AIは七難隠す

やあやあ

特にこれといったWeb記事を参照するつもりがないから導入としては
如何せん、不適切やとは思うけど

昨今

画像自動生成AIが話題となってますね。
海外ではすでにAIが生成したということを隠して応募し、受賞までしてるとか。
厳密には生成後に人の手による修正やリサイズが加えられているとのことですが

その他にも、漫画やキャラクターの一枚絵、なんなら作風まで学習することができて
これじゃあ創作や創造の価値が~
みたいな意見も各方面から出ているらしい

ということで

早速自動生成していただきました。

タイトル bar king crub club , shrinmp , sunset

こんな適当に打ち込んだ、文章にすらなっていない、単語の羅列でここまで生成してくれます。

僕にはこんな絵は描けないので、純粋にスゲーと思います。
ちなみに、作風をゴッホやゴーギャンなどに寄せることも可能です。

わーお スゲー
これはweb上で簡単にできる簡易版のものですが
有料のものや、もっと精度よく自動生成してくれるものもすでにありますわな。

何が問題なのか?

はてさて、自動生成の何が問題なのか?
(どこを問題を感じるかは多論がありすぎるので割愛するっちゃよ)
トンテキ

そもそも芸術作品や創作物を我々はどのように消費しているのでしょうか?

  1. 完全に感覚で生きている、独立独歩の孤独な消費者。

一番わかりやすいのはこのタイプの消費をする人達
何かが欲しいと思った時に下調べをすることがほとんどないし
映画や小説もたまたま目に留まったからと理由で消費したりします。
摂取したものに対して評価することもなければ、感想をSNSに書き込んだりすることもない
ただ淡々と消費し続ける、もはやエシュロンである。
これが能動タイプだと完全体やけど、受動タイプなら下記の③に近くなるのでこの辺りはほんとグラデーション

2.本当の評論家と周りの評価を基に自分で再評価したい、評論家気質な消費者。

前者は本当の評論家、それでおまんま食ってるかどうかは置いといて、自分独自の価値基準と市場の評価とトレンドなど多角的に見て評価をすることを生業としている。
後者はレビューサイト常駐者。
世間ではこんな評価を受けてますが、はてさて私を満足させられるんですかぁ~?というスタンス
馬鹿にした書き方になったけど、割とキチンとした評価基準を持っていて、発信してくれると市場データとなるむしろ健全な消費者。
もちろんグラデーションではあるが結果的に市場を支える力を持っている。

さらに言えば後者がフォロワーをたくさん得て進化して評論家やキュレーター化することが、市場を健全化させる。

3.市場評価にしか価値基準がないお方。

この割合が意外と多い。
自分の意見があるようで実はない。
良い評価だから良い映画。と短絡的な結論に結び付けるので結果的に煽られてることももちろん少ないないというか、メインターゲット。
逆に言えば常に消費先を探している迷える仔羊とも捉えられる。
②のフォロワーともいえる。


ここまで書いてみてすげー脱線していると気が付いたけど
ツヅケマス


さてこれから考えるに「AI産」であることに敏感であるのは、②でありそれと伴って③の動きがある。
ただ「消費」に限って言えば「AI産」であるか「非AI産」であるかは
ハッキリ言って関係ない。

しかし、ここに生産者側、創作側に立つと全く印象が変わってしまう。

創作側の立場について

創作サイドでもこの「AI」の力をどう評価するかによって変わってきてしまうよねー

1.「AI」を享受して自分の創作に活かす。
このパターンは常に何が起きても対応しようとするので簡単に言えば
「AI」以外であっても共存は可能であって
消費者の①の逆である。
でもここで「AI」が評価されることにより自分の創作が脅かされる場合はそもそもこの選択肢は取らないし取れない。

2.「AI」による創作を否定し、人間による創作に価値を感じる。
創作=人間にのみ許されたこと
むしろ人間らしさが創作であり、「AI」にそれが可能であるならば、
人間の価値自体が危うい
と思う過激派まであるわな

又、作風の盗用だ!という意見もあるけど、有名作家に師事して作風が似た場合は盗用とは言えないでしょうに。
似通ってるのが罪であるなら、消費側が評価すること自体が罪になるまでつながる話やろげーいとも思う。
まぁ明らかに部外者が、既存の有名作家に似せて金稼ぐことを許容できない気持ちは理解するけど、フォーマット化してしまうということは反対に言えば学習可能であるので、創作とはまた離れたものになってしまうともいえるわけであって。
発明した人に特許を!というのはわかるけど、創作においてはそれをはっきりとさせられないというのもある種の側面なわけであって…

というのが結果的にこじれている部分よら

しかしながら、そもそもその創作が人であることが前提で評価されてきたのか?その人であるということが前提で?という疑問がでてくるし
市場的な価値基準は様々でありそこに対して喚いても仕方がない部分がある。
市場は競技じゃないからねルールなんてあってないのよ

3.「AI」は「AI」、「人間」は「人間」である。
共存というより住み分け、区別や分断を求める。
つまりはルール作りが必要であるとする、穏健派に見える過激派。
ほぼほぼ思想警察。
もちろん、コンクールやコンテストは何らかのルールがあって然るべきなので、
今後は有名な小説の賞レースなどがどのようになるかがほんとに見もの

というより、区別は不可能なのでなし崩し的に①に帰結していくと思ってる。


ぼくのかんがえたさいきょうのけつろん

結果的に「AI」技術には抗えず、創作物にも「AI」の波が来て共存せざるを得ない。


少ない労力でヒット作を生み出す「AI」プロデューサーなるものが誕生するかもしれへんし
簡易的な巨匠風オーダーメイド絵画が誕生すれば、絵画の市場が大きくなるかもしれへん
それこそ神のみぞ知るぽなよ


とりあえずここで終わりにしよ
夜明けまでは長そうやな。
秋やな。


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