見出し画像

エッセイ / 太陽に生かされて

檜原村で暮らしていると、私たちは「自然のなかにお邪魔して、生活させてもらっている」んだなぁとつくづく感じる。

それは、村のちょっと小高いところに登ると、こんな景色が目に飛び込んでくるからだ。

山の一部を切り開いて、ちょこんと人家が密集している様子。百聞は一見にしかずとはまさにこのことで、「私たちは自然に生かされているんだ」なんて言葉を何度聴くよりも、自分の目でこの景色を見たときに、「ああ、世界は私たち人間が作ったのではなく、私たちは本当に、自然という世界のなかで生かされている存在なんだなあ」ってことが実感された。

そういえば最近、「もしも太陽がなくなった状態で地球上の全人類が1年間生き延びるとしたら、どうすればいいか」というワークをやる機会があった。結論、太陽がなければ我々は1年間でさえ生き延びるのがほぼ不可能だった。

太陽がなくなると、雨が降らなくなる。雨は、太陽が海を温めてできるものだからだ。雨が降らないと、森や植物が枯れ、川も枯れる。私たちはすでにある地下水のみで生き抜かねばならなくなる。

光合成が起こらなくなるので、酸素も増えなくなる。日光を一年間浴びないと、心の健康の面でも問題が出るだろう。

当然、太陽がなくなったことによる寒さも大問題だ。いろいろな動物が絶滅するだろう。新たに食糧を増やそうとするのも、きっと困難になる(寒すぎて野菜も家畜も育たない)。とても生きられる温度じゃないので、暖房を使うしかないが、化石燃料や原子力には量に限りがある。再生可能エネルギーも、太陽がなければ使えなくなるものがほとんどだ。

世界は暗闇に包まれるので、当然明かりも必要だ。それにもエネルギーが要る。24時間、常に街灯を灯さなくてはならなくなる。

そんな風に太陽の役割を再確認していくなかで、私たちは太陽に生かされているんだなあってことを腹の底から実感したし、今までずっと、こんなにも絶大な恵みが無償で降り注いでいたのか、ということに気がついて、なんだか本当に感動してしまった。

私たちは、自然によって生かされている。それは思想でも宗教でもなく、紛れもない事実なのだ。

前にも別のnoteに書いたが、そうやって自然の偉大さを感じると、人間のちっぽけさを感じてむしろ気楽になってくるし、与えられているものに感謝できる、あったかい気持ちになってくる。

太陽、今日もありがとう!わたし、あなたに生かされています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?