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高校の時の記憶.8 人は陰口を言うもの

 過去の日記掘り返して黒歴史を再生産しています。
 
  修学旅行でのメンタルが弱かった時にますます傷ついた話。人生で初めて羽田空港に行って飛行機に乗った。
ずっと孤独を感じていたので信頼関係を得たくて自分の秘密を同じクラスの女子に話した。その次の日の夜、私が寝つけずに目をつむっていたら、

A「そういえば昔小学校の時○○(私)みたいな顔のかわいい子いたんだわ。」
B「うわ無理…、顔かわいくなくても無理。」「名前わかんなくなるときあんだよね。」

という会話が聞こえてきて、当時は驚きましたね。女性の中では普通の話なのでしょうが、私は人とトイレに言って陰口を吐いたりすることが無く、聞こえるように悪口は言われたことがあるし、また陰口を言われていることについて小学校の頃からみんな私の陰口は言うもんだろうと思って覚悟はしていたけど、やっぱり直接自分の陰口を聞くことが無く縁がなく育ったので、びっくりしました。

このリアルさ、自分で読んでいて心臓がどきどきしたので相当驚いたんだろうなあ。

“信頼できそうだ”と思った末に嫌われていたことはショックでした。しかし、この経験は非常に勉強になりました。

当時の自分「相手が自分の性格無理なの分かってて接するの大変なんだけど…(中略)ま、昔から文句言ってんのは昔からうすうすわかっていたけど…」

たぶんね、こういう陰口は女子あるあるなんだと思うよ!?私はやらないだけで。そんな気にしなくていいと思うけど、当時は自分と信頼関係のある人がいなかったからきつかったんだろうなあ。

まず、当時は自分が人を嫌いになる権利がないと思っていたくらいだったから、人に嫌われることはとてもきつかったと思うし、自分は他人にとって必要ないと思っていたから自己肯定できなく孤独を感じて過ごしているからますますダメージを受けたと思う。
この頃の自分に足りなかったものは当時の自分が悩み自分の必要だと感じたことと同じで、「自分の主張をすること」「人との信頼関係を築くこと」。それが出来ていればこのくらいでダメージは受けなかったと思うが、当時はどちらも無かったので非常に辛かった。
今は人が人を嫌いになるのは仕方ないことだから割り切れる気がするし、自分を好いてくれる人と仲良くすればいいって考えると思うけどね。
「人を選ぶ権利がない」と考えていたから、自己肯定感や自信はこういうときに無いと対人関係を割り切ることができなくて大変だ。

Bという人は、「利用価値がない人とは仲良くならない」「先生に媚を売り成績を上げる」という生きる知恵や大人の価値観を持っていた人物だったので、怖かったけど勉強になりました。おかげでますます人間不信になりましたが、私の人生であれほど性格の悪さを公言しながらも人当たりをよくし部下を見つけては文句を吐くようにし自分のやりたいように環境を変える強さを持った人物はもうあらわれないと思うので、書き留めておかなければ!という気持ちになります。
Bはサバサバした人が好きで、利用価値がないのに人を助ける人を「なんであんなことするのか分からない、苦手だわ。」と言っていたなあ。善人を嫌いな人なんて一人もいないだろうと思っていたけど、嫌いな人は少なからずいるんだな、良かった。

気が強いので苦手ではありますが、あまり恨んでいないのはBの「効率の良さ追求」の思考のおかげ、主張が強いおかげで助かったことがあるからかもしれませんし、Bは迷惑を掛けない人間でした。
今思えば「利用価値が無い人には近づかない」「表面上媚を売り上手くやりとげ陰口を言う」「生産性が無いことは極力しない」などの思考は、大事なものでもあると思います。

担任は、AとBの思考を「OLみたいなこというね!?」と言ってたな。
私の事を「(人が陰口言うなんて日常茶飯事なのに)そんなことでショックを受けるあんたが大学行くの心配だよ。」と言ってましたね(笑)

この出来事で、対人経験が人よりも少ない私はますます人間不信になりました。

 しょうもの無いものを読んでいただきありがとうございました。

 冬譜

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