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音楽の杜がおススメする邦楽

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人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする邦楽アルバム集
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#松田聖子

松田聖子 「SEIKO JAZZ」 (2017)

ラジオから流れてきた「Don't Know Why」が心地よく、誰かなと思ったらなんと松田聖子⁉ ちょっとビックリでした。それで当時すぐに本作を購入した次第。 松田聖子の全盛期、当時のJ-POPシーンを代表するライター陣、ミュージシャン、アレンジャー達は彼女の作品に英知を振り絞り、それら期待に見事に応えきっていた松田聖子のヴォーカル力、才能が溢れ出ていた初期アルバム群。これらは未だに日本を代表する名盤だと思ってます。そしてもちろん未だによく聴いてます。 そんな彼女がついに

渡辺真知子「唇よ熱く君を語れ」(1980)

1980年、当時小学生だった私はかなりの音楽好きでした。洋楽はモンキーズ一色だったのですが、邦楽はいろいろ聴いてましたね。特に1980年は邦楽の当たり年だったような気がします。例えば異邦人(久保田早紀)、大都会(クリスタルキング)、ランナウェイ(シャネルズ)、SACHIKO(ばんばひろふみ)、昴(谷村新司)、南回帰線(堀内孝雄・滝ともはる)、恋(松山千春)、ジェニーはご機嫌ななめ(ジューシー・フルーツ)等。 松田聖子がデビューしたのもこの年でした。 そして忘れられないのが渡

松田聖子 「SQUALL」 1st (1980)

あまりにも初々しい松田聖子のデビューアルバム。記念すべき、このアルバムの発売は1980年8月。なんと40年以上前の作品なんですよね。 本作が未だに名盤として語り継がれている理由は、アイドルのアルバムなのに、楽曲のテイストが洋楽フレイヴァーたっぷりであること、ミュージシャンのクレジットが示されていること(ミュージシャンもフォーカスした最初のアルバム、作曲家の小田裕一郎氏がレコード会社に交渉したらしいです)、そして何より松田聖子というまだ原石ながらも素晴らしいヴォーカリストが見事

松田聖子「North Wind」2nd (1980)

1980年12月に発表された松田聖子のセカンドアルバム。ファーストアルバムが夏をイメージしたものに対して、こちらは秋から冬のイメージ。 先行シングルは同年10月に発表された「風は秋色」。サードシングルですね。 それにしてもセカンドアルバムにて、もう名盤の風格漂うジャケットです。このジャケットは結構好きですね~。 この頃の松田聖子は、まだ発声が完成されたものではなく、溌剌とした歌い方といった印象でしょうか。アルバムの作りは、やはりリゾートを印象させる作りですね。リゾートアルバ

松田聖子「Silhouette」3rd (1981)

松田聖子のサードアルバム。当時の帯には「扉をあけたら、もうひとりの私…聖子」とありました。前2作までは作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎が殆どの楽曲を作ってましたが、本作より、いよいよニューミュージック界とのクロスオーバーが始まります。そして本作は「チェリーブラッサム」と「夏の扉」という初期松田聖子の2大ロックチューンが収録されてます。そういった意味では洋楽好きの私も、本作は実は名盤だと思っております。 彼女を発掘したディレクターが当時CBSソニーに在籍していた若松宗雄氏。実

松田聖子「風立ちぬ」4th (1981)

ここ数ヶ月、松田聖子のアルバムを聴きまくってますが、やっぱり「風立ちぬ」が彼女のベスト、いや80年代J-POP史上に残る名盤ではないでしょうか。 松田聖子はデビュー以来、「SQUALL」、「North Wind」、「Silhouette〜シルエット〜」と、いかにもアイドルらしいアルバムを発表していきますが、ここで松田聖子の制作陣は新たな挑戦に挑みます。 時は1981年、その年の3月、「A LONG VACATION」というアルバムがビッグヒットを記録します。あの元はっぴい

松田聖子「Candy」6th (1982)

たまにはアイドル歌手のアルバムもアップしておこうかなと。実は松田聖子の80年代のアルバムは大好きなんです…。今回は1982年発表の彼女の6枚目のアルバム「Candy」をご紹介しておきます。 この「Candy」は「Pineapple」と「ユートピア」の間に発表されたアルバムです。 このアルバムの特徴は、なんといってもはっぴいえんどの最後の一人、細野晴臣から初めて曲提供を受けたことですね(他の大滝詠一、鈴木茂、松本隆(作詞)は既に提供済)。そして「風立ちぬ」でも「らしさ」を発揮

松田聖子「Pineapple」5th (1982)

1982年、私は当時中学生。松田聖子が一世を風靡していました。女子の同級生は誰もが松田聖子を聴いてましたが、洋楽を熱心に聴いていた私は、そういった歌謡曲を聴くことに抵抗がありました。 ましてや松田聖子のレコードを聴くなんて考えられないことでしたが、当時私の妹がたまたま「Canary」というアルバムを買って、よく聴いていたので、ちょっと参考がてら聴いてみると、これがイイ。でも仲間には松田聖子のLPがいいんだよ~、とは言えませんでした(笑)。妙なプライドがあったのかもしれません。

松田聖子「ユートピア」7th (1983)

初期松田聖子のアルバムが非常にクオリティが高いことは、常々申している通りで、3枚目の「Silhouette」で財津和夫さんを起用して以降、積極的にニューミュージックの方々の楽曲を採用しており、この1983年発表の7枚目のアルバムもいろいろな方々が楽曲を彼女に寄せております。 このアルバムの白眉はやっぱりシングルとして発表された⑤「天国のキッス」でしょうか。あの鬼才、細野晴臣が書いた初のシングル曲で、作詞はもちろん松本隆。その松本隆氏は「この曲が松田聖子プロジェクトにおける最

松田聖子「Canary」8th (1983)

松田聖子の初期のアルバムは、従来のアイドル歌謡曲とは違い、ニューミュージックシーンで活躍している方々が書かれた楽曲、そして素晴らしいミュージシャンのアレンジが楽しめ、聴き応えのある内容が多いですね。 そして今回ご紹介するのは彼女の8枚目のアルバム「Canary」。当時の私は松田聖子のアルバムなんて全く興味がなく、洋楽オンリーの中学生でした。そんなとき、たまたま私の妹がこのアルバムを購入。全く興味がないと豪語していた私も、このジャケットに引き寄せられるように、ついついこのアル

松田聖子「Tinker Bell」9th (1984)

個人的には松田聖子のアルバム「風立ちぬ」は松田聖子の作品のなかでも最高峰、いやアイドル作品のなかでも一番の名作だと思ってます。 一方私がリアルタイムでよく聞いていた彼女のアルバムは「Canary」や本作です。 このアルバムの発表は1984年6月。前作「Canary」と比較しても顕著ですが、サウンドプロダクションがかなりシンセ色の濃いものになってます。個人的にはドラムの音が如何にも80年代、って感じで好みではありません。やっぱり松田聖子はフュージョングループのパラシュートが参加

松田聖子「The 9th Wave」11th (1985)

知る人ぞ知る、松田聖子の生みの親、若松宗雄さんが初の著書「松田聖子の誕生」を刊行された。 恐らく一般的には知られていないとは思いますが、原石だった彼女を発掘し、あの素晴らしいサウンド・プロダクションを施したのは、すべて若松さんの手腕。それらを赤裸々に記したのが本作。私でも知らなかったことが多く、特に若松さんが関わったアルバムの解説は非常に参考になりました。 特に、彼女を発掘し、両親を説得したはいいが、どこもプロダクションの引き受け手がいなかった話は初耳で、「松田聖子は誰とも似

松田聖子「Snow Garden」(1987)

昨日、BSで「松田聖子スペシャル 完全版」が再放送されてましたね。 前回も視聴しましたが、今回もしっかり視聴しました。松本隆さんやユーミンの話から浮き彫りになる松田聖子の素晴らしさ。それはリアルタイムには気付かなかったことでした。なので当時はそれほど熱心に聴いていなかったのに、今では80年代前半の松田聖子のアルバムは愛聴盤になっております。 クリスマスには少し早いですが、少しずつ寒くなってきましたので、今回は松本隆先生がプロデュースした松田聖子の冬の企画アルバムをご紹介し

松田聖子 「Citron」 15th (1988)

松田聖子、15枚目のオリジナルアルバム。 正直、彼女のアルバムについては「Windy Shadow」あたりが限界なのですが、AOR好きな私にとっては本作はやっぱりスルー出来ないアルバムなんです(といいつつ今まで長らく聴いていなかったのですが)。それは本作のプロデューサーがデヴィッド・フォスターだからなんです。 もちろんデヴィッド・フォスターはAOR好きにとっては神様みたいな存在。70年代~80年代初頭のAORを牽引していたのは間違いなく彼であり、ジェイ・グレイドンでした。そん