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これからの表現の自由とは? | GO AHEAD -僕の描く夢- 第51回

もしも、どうしても叶えなければならない夢があるとして。
……ここには様々な前提条件が存在します。この中で、わたしが特に求めるのは「表現の自由」です。

では、どうして「表現の自由」なのでしょうか?
まずは、このとてもざっくりしているワードを簡単に確認してみましょう。

【表現の自由】
人が意思や思想を表現・発表する自由。言論・出版・報道の自由を含む。日本の憲法は一切の表現の自由を保障し、検閲の禁止・通信の秘密の保持を規定している。
(精選版 日本国語辞典より)

わたしは今、音楽大学に通っています。クリエイター(やその卵)たちにとって、最も必要なものは何か。環境もそう、お金もそう、時間もそう。

でも、どんなに環境が充実していたとしても、どんなにお金があったとしても、一部分のみでも障壁となるものが発生してしまえば、それが大きな淀みに繋がってしまうことも多いんです。その中でも、一番の淀みに繋がってしまう可能性を秘めているもの。それが「表現の自由」という要素です。

クリエイターは、表現の自由が担保されることによって、自由に活動が出来ます。逆に言えば、表現の自由が担保されていないということは、その時点で自由な創作活動とは言えないというわけです。簡単なようで、難しいことですよね。

現代は様々な要素が簡単に変化しうる可能性のある時代ですが、わたしとしては、出来るだけ政治体制安定していたほうがいいかなあ……と思っています。
何故なら、変化が起こることによって、腰を据えて活動ができなくなってしまう可能性が出てしまうこともありますから。もちろん、逆も然りですよ。
良い体制を長く保つということです。

確かに、いろいろ思うことはありますよ。年金とか、防衛とか。
でも、わたしたちがそれに対して直接的に行動しなければならない、というのはあまり健全ではない状況だとわたしは思っていて、

むしろそれを作品内に内含させるのが創作の表現手法でしょ?

とか考えていたりもします。(正統かどうかはわからないけれど)

ちゃんと表裏を使い分けられる人じゃないと、自己主張を創作ではない形で行うのは難しい。その表現が原因で、アーティストとして正しく評価されなくなってしまうことだってあるから。

ピカソの「ゲルニカ」はそれを最も上手く主張した一番の例だと思います。決して直接的ではなく、作品という間接性は維持したまま、自らの地元に今起こっていることを“美術”というツールを使って具現化しました。

これからの時代、この「ゲルニカ」のような表現がもっと求められてくるような気がしています。芸術家たちにも「表現の自由」はもちろん担保されていますが、それはファンが着いてきてくれるからこそです。

だから、直接的ではなく、作品を通してメッセージを伝える。媒介するものを中に入れる。

海外ならともかく、日本では「政治的なもの」「社会的な主張」に対してまだまだ風当たりが強いなあ……と感じています。
わたしも、なるべくそういった表現は避けていますからね。

というわけで、今回は「表現の自由」について書いてみました。これはすごくデリケートな話題なので、あまり詳しくは書きませんでしたが、表現者なら必ず知っておかなければならないことです。

自由に、楽しく活動していくために。

この記事がみなさんの考えるきっかけに少しでもなってくれればなあ……と思っています。

2019.06.19
Yuu

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!