そうゆう流行りの無個性で

人のnoteや文章は創作意欲を湧かせてくれる
なんだか書かなきゃいけないような気分にもなる


僕は人に影響されて生きていると以前もnoteで書きました


僕は模写を切り貼りして出来た存在だと思う

ただ、これと矛盾する信念みたいなものが僕には1つあります


個性とは生まれ持ったハンディキャップ
ハンディキャップとは生まれ持った他人の差
だから、個性は出すものではない
個性は他人との溝を埋める物だ

これが僕の個性に対する信念です


大好きなバンドのSUPER BEAVERは「らしさ」という曲でこんなことを語っています

個性を出さなきゃいけない
そうゆう流行りの無個性で
悟ったように一歩引いた
匿名希望の傍観者


個性は人に流されて身につくものなんかじゃない
それは個性じゃなくてコピーだと僕も思います

例えばあなたの個性ってなんだと問われた時に、自分の良い所を見繕って口にしてしまうのではないでしょうか

それは果たして個性なのでしょうか

僕は違うと思います

生まれ持った他人との差こそ個性です
それが弱点であるか、強みであるかは関係ありません
だってその差はあなたにしか活かせないのだから

大半の人は自分の弱点を個性と言うことは出来ないでしょう
でもそのままでいいんでしょうか
皆が考えるような流行りに乗っかっただけの、見繕った強みが個性だと言い張るんですか?

僕は真っ平御免です

弱み強みは自分が1番分かってるはずです
皆が同じようなことを考えて似たような個性を自称します

そんな盤上に似たような駒しかない状況で、あなたはそれでも個性と言い張るんでしょうか

他人との差に背を向けるのを辞めませんか

その差ってもしかすると他人から見たらとても羨ましい物かもしれませんよ

僕は悩んだ時に1度自分を俯瞰します

その時、他人との強みの差に目がいきます
しかしそれを悲観するのではなく、僕らしさはその差にあると再確認するんです
その差を埋める努力が本当に必要な物か考え直します

これが僕の思う個性のあり方です

ハンディキャップと言われるとネガティブなイメージを持つかもしれません
しかし、それは誰もが他人に対して持っている物です
それは人の数だけあります
お互いがその差を埋め合えるような社会が来たら、きっと日本はもっと面白い国になります!

だからポジティブだとかネガティブだとかどうでもいいんです
生まれ持った「らしさ」ってやつなんだから
あなたがそれを愛せるようになりますように

どうか、自分を見つけられますように

じゃあ今日はこの辺で

終、

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