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短篇小説「切符にはイヤホンを」

おそらく都会に住んでいる人からすると、この町は田舎なのだろう。つまり田舎に住んでいるのだから私は田舎者ということになる。そんな田舎者の私が都会に憧れるのは別に特別な話でもなんでもない。この町は海が見える。しかも内湾に位置してるから、海辺に行けば対岸の街も見える。あれが都会。高い建物が連なっていて、オレンジ色の光がふわっと灯っている。比べて私の町にあるものと言えば無駄なほどに煙を出す工場と寂れた漁港。登下校する時、私はきまって海辺を通って帰る。都会が見れるからだ。そんな都会を見ながらイヤホンを付けて「丸の内サディスティック」を聞く。イヤホンだけが私を都会に連れてってくれる。海風がスカートをなびかせる。私は対岸の街を眺め、椎名林檎の歌詞に溺れる。だから登下校は私の1番好きな時間だ。逆に1番嫌いな時間でもある。海辺を歩き終えれば、あるのは田舎の風景。ここを都会と同じ感覚で歩くなんてイヤホンだけじゃ力不足にも程がある。今日もうつむき加減で家の戸を開ける。「ただいま」これで数分間の都会への旅も終わりだ。

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部活が長引いてしまい、空はすっかり暗くなっている。またいつものように海沿いを通って帰る。海と対岸の街の灯りが見えたのでイヤホンを付ける。スマホの音楽プレーヤーを開いていつものように「丸の内サディスティック」を再生した。いつもより強めの海風が吹き付け、目にゴミが入った。痛くて目を開けにくい。目をパチパチさせると痛みは取れた。そんなのどうでもいいくらいに理解出来ない事が起きた。何故か私は地下鉄の駅のホームに居る。つい数秒前まで強い海風に晒されていた私には到底信じ難い出来事だった。すぐに電車がホームにやってきた。ただ誰も見当たらない。乗客も、待ってる人もいないのだ。徐々にスピードを落として、その車両は止まった。どうすれば良いのかも分からない私はイヤホンを取ってその場を去ろうとした。気づけばいつも音楽を聞き始めるあの海辺だった。私はイヤホンを付けたり外したりしてみる。それに合わせて駅のホームと田舎を行ったり来たり。どうやらイヤホンを付けることで私は地下鉄のホームに飛ばされるらしい。目まぐるしく変わる景色に酔った私は目をつぶり、ゆっくりイヤホンを外した。少し落ちつこうと、コンクリートの堤防に腰掛ける。あの街を眺めながらゆっくり呼吸をする。あの電車、確か色が赤だったなと思い出す。気がついた。丸ノ内線だ。私はすぐにイヤホンを付けた。匂いが違う。なんとも言えない匂いがする。地下鉄のホームだ。やはり他に人はいないようで、車掌がこちらへやってくる。「切符はお持ちのようですね。」と言いながら私のイヤホンを外してきた。「ちょっと何するんですか。というか何がっ...。そもそもここはどこ?」「ここはここです」「...は?」意味の分からない返答に唖然としてしまう。頭がパンクした。「うーん、とりあえず車内でゆっくりお話しましょう。」

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「つまり、田舎者の私が都会に憧れを持って丸サを聞いたのがトリガーになって『ここ』に来たってこと?」「そうゆうことです。」「その切符がイヤホンだから私は乗れたのね。」「まさしく。」意味の分からない会話をしているのは自分でも理解しているが、なんとか飲み込もうとする。それにしても何故私だけなのだろうか。他の田舎にも椎名林檎に憧れて都会を思う女子は沢山いるだろうに。「車掌さん、なんで私だけなの?他にもお客さんいないの?」「条件を満たした人の数だけこの車両はあります。だからこれはあなた専用の車両です。」「車掌さんも私専属なの?」「ごもっとも。」なんだか急に主従関係のようなものが出来てしまった。「それよりこの電車はどこに行くの?私は帰れんの?」「とりあえず水星にでも旅にでませんか?」「daokoのやつ?どうしたの急に」「そうdaokoの水星です。丸の内サディスティックや水星のように、都会をイメージした曲は沢山あります。昔の曲だとクリスタルキングの大都会なんかも有名ですよね。TOKYOとか。」「古いのはサビだけとか名前だけなら知ってるけど。」「この地下鉄はそんな誰かが思い描いた都会へ連れて行ってくれます。」「てことは私は御茶ノ水や後楽園に行けるってこと?」「はい、ただし条件が。」「条件って?」

「その音楽が鳴り止むまで、です。」

終、

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