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吉田篤弘 著『鯨オーケストラ』から得た気づき

ひとたび夢中になると、その熱が冷めるまで求めてしまうタイプなのは自覚している。そんな私が、今夢中になっているものが吉田篤弘さんの小説だ。きっかけは、本屋で偶然見つけた『鯨オーケストラ』という題名の本。

主人公はナレーションや朗読など、声の仕事をしている曽我くん。担当するラジオの深夜番組で、17歳の時にモデルをした絵の行方が分からないという話をしたら、視聴者から一通の手紙が届いた。その手紙をきっかけに、物語は始まる。

そして、私がとても印象に残っている箇所が、曽我くんが吹き替えを担当したドラマの主役が、天国へ行く話だ(最終的には、なんとか生き返るのだけど)。

主人公はわけあって、天国で六角レンチが必要になり探すけど見つからずに困っていた。すると天国の案内係が、主人公に「生前、六角レンチを使って作業をしたことはあるか、触れたことはあるか」と聞く。

主人公が「いいえ」と答えると、案内係は、「あなたの天国に六角レンチは存在しない」と言い、理由をこのように話している。

“天国というのは、あなたが生きていたときに、じかに触れたり、たしかに経験したことによって、つくられているんです。認識だけでは駄目なのです。たとえ、あなたが六角レンチというものを認識していたとしても、一度も使ったことがなく、触れたこともないとなると、あなたの天国にそれは存在しません。”

『鯨オーケストラ』より引用

天国があるかないかは、一旦横に置いておいて。注目したいのは、「六角レンチを認識していたとしても、一度も使ったことがなく、触れたこともない場合、あなたの天国にそれは存在しない」と言っている箇所。

見ただけで満足して、“経験したつもりになる”ことって意外と多い。鯨オーケストラを読んだ後、私も考えてみたら結構出てきた。

知らないよりはいいのかもしれない。けれど、知っていても使い方がわからないのであれば、知らないのと変わらないのかもしれない。それに、使ったり経験したりすることによって、それの良さを実感できたり重要性や存在する意味をより深く理解できたりもする。

もし、案内係の言うことが本当だとすれば、今の私は、死後の世界で不自由な思いをしそうだなと思った(あくまで、もしもの話)。

確かめようがないからわからないけれど、見ただけで満足して経験したつもりにならないように、これからは可能な限り、見て、触れて、使って(経験して)みるを1セットにしてやっていきたい。

そんな素敵な気づきを得られる吉田さんの小説『鯨オーケストラ』を読み終えた翌日、我慢できずに本屋へ走り別の本を購入した。

まだ途中だけれど、こちらも面白い。

吉田さんブームは、しばらく続きそうだ。


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