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呪いと愛

自死遺族ってある意味で呪われている。家族に自死する者がいると、やはり何処かでいつも自殺という言葉が脳裏を浮かぶ。自死した人の想念が、残された家族に宿るように思っている。しかしながらこれは、もしかすると先祖代々続く記憶の想念ではないだろうか?何処かで、人は死にたい気持ちを抱えながらいつの時代も生きていたのかもしれない。死んでしまった方が楽だ、そのように思う事がどんな時代にもあったのではないだろうか?

そして、死にたいという気持ちは人類全員の集合意識とも考えられるだろう。意識が研ぎ澄まされるように純粋な人は、良い感情、悪い感情、どちらも全てを引き受け入れてしまう。自死していく人は、本人の意識よりも人類の集合意識によって死んでいくように思えてならないのだ。我々の死にたいという感情を叶えてくれる誰かが世の中には必要なのかもしれない。闇の世界のバランスを取る為に。そして、家族や大切な人を亡くした時に初めて命の重さを知るのだろう。

私は簡単に死にたいと思う事は何処かの誰かに届いてしまうように思えてならないのだ。祈りが本当に誰かに届く事が証明されている。だから死にたい想いは呪いとなりいつか実現してしまうだろう。それは自分が叶えずとも、その想いに共鳴した誰かの背中を押してしまうのかもしれない。だからこそ、重い呪いを愛に変えていく努力をしていきたい。私は死にたいと思うより、世界をもっと愛したいと願おう。

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タイワンホトトギス
花言葉✳︎永遠に貴方のもの、上を向いて

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