過去と未来のこと。

大学に入学した年の5月、精神的に限界になった。

子供の頃から弟に蹴られながら育った。
痛みと悔しさでいつも一人で泣いている子供時代だった。

泣きながら何度もできるだけ早く実家を出ることを決意した。
最短を18歳として、大丈夫もう半分もきた、あと6年、あと4年、あと少し、ってカウントダウンしながら自分を慰める日々だった。
家出してしまいたかったけど、それによる苦労や危険について考えられる程度には冷静で現実的で臆病な自分の性格が嫌いだった。


年長の秋、兄と一緒に空手を始めた。
兄と話すために。弟に負けないために。

結局あまり上手くはなれなくて、後から始めた弟に蹴られる生活は変わらなかった。

高校に入る頃には、弟とはほとんど関わらなくなっていた。お互いに部活や塾で家にいる時間が短くなっていたから。

高3の春、部活を引退してからは塾に入り浸るようになった。
朝起きて学校に行って終わったらそのまま塾で10時まで勉強。
お風呂と寝るために家に帰る生活だった。

もともと勉強は好きで、勉強さえしていればなにも言われず理不尽な暴力もない。
帰りが遅くなってもなにも言われない。
楽しかった。


大学に入った後、元々の家庭環境のストレスに加えて、大量のレポートと勉強と初めてのテストのプレッシャーで精神的に不安定になった。

弟の暴力の頻度も上がった。
自分の帰宅時間が早くなって、顔を合わせる機会が増えたから。

弟の暴言やちょっとした被害を無視できなくなった。堪らず反撃すると蹴りが飛んできた。

その時、初めて怒りで我を忘れるという感覚を経験した。
頭の中が怒りに支配されていく感覚がどうしようもなく怖くて、涙が溢れて止まらなかった。

自分にも弟と同じ血が流れている。
いつか自分も我を忘れて誰かに危害を加えるかもしれない。
その時、もし手の届く距離に簡単に人を殺せるようなものがあったら。

怒りに支配されて思考能力が失われていく頭で同じことばかり考えた。
一歩でも動いてしまえば引き返せなくなるような気がして、動けなかった。
ただただ未来が怖かった。


感情のコントロールができないなんて初めてで、戸惑いと恐怖で何度も泣いた。
泣きたくなくても涙が止まらなかった。

夜暗い部屋に1人でいるとゆっくりと世間から断絶されていく気がして眠れなくなった。
弟を殺すかもしれない自分が、世間から断絶されることでよりその未来が近づく気がして怖かった。

実家を出た兄の部屋は道路に面していたから、夜は使われていない兄の部屋の窓に座って過ごした。
窓を開けて窓枠に座って、音楽を聴いた。
枕を抱いて泣きながら星を見て静かに過ごすその時間だけが穏やかになれた。
時々家の前の道路を車や人が通るのを見て、それだけがまだ自分は世間と繋がっていると思わせてくれた。

ストレスで嗅覚過敏が悪化してものを食べられなくなった。
食べるために無理して冷蔵庫を開けて、食べ物の匂いで気持ち悪くなり閉めてしまうことを何度も繰り返した。
平日は朝昼は少量を無理やり、夕食は普段の6割くらいの量を気をそらしながら食べた。
休日は母が家にいる夜ご飯以外はほとんど水と少しのアイスやヨーグルトで過ごした。

朝、駅の駐輪場から改札までのたった5分が辛くなった。
歩きながら自分はいつまで歩けるんだろうと考え続けた。
今すぐ立ち止まってしゃがみ込んでしまいたかった。
立ち止まったら、しゃがみ込んでしまったら、もう一生立ち上がれない気がして、それが怖くて泣きそうになりながら歩いた。

帰り道、どうすればこの状況を改善できるか考えて、泣きながら歩いた。
家に着くまでに涙を止める為に好きな曲を歌い続けた。

追い詰められていく自分を客観的に見ている自分もいて、余計に悲しかった。
弟の笑顔が視界に入るだけでキレてしまいそうだった。
声を聞くだけでイライラして、後ろを歩く振動すらむかついた。
自分はこんなに苦しんでるのに、なんでお前はそんなに楽しそうに生活しているんだ。ふざけるな。
全部ぶちまけてめちゃくちゃにしてやりたかった。

食事も睡眠もまともに取れなくなって、5キロ痩せた。
常に軽めの吐き気があって、吐けるものなんてないのに吐いた。
身体は全力で今の状況を拒否してるのに、その状況を抜け出そうとするだけの体力も精神力ももうなくて、それが悲しくて泣いた。

勉強なんて手につかなくて、酷い成績を取った。
でもテストが終わったら少しだけ落ち着いて、怒りで我を忘れる事はなくなった。
それだけでかなり楽になった。
眠れないし食べれないけど、歩いているだけで泣きたくなる事はなくなった。


精神的に落ち着いてきた10月末、父に家を出たいと伝えた。
なんでその結論に至ったか、子供の頃から考えてきたことを全てぶちまけたかったけど涙が止まらなくて言えなかった。

この話を弟に伝える事で弟に復讐するようなことをしたくなくて、弟が修学旅行の日を選んだ。
父は母と相談すると言った。

2日後、母は現在の家計の状況を全部数字にしてあなたの一人暮らしは無理だと言った。
わかっていたけどテストのたびに同じことが繰り返されるであろうことに絶望した。

両親には弟に言わないでほしいと言えなかった。
母は一人暮らしをしている人が話題に上ると笑いながらあなたは無理だからというようになった。
不必要に弟を傷つけたくないという最後の情も、ボロボロになりながら必死に生きた期間も全部踏みにじられた気がして、部屋で一人になったら涙が止まらなくなった。
悔しかった。


自分の収入では生活できず、親に借金をするという形で家を出れないかと考えていた。
それが叶わなかった今、就職で実家を出るためにお金を貯めている。
大学生の間の短く不安定な一人暮らしより、確実に、恒久的に実家から距離を置く方を選んだ。

弟が生まれてから16年間も耐えた。あと6年くらい頑張れる。6年経ったらもう一生会わなくてもいいんだと思って生活すれば前より楽になった。

今は家を出る為にお金を貯めることができる冷静で現実的で臆病な性格で良かったと思っている。
出来ればこんな形で自分の性格を好きになりたくはなかったし、こんな哀しい結末なんて選びたくなかった。

友達はみんな家族と仲が良くて、父も母も兄も弟も普通の家族の様な顔をして話すのに、なんで自分だけこんなに苦しんで、一人で泣かなきゃいけないんだって怒ったし、どうすればよかったのかって何度も自分を追い詰めた。

********

ある程度時間が経って、自分も弟も少し大人になった。弟からの暴力もほとんどなくなった。
その上で考える。
自分は一度も、家族を恨んでいない。
自分のことも。

何度も怒って、泣いて、悲しんだ。時には仕返しをしたり言い返してさらに暴力を振るわれた。

だけど弟に対しては距離をおきたいとは思っても弟を殺したいとか、殴りたいとか、一度も思ったことがない。

親の対応に怒ったことはあったけど母の対応で悲しくなって諦めた。
きっと自分が親の立場でもうまくできないから、親を恨むこともできなかった。

ただひたすら、家から出たかった。
暴力を振るわれなくて、自分のやりたいことができて、否定されない生活。
自分の中にもある加害性に怯えない生活。

それだけが欲しかった。

********

自分は日常の中に暴力がある環境で育った。

それが親からなら、虐待で罪に問われたかもしれない。
児童相談所や親戚の家に行くことになったのかもしれない。

だけど、その相手は兄弟だった。
たった2歳しか変わらない、弟。

自分が児童でなくなるより先に弟が成人することは絶対にない。
血縁者なら警察や児童相談所なんて相手にしてくれない。
未成年の兄弟の暴力から守ってくれる法律もない。

経済的に、社会的に自立できない子どもには逃げ道がない。


家があって、親がいて、自分の部屋がある。
毎日お風呂に入れて、ご飯が出てきて、洗濯された洋服もある。
学校に行けば友達がいて、授業が楽しくて、趣味もあった。
側から見ればどこにでもいる、普通の幸せな子ども。

それでも自分は苦しかった。
大人に言えば兄弟喧嘩、喧嘩両成敗で済まされ、伝えることも諦めた。

小学生の頃からじわじわと時間をかけて、大人への不信感と早く家を出るための自立心ばかり育ってしまった。
小学校低学年で一人で病院に通えるようになった自分を母は兄弟で一番自立心が強いと褒めたけど、ただ頼ることができなかっただけだった。

********

今でもふとしたきっかけで思い出して、涙が止まらなくなる。
自分の人生の中で一番泣いて、一番苦しんだ18歳の夏には戻りたくない。

どんな形でも、守ってくれる人が欲しかった。
あなたの置かれている状況はおかしいと認めてくれる人が欲しかった。
この人なら助けてくれるって信頼できる大人が欲しかった。

自分にはいなかった。
だからこそ、人の痛みに気付ける人になりたい。
もう二度と18歳の夏に戻らないために。
誰かを18歳の夏から救うために。
誰かに18歳の夏を経験させないために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?