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エッセイ / だから僕は堂々と「嫌い」を叫ぶのさ

最近思っていたのが、知識が増えれば増えるほど、安易に何かを否定することってできなくなるよなぁってこと。

例えば嫌いな人がいたとしても、その人の生い立ちや葛藤を知れば、その人を一方的に否定することは難しくなったり。同じように、資本主義がなんか嫌だなぁと思っても、勉強を進めるなかで、資本主義によってもたらされている恩恵や、他のイデオロギーよりはマシであることとかを知ってしまうと、簡単に資本主義を否定できなくなったり。

だから最近の私は、自分の意見をあまり強く主張できなくなっていた。もちろん自分なりに「自分はこっちの方向性がいいと思う」「こういう考え方が素敵だと思う」みたいな感覚や意見は持っているのだけど、それを大声で主張したり、誰かに熱意を持って語ることは、あんまりしたくないと思うようになっていた。自分と反対の意見も、他の誰かにとっては紛れもない真実なのだということが、分かってしまったから。

でも昨日飲んだ友人N君は、「俺、めちゃめちゃ好き嫌いがハッキリしてるんだよね」と語っていた。「嫌いな人、めっちゃいるよw」とも。それを聞いた私は、結構びっくりした。なぜならN君は、(あくまで私の主観だけど)私の同世代の友人のなかで1、2を争うほどの頭脳の持ち主だったからだ。

私のなかでは、いろいろなことを知れば知るほど、世界は曖昧で、白黒などつけようもないものだと分かってくる、と思っていた。だから知性のある人ほど、「これは間違ってる」とか「これはナンセンスだ」みたいな、ハッキリとした否定の言葉を使わないもんだと勝手に思っていた。つまり私は、何かをハッキリと称揚すること・否定することは、知性のなさを象徴する行動だと、知らず知らずのうちに思ってしまっていたのだろう。

だからこそ、知性溢れる彼がハッキリとした否定の言葉を使うことに、私は驚いたのだ。

「でもいろんなことを知れば知るほど、何かをハッキリ否定することなんてできなくなってこない?」、そんな率直な疑問を、私はN君にぶつけてみた。そうしたらN君は、彼がとても大切にしているという歌の一節を教えてくれた。

ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるなんて
そんなバカなあやまちはしないのさ!

引用:小沢健二『ローラースケート・パーク』

「ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなる」、まさに私の今の状態だ。それをオザケンは「バカなあやまち」だと一蹴する。思えば本当にその通りで、何も言えなくなってしまうのなら、なんのために私たちは学ぶというのだろう。

たくさんの知識を得て、世界には白黒なんてつけようもないことを知って、そのうえで、自分の言いたいことを言う。嫌いなものは嫌いだと、これは間違っていると断言してしまう。それは発言のひとかけらだけを取り出せば大差がないとしても、無知のままに誰かや何かを否定することとは、まったく違うことなのだ。

たぶん私は、「知性がない人」と思われたくない一心で、自分の意見をハッキリと主張するのを恐れていたんだろう。今思えば、それこそバカなあやまちだ。

ありとあらゆる言葉を知ったうえで、知ったからこそ、自分の言いたいことを言う。世界にはたった一つの真実なんてないとしても、何かを「嫌だ」と思った自分の感情は、自分にとっては紛れもない真実で。だから素直に「私は嫌だ」と叫んでしまう。そんな風に、これからはやっていきたいなあと思った。もちろんすぐに変わるのは難しいだろうけど。

「インテリぶって何かを断言することを恐れていた私」に気づかせてくれたN君、そしてオザケン、ありがとう。私これから、堂々と「嫌だ」って言っていきます。

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そんな名パンチラインと出会えるオザケンの曲はこちらです。


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