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宗教2世の苦悩


こんばんは♪マッチングカウンセラーのkeinaです。先日、訪問先のお客様と何気なくテレビを見ていたら目に入ってきた。
多分、そろそろこの記事を書く時期が来たのだと感じた。


熱心に宗教を信仰している親(主にカルト)から産まれた子どもを、宗教二世というらしい。


本来は、信仰は自由であるはず。決して悪いことではない。世界的にも、信仰を持って当たり前だという価値観も広く持たれている。


問題となるのは、偏った信じ方をして、他者や家族などの身内に同様の信仰を強要するケース。
特に、日本では親が子どもより目上であるという考えから、幼少期から生き方を強いられるケースが多い。



そんな環境で育った子どもは、特に成人してから生きづらさに悩むようだ。
まだまだ認識されていないが、信仰や思想の強要は、立派な虐待です。



大人の自助会はあるようだが、一番苦しんでいる時期に、大人になる前に、SOSを出せる仕組みを作ることが出来ないだろうか?

恐らく、関わりのない方にとっては、一体何が具体的に問題なのか、何に苦しんでいるのかが想像すら出来ないだろう。この機会に、記していきたいと思います。


無論、同情もする気はないし可哀想な存在としたくはないのだ。人間は、強い。

むしろ、私はこのような過酷な環境に生まれ育ったことを今は感謝している。
誰にも似てない、思いっきりオリジナルのフォーマットが与えられたのだから。少なくとも、退屈することはないだろう。


貴方方には明るい道がある、苦境を乗り越える術を伝え、私も共に生きると、伝えたい。


①思想を制限される。自分の軸が確立されない。


自分はこう思う。だからやってみよう。
これは当たり前の思考回路のように思われる。だが、それが許されないのである。



全ての言動が、宗教上の戒律や思想に左右される。
成功体験も、失敗体験も許されない。


私は、自分が家の信仰を理由にいじめを受けた時、親にただいじめられているという事実だけを伝えた。理由は言わずに。


私は当時、ただただ、話を黙って聞いてもらいたかった。そして、抱きしめて大丈夫だよと、その一言が欲しかったのだ。


親から欲しかった、慰めや、寄り添われている愛情や、保護されている安心感や、受容感は得られたことはない。
何の話を持ちかけても、信仰の話題に流れる。


全てにおいて、お前が悪い、前世や先祖の行いが悪いが結論の、イカれた世界。


虚しい。悲しい。孤独。絶望。浮遊感。生まれて来なければ良かったという自己否定。
籠の中で閉じ込められ飼われているという、閉塞感。
いや、そういう感情すら、自分のものとして受容することも許されない。

鏡を見ても、自分だと認識できない。
そういうものに、常に付き纏われた半生だった。



信仰上、自分の身に降りかかる災難や不幸は自分や先祖代々の罪業(カルマ)から来るものとされ、感謝が足りない、お詫びが足りない、結果的に信仰が足りないと責められ、連日の参拝や勧誘活動などを強要される。


休んだらまた不幸現象が起こると仄めかされるため、常に心の安息はない。
私は未だに追いかけられる夢や、穴に落ちる夢などをよく見るし、生涯鬱や不眠を抱える人も多い。


繰り返すが、自分に降りかかる災難や不幸は、全て自分や前世・先祖の罪業のせいとされるのだ。
例えば、昔先祖が人を切り捨てたり、戦争で殺傷をしたこと、精神的に苦しめたなど。




もしくは、想念という思考のもっと深いところの感謝素直心の修養が足りないという分析をされるため、他者を責めたり、怒りや憤りなどのマイナス感情は許されていない。
その繰り返しで、感じたはずの感情を押し殺す癖が付くのだ。


だから、宗教二世に総じて言えることは、とにかく感情表現が苦手。喜怒哀楽が分からない。自分が分からない。気持ちの伝え方が分からない。
おまけにNOの言い方すら分からない。
YESしか言えない。




自分自身の意志と行動が連結しておらず、むしろ意志を持つことすら叶わなかった。

他者に、自分自身をどのように伝えたら良いのかも分からない。一般的な人間関係が中々築けずに徒労に暮れるのだ。


②恋愛、結婚への影響


基本的に、信仰を理解出来ない異性は、神の御心にそぐわない相手として親から別れるよう仕向けられたりします。
特に結婚となると、同じ教団の中か、外部の人だと入信が前提。
入信しない人と結婚するとなると、とんでもない妨害を受けるし、最悪縁を切ることとなる。



または、入信するまで結婚は認めないというケースも多い。

また、肉体が穢れ、罪業を積むことになるとされ、婚前交渉は禁止。
厳しい門限や制約を課される。
まあ、守りませんでしたけどね。しかしいつも、マインドコントロールから罪悪感を抱えていました。


そして、だいたい付き合う人や配偶者も、支配的な偏ったタイプを引き寄せてしまうのね。
今まで、親や教えに依存して生きていたから、依存しか収まる場所がなかったりするん。


自分で考えて、自分で行動することを許されない生活を重ねた結果、自立した相手では鍵穴が合わない感覚。



DVやモラハラで、一生、同じループに陥るケースも少なくない。


③自分の友情への影響


自分たち一家に関わる人間関係全て、勧誘や救いを施すべき対象となる。

その為、普段は困った人を放っておかず、過剰に尽くす傾向がある。
知らない人を家に住まわせたり、いわゆる浮浪者にご飯を施す光景が日常茶飯事だ。


子供の友達に対しても同様で、過剰に親切にしては断りにくくし、説法や参拝を促すなど勧誘行為に至る。


基本的に、友達が出来ても勧誘をするため、すぐに距離を置かれてしまうため、媚びてまで近くに置こうとしていた記憶が強い。
よく、物品を配って人の気を引く、親の行為を真似ていました。
立場が弱いため、よくいじめのターゲットにされていた。

まあ、健全な人間関係は、育めない。


③人生の岐路、進路への影響


ええと、冗談ではなく、ガチでこの世の終わりが近いから進学はやめろと言われます(笑)


ハルマゲドンが来るので、それまでに信仰を深めて、人救いをして魂・心・身体を清めておかないと、新しい時代に生き残ることが出来ないと。


その為に、私は高卒で出家をしました。
その行為を、「志願」と呼んでおり、神と教団の発展に命を捧げる行為が最も尊いとされていたのだ。


一人幹部志願者を出せば、一族の名誉であり、3代前までの罪業、悪行が許される、解消されるとしていた。信者として最高の名誉とされる。
もはや、災いを鎮める人柱だ。


④最終的に成人してどうなるのか


良いタイミングで適切な治療や助言を受け、きちんと、親との感情を分離して、または縁を切って、自立が出来るケースもある。


ただ、社会に出たり、結婚・子育てをしていく中で、大なり小なり生きづらさは感じるという。
親の頭オカシさ具合によって、その弊害は左右されるだろう。


私の場合の救いは、親が早くに病で亡くなったことである。そこで長年に渡る洗脳を解くための自立を始めたのだ。
多分、そこから数えると、私は私という人間を生き直してから10年くらい。41のばばあだが、10歳の子どものような感情もたまに見られる。


やっと、信仰と、自分の思考や生活を繋げずに考えられるようになってきた。
具体的に言うと、幸不幸と信仰には、関係がないとはっきり断言できる状態である。


先日NHKで宗教二世の特集をされていたのを見るに限り、けっこうな社会問題になっているのかもしれない。


また、相談やカウンセリングを受けるにしても、当事者の具体的な苦悩や心境を理解出来ないカウンセラーがほとんどだと聞く。


私は、話を聞くことと、自分を好きになり、大切に育てる心構えや、マインドコントロールを解き、社会の中で精神的に自立していくための過程を伝えることは出来ます。


bandというアプリで、自助グループを作ったので、必要な方はjoinしてほしい。
公の自助会よりは、気軽に話が出来るのではないだろうか。
また、宗教関係に詳しく、支援に携わっている方もぜひ、お仲間に^ ^



グループコミュニケーションアプリBANDの宗教二世のコミュニティグループ

こちらに辿り着いた方が一人でもいれば、私はこの記事を書いた意味があるだろう。


今日も最後まで読んでいただきありがとうございました😊🍀✨



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