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創作小説・『赤のゆくえ』【4】

 気持ちの良い春の日が訪れた。私は、非常勤講師を勤める「鴎陽大学」のキャンパスへとやって来た。鴎陽大学は、都内の外れにある、自然豊かな大学である。知名度などはそれ程でもないのだが、理事長の方針がしっかりと固まっており、学生も大学内の雰囲気も伸び伸びとしていて、実に気持ちの良い大学である。
 私は、講義の後に、鴎陽大学のキャンパスの中を、散策していた。ストレスの多い日常の中で、羽を伸ばせる瞬間と言うか、一番の愉しみの時である。
 樹齢何年かは定かではないが、豊かに緑を繁らせた木を眼を上げて見つめている時、私の後ろから、声がした。
「秋山先生――ですか?」
 声の元を振り返ると、林檎マークの入ったノートパソコンを抱えた女性の学生がいた。
 華奢な手元には、若干重そうなノートパソコンである。
「ええ……何かありましたか」私が、その学生に聞いた。
「さっきの社会思想のお話し部分で……少し分からない部分がありまして、ちょっとだけお訊ねしたいと思いまして――追いかけて来ました」その学生が言った。
「ええ、よろしいですよ」私がにっこり笑って言った。

 学生用の軽食のテラスで、私とその女性の学生が話しを始めた。
 手元には、カップに入ったアイスコーヒーがある。
「へえ……そうなんですね。よく聞くと分かりやすい。もっと難しいかと思っていて」その女性が言った。
「ええ。難しい部分で、一番骨が折れる部分だと思います」私が言った。
「ありがとうございました! 急にお呼び止めして、申し訳ありませんでした!」
 その女性が、林檎マークのノートパソコンを、小気味の良い音を立てて閉じた。
「私、安斉って言います。これからも授業楽しみにしています」安斉がそう言った。
「ええ――安斉さん、分からないところや難しいことがあったら、また訊いて下さい」
 安斉が、二度ほどお辞儀をして、遠くに去って行った。
 私は、煙草が吸いたくなっていた。
 喫煙所へと向かうことにした。

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