと──「痛み」について

 佐藤泰志。こう書く度に、様々な印象や感慨が胸に浮かぶ。
 その未知の小説家に出会ったのは、新規の読者としてご多分に漏れず、著作などが映画化されて、その情報を知ってからであった。
 ここに、『佐藤泰志作品集』という、青い装丁を持つ、分厚い本がある。『きみの鳥は歌える』『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』それに、『移動動物園』……。
 その題に目をさらすだけで、わっと吐息のような青春の青くささを感じる。どれも美しい題を持っている。
 私は、『佐藤泰志作品集』を、今までに三度ほど通読した。また、深い感銘を受けて、ムック本も購入した。夏の作家なのだな、と思った。また、作内には光に満ちている。それは青春の光のみならず、生の痛みであり、また性に対する感情とも思える。
 たとえば、架空の地名は、フォークナーの「ヨクナパトーファ郡」であったり、ガルシア=マルケスの「マコンド」、または中上健次の「路地」などが、あるだろう。佐藤泰志の「海炭市」は、佐藤自身の育った、作家を志して上京するまでに育った生地の函館であるのだと思わされる。
 何よりも、夏なのだ。それは「俺だけの夏」であったり、「きっと楽しいに違いない」と、佐藤の作品の口ぶりに似たくなる、輝きに溢れている。
 しかし、輝きだけとは言っていられない。性に対する、情念であったり、「痛み」を感じるところも佐藤泰志の魅力でもある。辛い描写になると、誤魔化さない会話や描写を、読み飛ばしたくなる程だ。
 「僕は書き始めるんだ」佐藤は、こう言う。そういう気持ちはよく分かる。函館から東京に上京してきた佐藤は、本当に純文学作家を、志していたのだろう。文学や詩を愛するものならば、僕の作品を分かってくれるはずだ、という気負いのようなものを、読者としては受け止められずには、おれない。
 商業誌と同人誌の間を行き来しながら、佐藤泰志は最後まで書き続けた。先に挙げた佐藤泰志のムック本によれば、職業訓練校にも通っていたと言う。きっと誤魔化さずに、真摯に文学に向き合う、という態度を、生活の中でも見せたのだろう。
 最期の形を知ったが、文学賞や芥川賞を取れたら、とは思わない。「僕は書き始めるんだ」その自負を感じるだけで、何度でも満たされる。
 佐藤泰志先生、良い作品を残して下さって、有難うございました。

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