見出し画像

#20 僕が小説家になったら

「お尻、さわってもいいかな?」

それは刹那の出来事であったように思う。
あと少しで飲み干すことができたであろう見た目の割に随分と軽いジョッキに注がれたビールを(よくある厚手のガラス製ではなくまるでプラスチックのような素材で これをジョッキと呼ぶことが正しいことなのかどうかは分からないけれど)  あえて飲み干すことなくテーブルにゆっくりと置く動作の最中に僕は彼女にそう言った。

窓の外では強い風が吹いている。今夜はクリスマスイブ。彼女の誕生日でもある。
端から見たら、初対面の僕ら二人は誰も気に留めることがないほどに自然と恋人のようにみえているのかもしれない。ただの日付は時に人と人との関係性を助長する。

サイゼリヤの大きな窓越しに見える木々の揺れが僕に風の強さを教えてくれていた。それはまるでこの地球が必死に緑色の大きな旗を振って"頑張れ 頑張れよ"と僕の背中を押してくれているようにも思えた。

"お尻をさわりたい"______
はじめましてだが どうだろう。あの風は追い風だろうか。あるいは向かい風か。どちらにせよ僕次第だ。速く走りたいのか、高く飛びたいのか。目的によってあの風はいとも簡単に立場を変えてしまう儚いものだ。(少なくとも僕にとってはね)

お尻への到達方法は様々であること、それは先人達の足跡が物語っている。ここにきて無我の境地。なんということだ。万感の思いだ。いよいよ到達したのだ。
あの風の立場がどちら寄りだとしても もはや構わない。僕は今 通常得難い感覚を体験していることを理解していた。
明らかに柔らかそうな適切なサイズ感の魅力的なお尻を目の前にしても、焦ることなく 諦めることもなく 興奮することも冷めることもない。つまり "なんとも思わない"のだ。

おそらく僕はゾーンに入っているのであろう。全てが止まって見え始めている。僕の五感は今 目の前の彼女が辛みチキンの骨と骨の間の肉を舌先を使って器用に食べようとしている姿そのままを、まさにその瞬間を捉え一時停止させたかのように僕の瞳に映し出しているのだ。

ふふっと思わず微笑んでしまいそうになる顔を心の中でぎゅっとつねった。僕はこの木々の揺れが彼女のお尻の揺れへと徐々に変化していくことを、この時点で既に確信していたのだろう。

不思議に思うだろうか。一文字で表すなら理(ことわり)だ。全てに意味があるのだ。
もちろんジョッキをテーブルに置く動作の最中ではなく、ジョッキをテーブルに置いて、呼吸を整え少し間を空けてから「お尻さわってもいいかな?」と伝えることもできた。しかしそれではこちらが意を決して言葉を放ったかのように重く受け取られる可能性があるのだ。

ほんの僅かな余白だとしてもその重みを与えてしまうことで 彼女の心に羞恥心のハードルが立ち並んでしまい、すんなりと「はいどこまでも。おもいっきりさわって下さいアルティメットマン」とはならない可能性があるのだ。
こうした一抹の不安が光の速さで頭をよぎる現象のことを"キスリシオ"というらしい。文字にすると途端に西洋の香りが漂ってくるが、これは自然現象でよくあることだと聞いた。キスリシオは勘に近いものだ。僕らの心の中には小さなキスリシオの種がいつだって存在しているということになる。

そしておそらくこの僕の頭をよぎった勘のようなものキスリシオは、そう大きくは外れていないと考えている。時にタイミングというものは重要で、同じ言葉だとしても口から発するタイミングの選択ミスによりお尻を鷲掴みできなくなる可能性があるということを僕は経験上知っている。
そのタイミングというのは、大縄飛びでなかなか縄の中に飛び込めずにその場でおどおどしている子供がいるとして、その子供の話は今は関係ない。

つまりそれらを理解した上で 僕はあえてタイミングを早めて伝えた、というわけだ。それはプロボクサーが放つノーモーションのジャブのように。

"今からジャブを打ちますよ"
では駄目なのだ。
"もう打ち終わっています"
これはまさに達人の領域に近いかもしれない。

ジョッキに僅かに残ったビール。まるでジョッキに僅かに残ったビールかのようなそれを飲み干すことは 僕にとってイージーゲームであることを彼女は簡単なゲームであることとあわせて理解していた。あるいは彼女もそれを理解していたのかもしれない。

さて、あえて飲み干すことなく僅かに残したこのビール。もしも飲み干していたとしたらどうだろう。おそらくそこには一種の"区切り"のような線が引かれてしまっていたと思う。
「まだなにか飲む?」「このチキン食べたらそろそろ行こうか」などの、僕にとってはおよそお尻とは無関係な、非常に厄介で不必要な思考を彼女は生み出すことになっていただろう。考えただけでも身震いがする。

負けられない戦いがここにはある。
信じ難い話ではあるが、人はそうした渦の中にいても今この瞬間が"負けられない戦いである"、ということに気付けないことがあるらしい。しかし僕は明らかに今この瞬間がターニングポイントであると気付いていた。気付いていたのだ。夢の中で"これは夢だ"と気付けたかのような感覚に近いかもしれない。

自分でもこわいくらいに冷静だ。止まって見える。
チキンをむさぼる彼女の口内で糸を引く一本の唾液の線が放つ光沢まで鮮明に見えている。
時は来た。いける。今だ。僕は小さく頷いた。

「お尻、さわってもいいかな?」

「……。(息を吸う音)

彼女はほんの少しだけ思案したかのような表情をみせてから、僕の目ではなくジョッキにわざとらしく僅かに残されたビールの、その黄金色に輝く丸い表面を見つめながら息を吸って口を開いた。いや正確には開きかけた。あるいは見逃していただけで既に開き終えたところを見て"開きかけた"と誤解してしまったのかもしれない。それは今となっては定かではない。
いやあるいはあるいは彼女は意を決した時に半開きの口になる癖があるとして、あるいはそれは彼女が無意識に抱えている大切な股間の響きに近いあるいはなのかもしれない。
あらゆる可能性を排除できない小説家特有の思考を手に入れた自分を呪うことになるのはまた別のお話だ。


僕はもう元には戻れないと悟った。引っ越しし過ぎて元々住んでいた場所を忘れたのだ。繰り返しの美学の終焉が訪れたのであろう。むしろ居心地が良い。

ペペロンチーノの香りが漂ってきた。ニンニクの断末魔の叫びが聞こえてくる。それは例えるならそう遠くない未来に運命的な出会いを果たす軽はずみな猿の卑猥な喘ぎ声のようだ。(これが正確な表現かどうかは分からないけれど)

窓の外は風が吹いている。木々が旗を振っている。

時間は形を取り戻した。

彼女が声を出す。今、


風向きが変わった。



最後まで読んで下さいましてありがとうございました。今後も小説家である自分に誇りをもって全力で歩みつつ真摯に腰を振ってまいりたいと思います。

またね。(オーイ)

これなに?