ゆうたん

日本文学科中退の男性です。 文芸批評や映画評論に、最近は興味があります。 好きな作家…

ゆうたん

日本文学科中退の男性です。 文芸批評や映画評論に、最近は興味があります。 好きな作家・近頃興味がある作家。 ヘンリー・ミラー・中上健次・埴谷雄高・太宰治・武田泰淳・ケルアックなど。 一度、東京でお芝居を観劇したいと思っています。

マガジン

  • 創作小説・『赤のゆくえ』

    私の書いた、創作小説のまとめマガジンです。

  • 創作シナリオ・『君がいなくなった後の教室』

    私の書いた、創作シナリオのマガジンを作ってみました。 完結しています。

最近の記事

私の「上京」について

思えば、二十年前なのだ、と思う。 私も十八とか二十の時があり、東京への憧れはあった。 私は千葉の町に住んでおり、文字通り息苦しい生活だった。 母と別れた父が東京に居たから、ある日突然、電話一本を入れて、リュックを背負い、東京に来た。 それから、また父と東京で暮らし始めた。 父はタバコを吸い料理もせず、米も炊かなかった。 だから私が炊飯器を買って来て、ジャーでお米を炊いた。 あの頃の東京は、よく覚えている。 小泉氏が総理で、毎日様々なニュースが流れていた。 靖国神社は、父の

    • 創作小説・『赤のゆくえ』【5】

       夕暮れ――私はまた、いつかと同じ様に帰路に着いていた。  倦怠を感じる。このところ、体力が落ちたようだ。歳のせい、と自分自身に言い聞かせているが、理由はそれだけではなさそうだ。  元々、スポーツは柔道をしていた。スポーツは好きではないが、武道の類は興味があった。  下品な表現になるが、金には不自由していなかった。元々浪費癖もないし、ファッションや、グルメにも興味がなかった。ひとに不快感を与えない程度の、フォーマルな洋服があれば良い。そう思っていた。車の免許は、持っていない

      • 創作小説・『赤のゆくえ』【4】

         気持ちの良い春の日が訪れた。私は、非常勤講師を勤める「鴎陽大学」のキャンパスへとやって来た。鴎陽大学は、都内の外れにある、自然豊かな大学である。知名度などはそれ程でもないのだが、理事長の方針がしっかりと固まっており、学生も大学内の雰囲気も伸び伸びとしていて、実に気持ちの良い大学である。  私は、講義の後に、鴎陽大学のキャンパスの中を、散策していた。ストレスの多い日常の中で、羽を伸ばせる瞬間と言うか、一番の愉しみの時である。  樹齢何年かは定かではないが、豊かに緑を繁らせた木

        • 創作小説・『赤のゆくえ』【3】

           熱いシャワーと風呂に入ると、私の携帯電話に、留守録が入っていることに気付いた。メッセージアプリ、ラインなどもケイタイには入れていたのだが、プロフィール設定などが面倒で、ほとんど開くことがなくなっていた。もちろん、SNSはやらない派だ。 「アキヤマさん――失礼、秋山先生のお電話でお間違いないですか? わたくし先日お会いした、●●出版の田鍋と申します。お訊きしたいことが御座いまして、お電話を差し上げました」  電話口に、耳を当てているとメッセージが流れた。  出版社のひとが、私

        私の「上京」について

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        • 創作小説・『赤のゆくえ』
          1本
        • 創作シナリオ・『君がいなくなった後の教室』
          4本

        記事

          創作小説・『赤のゆくえ』【2】

           手製のビラを作り、学内で禁じられていたにも関わらず、ビラを撒いていた。あの頃――確かに私は、戦っていた。聖夜にも関わらず、私はそう思っていた。  ベンチから立ち上がり、私はまた歩き出した。だいぶ、寒い。コートの襟を上げて、私は、独り身が住むマンションへと、戻って行った。  暗い部屋に入ると、電気を付けた。独りの部屋は、すっかり冷え切っていた。すぐに、暖房で部屋を暖めた。  酒好きの友人から貰った、ボトルに入った酒を、グラスに注いで飲んだ。かなり強い酒だが、のみくちは甘い。

          創作小説・『赤のゆくえ』【2】

          創作小説・『赤のゆくえ』

           家路を行っている時に、ふと思った。  私は、今四十一歳である。不幸にしてか、幸いにしてか所帯を持っていないが、仕事は順調に進んでいる。若かった時、情熱を抱いていた。革命――そう思うと、若干苦々しい思いを感じる。あの頃の仲間たちは、若くして鬼籍に入った者もいるし、運動を続けている者もいるし、行方知れずになった者もいる。  そう――感傷に似た感慨に浸っていると、十二月の東京の街の、イルミネーションが私の眼に入った。  思えば、今日はクリスマスなのである。街中では、クリスマスケー

          創作小説・『赤のゆくえ』

          『ノルウェイの森』再読

           ここの所、図書館にこもって本を読んでいた。  図書館は、「節電」しているらしく、結構暑い。  じっと、本を読んでいると蒸し暑さを感じるので、一時間半くらいで、外に出てしまった。こもってはいないですね。  ふらふら、と歩いていると、  あなたと直子に会うことは二度とないと思うけれど、ずっと忘れないわよ  と、言う文章が頭に浮かんだ。  しばらく、その文章について考えていて、「ノルウェイの森」の最後の部分だったか、と思った。  家に帰って、ノルウェイの森の文庫を探したが、

          『ノルウェイの森』再読

          一頭の馬であっても

           マイバッグや、持参のふくろを持ち歩くのが、面倒くさいと思うことがある。  例えば、疲労している時。例えば、自暴自棄の時。例えば、帰りが遅くなった時。  ごくたまに、深夜に、未来に思いを馳せる、ワールドワイドな時間が訪れる時があるが、朝になると、「別にいいや」とか、「ま、いっか」と思って忘れてしまう。  こうしている間にも、森林の木々は伐採されて、木は一本一本減り、世では紛争が耐えないのだろう。ワールドワイドな視点も、日々のストレスに侵食されていく。単純に疲れるのだ。単純に

          一頭の馬であっても

          日々の渦

           ここのところ、noteをパタリと更新していませんでした。  ずっと、noteの存在を忘れていたのではなく――ずっと自分自身の悩みを考えていました。  自分自身の中に、不全感というか、何をしても違う、という感覚があるのです。  周りは、何か楽しそうな趣味を見付けて、言い方は悪いですが、とても充実しているように思える。――と言っても、安易にその様な訳はないのですが、時折そう思ってしまう。  高野悦子さんの『二十歳の原点』という、日記の書籍がありますね。随分と昔の本なのですが、

          北野武監督『あの夏、いちばん静かな海。』について

          夏になると、「冷たい」映像が観たくなる。 出来れば、会話がほとんどなく、乾いた情感が画面上に漂っているのが良い。 『あの夏、いちばん静かな海』は、会話が少ない映画である。 村上龍氏の対談集『存在の耐えがたきサルサ』の中に、 会話をあまり信用していないのではないか。 と、北野武監督の映画について、良い意味で言及している部分があった。 ごみ収集の青年が、恋人の若者が見守る中、サーフィンにいそしむ。 会話を信用していないのではないか、という部分については、「言葉を超えたもので

          北野武監督『あの夏、いちばん静かな海。』について

          『帰り道』(昔書いた文章が出て来ました。)

          夜、昔抱いていた希望とか、思いを見つめ直す時に、心が痛む時がある。 私も以前は若かった、と言う程、老成していないつもりだ。 そう思う時に、失ったものの重さを痛切に感じる瞬間が、よくある。 二十年前に、私は大学生だった。文学部の学生という事で、ご多分に漏れず「文学」に夢中だった。そして、少しの映画に。 そのころ憧れていた、青山真治さんの『EUREKA』(ユリイカ)という映画で、セピア色の映画画面が、急にカラーに変わるシーンがあった。 思うに、私は、そのセピア色の画面の様な中をず

          『帰り道』(昔書いた文章が出て来ました。)

          長い話

          ここの所、気が滅入って文章を書けませんでした。 更新が少し止まって、ごめんなさい。 ☆ 映画を、観た。 スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』 しかし、途中で止めてしまった。 以前に、二回くらい観たはずなのに、大体は忘れてしまった。 たしか、前編と後編で、雰囲気が違った気がする。 それも、忘れてしまった。 ☆ よく分からないが、気が滅入る。 私の場合、普段から気が滅入っているから……そう思う時は、若干調子が良いのだろう、と思う。 ずっと以前に、抗うつ剤

          創作の経済学

          こんばんは。 お元気ですか? アクセス数を見たら、以前書いた創作論の記事が一番人気で見ていて頂けていることが分かりました。有難うございます。嬉しいです。 と――言うことで、頑張ってその記事の続きを書いてみたいと思います。 まずは、私的なエピソードから書きます。 とある場所で(と書くのはその方のプライバシーのためです)麻雀と将棋とオセロと競馬が強い方と仲良くなる機会がありました。 もしかしたら、セミプロなのかも~と考えたりもしたのですが。 私は、将棋をたまにするのですが、元々

          創作の経済学

          創作詩・『春の日』

          あの春の日 語り合っていた 沈黙の多いわたしは 言葉ではない 何かを伝えようとしていた ああ 年月は過ぎて 若かった私もきみも 様々なものに「支配」されながら 本当の気持ちの在り処を探している―― 木漏れ日の中 苦渋を瞳に浮かべていたきみは 今もなお 「答え」を見つけられぬまま 感傷を嫌おうと 無理な努力を重ねている…… ああ 青春の日々を忘却して もう春の日を忘れよう

          創作詩・『春の日』

          君がいなくなった後の教室【終】

          ◯海望高校・教室(昼)    公一と、公一の友人の川谷庸介(18)が、話しをしている。庸介、パンを食べている。 公一「なんか、ずっとお前パン食べてたよな」 庸介「(パンを食べながら)金、貯めたいから」 公一「フェンシング辞めなかったね」 庸介「うん。まだまだあるけどさ」    公一、パック牛乳の牛乳を一息で飲み干す。 公一「学費高かったよなー。私立」 庸介「(笑って)どうしたんだよ? 親みたい」 公一「結局、フェンシングもボートも縁がなく、卒業かー」 庸介「お前、将棋強いらし

          君がいなくなった後の教室【終】

          抒情と倦怠

          熊木杏里さんというシンガーを、ご存知でしょうか? 私は、熊木杏里さんの曲や歌が大変好きです。 『春の風』、『りっしんべん』、『長い話』、『今は昔』、『イマジンが聞こえた』……。曲名のタイトルを並べるだけでも、昔抱いていた感情が沸き上がるような、感覚を覚えます。 『殺風景』と『無から出た錆』という、初期のアルバムがあります。 どちらも、引けを取らない名盤だと思っているのですが、ぎりぎり『殺風景』が、私は好きです。 以前、病気で臥せっていて、何もすることがない時に、熊木杏里さ

          抒情と倦怠