2024年9月に読んで面白かった本5選
村上春樹『1Q84』新潮社
かなり今更という感じではある。というのも8月の頭くらいから村上春樹にハマっている。既に『風の歌を聴け』、『1973年のピンホール』、『羊をめぐる冒険』、『スプートニクの恋人』、『海辺のカフカ』やいくつかの短編集とユリイカの特集を読んだ。そして今月中旬、1Q84を読み終えた。
総じて村上春樹作品はイキった青年が年上女性とああだこうだあってセックスする話。という印象がある。ただし、そこまでの過程がとんでもなく重厚でページをめくる手が止まらない。1Q84はその中でも様々な登場人物の視点が交錯し、緊張感が続く面白い作品だった。そして、彼の本に影響を受けている自分に恥ずかしさと大人へのページをめくっている感覚の両方を覚えている。
ただし、彼がノーベル賞にふさわしいかと言われるとどうだろうかという疑問は拭えない。それでも今年のノーベルウィークの楽しみが1つ増えた気がする。
ピーター・ターチン『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』早川書房
エリートをめぐる考えは最近の自分の1つのテーマであったので個人的にもタイムリーだった。海外は知らないが、少なくとも日本の「エリート」と呼ばれる層のほとんどは本書の定義でいくと「カウンターエリート」になってしまうんじゃないだろうか。それくらい質的にはエリートとは言えないような残念な人々が上層を占めていると思う。逆に言えば階層上昇の可能性はこれでも十分にあるので、ドイツやフランスに比べればマシだと思う。
そういう意味でも、本書が懸念するような国家の滅亡は日本においてはその可能性は低いように思う。言うほどエリート間の競争も激しくないのでは。そもそもポピュリズムの流行のスパンも早く、必ずしも成功したとは言えない事例が多い。大阪〇〇の会や、石丸◯二や○○○新選組とか。百歩譲ってある程度の知名度と人気を得たとしても、それが爆発的な推進力となって国家を二分するほどの土壌は形成できていない。日本は一億ノンエリート国家と言っていいんじゃないだろうか。そもそも学士卒ごときで経済や政治を語るエリートしかいない国なのだった…
話を本書に戻すと、筆者の提案する複雑系の歴史学というアイデアはその全貌を掴むことができなかったものの、面白い。スティーブン・ピンカーの歴史観に批判的らしい(訳者解説)。つまり、複雑系科学の水準で歴史を捉えることで過度な簡素化や単線的な歴史観とは異なる世界が展開されている。ハラリとかも当然論的になるんだと思う。複雑性の観点から社会を観察するのは社会学者、ニクラス・ルーマンの仕事の特徴でもある。彼の場合は社会の変化を「ゼマンティク」と「社会構造」に区別して把握している。例えば「資本主義」は前者。ただ価値判断はくださないのでターチンが示した歴史分析を社会学に持ってくる作業をすると因果の説明がもう少しできるようになるかもと思ったり。
石岡丈昇『エスノグラフィ入門』筑摩書房
待望のエスノグラフィの入門書。新曜社のワードマップシリーズからも『現代エスノグラフィー』は出ていたけど、そもそもエスノとは何ぞやみたいなのの決定版になりそう。
社会学屋の端くれとしては、エスノグラフィーとエスノメソドロジーがどう違うのか?をちゃんと理解することが重要で、前者は日本だと佐藤郁哉先生や筆者の石岡先生、岸政彦先生の仕事がそれにあたり、後者はハロルド・ガーフィンケル、好井裕明先生とかがあたるかな?
いずれにしても、じゃあどう違うんですか、エスノグラフィーってなんですか。という質問は難しい。そこにエスノグラフィーとはこうであるという1つの形を示したのがこの本と言える。
インターネットとあんまり大学で勉強しなかったビジネスパーソンほどバカにするで知られる社会学の中でも、エスノグラフィーはビジネスの現場にも大いに活きる。ある集団において、ある慣習が存在することの発見から、それがどのように、いかに実践されているのか、なぜ本人らは実践するのかを質的に把握するのにもってこいの方法論と言える。「カルチャーが〜」みたいな何かを言っているようで何も言っていない陳腐な言説を脱し、アクチュアリティを掴むことができる。
ということで、社会学や近接領域の初学者はもちろん広く読まれてもおかしくない本だと思う。石岡先生の本は他も面白い。
坂本治也編『日本の寄付を科学する』明石書店
日本における寄付研究の研究蓄積がまとめられた一冊。日本の寄付をめぐる状況から、その行動背景などが調査や各種統計資料から分析されている。
この本の面白さは色々あるが、大学への寄付をめぐる研究が面白い。卒業生などからの寄付金額で日本の大学が比較に出してくる米国は、宗教的背景から一貫して母校への寄付を行ってきたというよりも、1980年代以降の政策的なプッシュ要因が大きいことが指摘されている。
日本においては現役世代が大学へ寄付する割合はわずかで、ほとんどが70歳以上の高額所得者に集中している。また、Annual Reveiw of Psychologyに掲載された論文「Social Mobilization」では、米法科大学院への寄付増加の要因に「名誉」を挙げている。一方、本書で示された調査結果では、日本の大学への寄付者のモチベーションは「恩返し」で、名誉の文脈はほとんどない。
こんなに残念なことはあるだろうか。テレビをつければ、大した才能はないが、「東大卒」、「慶應大卒」であるというだけで知識人ぶる芸能人を拝見できる。実社会でも、いい年した社会人が居酒屋でいつまでも出身大学(しかも学部卒!)の話をしている。こんなに学歴が好きなのに、その学歴を獲得した大学に寄付することに名誉意識を感じないようだ。
「寄付」と聞くと、NPOでインターンしていた時に、社会人になっているのに寄付はしないが、現場に来ては口を出したがる数多の「アルムナイ」に遭遇した記憶を思い出す。効果的利他主義の立場に則るなら、彼らは寄付した方がより社会的インパクトはお大きくなっていただろう。
川越敏司『行動経済学の真実』集英社
メディアが報じない行動経済学の真実がここに!と言うと途端に胡散臭くなるが、メディアや政策領域で大いに持て囃された行動経済学を地に足を着ける作業をしている一冊。行動経済学の文脈で話題になった再現性の危機の問題についても丁寧に解説がされている。
そろそろこういう、なんか凄そう、ダイレクトにビジネスに活きそうみたいな感じで学問を使うのを卒業した方がいいと思う。なんか読んでて呆れてしまった。行動経済学自体が悪いんじゃなくて、そのメディアフレーミングが引き起こした問題の要素が大きい。まあ「エリート過剰生産」状態なので仕方ない…
その上で一応丁寧に解説はしてくれているものの、ある程度知っている前提(そもそも全く知らなければこの本を手に取ることもない)で書かれている気がするので他の、それもできるだけ「ビジネスに役立つ!」みたいな煽り方をしている本を読んでからこれを読むといいと思う。(行動)経済学に限らず広く学術とメディアフレーミングにかかる問題が浮かび上がってくる。こんなにすぐに役立つことばかりがありがたがられているのを見ると、資本主義の発展の要因の1つに禁欲的なプロテスタントを挙げた社会学者を疑いたくなる。