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ものレボSaaSの0→1ストーリー~MVPはPDFの紙芝居からスタート~

こんにちは!
製造業向けSaaSを展開するものレボ株式会社のCEO細井です。
今回は現在の当社の主力SaaSである「ものレボ工程管理」がなぜ、どうやって生み出されたのかを語ります。


ものレボ創業の目的

プロダクトの0→1を語る前にものレボ株式会社の0→1を簡単に伝えます。
学生時代に歴史に残る革命を起こそう起業を決意。就職を経て、ものレボ株式会社を1人で創業しました。

創業の目的は産業革命と呼ばれることをすること。

創業直後は仲間もお金も信用もお客様もいないので、これらをカバーすべく基本に立ち返り「お客様の立場に立って誠実に考え、独自の技術で価値提供してきっちり稼ぎ、信じてくれた人への感謝を忘れない。でもナメられないように常に勝気は出して行く。」ということを指針として行動していました。

この目的と指針が現在の企業理念となっています。

この起業ストーリーを詳しく知りたい方は下記を読んでみて下さい。

事業ドメインの決定

起業前に就職したのは自動車産業のメガサプライヤーであるアイシン精機株式会社でした。ここでグローバルな仕事をさせてもらえたおかげで世界的な製造業の潮流を感じることができ、賛同する人がほとんどいない大切な真実を見つけました。

「世の中のほとんどは第四次産業革命は大企業の工場から始まると信じているが、真実は無数の中小工場から有機的に始まる」という真実です。

そこで、起業目的である産業革命のターゲットを中小製造業が担っている少量多品種生産のサプライチェーンとすることにしました。

自身が体験したペインポイント

ターゲットが決まれば次は事業内容です。

事業内容は私の原体験から決めました。私は自動車の基幹部品の生産技術者として国内外で新しい生産ラインを立上げるプロジェクトに参画していました。こういったプロジェクトの終盤では生産ラインに配備する治具と呼ばれる世界で一つのフルオーダーメイド品を一度に数百点手配します。

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治具はフルオーダーメイドなので設計図面を知り合いの加工屋さん(いわゆる少人数で営む町工場)に送って製作してもらいます。しかし数百点の治具を短納期で製作となると小規模な加工屋さんは「ありがたいけど、2週間とかの短納期で全部はムリだよ~」と断ってしまいます。普段お付き合いのある加工屋さんは片手で数えられる程度です。これらの加工屋さんになんとか仕事を分散しても数十点の設計図面が行き場を失っている状態でした。

そこでどうしたか。普段からの仕入先の商社さんに頼んで、数十点の設計図面を複数の加工屋さんにFAXで絨毯爆撃するという非効率なことをしてもらっていました。結局2週間の手配リードタイムの内1週間近くを見積り待ちということになり、すべての治具が計画どうり調達できない事態になりました。。。これが私が解決したいペインです。

自身のペイン解決を事業に

一方、新聞に目をやると日本の他の地域ではリーマンショックの煽りを受けており、地域の加工屋さんの仕事がなさすぎて潰れそうなので国が緊急融資を実行していました。普段つきあいのある近場の加工屋さんは断るくらい仕事がパンパンなのに山を一つ越えた隣の地域では同じ加工屋さんが仕事がなくて困ってる。

BtoCビジネスではAMAZONがロングテール化している時代においてなんと不条理な。これらの加工屋さんに仕事お願いできないだろうか。治具の製造をお願いしたい者と治具を加工できる者をつなぐBtoBマーケットプレイスやプラットフォームがあっても良いではないか。

これが、最初の事業のアイデアです。

しかも世界では新興国が台頭しどんどん多様化が進んでいます。それを受けてこれからの製造業では多様なニーズにきめ細かく応える少量多品種に特化したサプライチェーンが重要になるのではないか。

しかも、治工具等の部品加工を請け負う加工屋の総出荷額は世界で150兆円、日本で15兆円もあるので事業インパクトは革命レベル!

ファーストプロダクト

成長性、市場規模も十分すぎるということでまず私が立ち上げたプロダクトのはものづくりのクラウドソーシングです。

それがファーストプロダクトである今すぐ治具などの一品物の加工を依頼したい人と加工屋さんの空き時間をマッチングするサービス「ものづくりクラウド」!

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ITプロダクト開発は初めてだったので要件定義の本を買って自分で要件定義し、製造は地元のITベンダーにお願いしてウォーターフォールで開発しました。(これが大きな間違いだった)

しかも、資本金300万円の9割超にもなる277万円を投資しました。(これは自分を追い込めたので結果的にはよかった)

計画では立上げ直後からすごい勢いで成長して3年程度でGAFAを超える予定でした。

が、現実はプラットフォームの立上げ戦略すら持たずに勢いで立ち上げてしまったこのサイトを上手くグロースさせる前に資金難に陥りましたw

潜在的なペインの発見から

とりあえず何でもいいから稼ぐために、「ものづくりクラウド」の営業も兼ねて京都・大阪の町工場に頻繁に出入りさせてもらっていました。

時間は好きなだけ使えるので製造現場を見させてもらって少量多品種ならではの現場のしくみを理解し、何か価値を発揮できそうなことはないかを模索しました。

どの会社もほぼ受注生産だったので、ものづくりに必要な情報の起点は営業や生産管理を介して届く顧客からの納期や図面といった注文内容です。情報の媒体は大体紙です。ここまではどの会社も同じです。

しかし、情報が届いた後にものづくりを実行して出荷するまでのプロセスは会社によって全然異なってました。今何やってるか一部の人しか分からないレベルからエクセルやホワイトボードできっちり予実管理しているレベルまで色々でした。共通点は現場は属人的なアナログ管理である点。

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少量多品種生産においてものと情報の流れを制御することで、多量の受注品を納期どおりに生産・出荷するだけでなく、そのための管理品質を一定水準にした上で保有工程と作業者を最適に稼働させることが潜在的なニーズであることに気が付きました。これは日々厳しくなる要求に対応するため の生産性の向上という潜在的なペインです。

ピボット

私が発見した潜在的なペインについて顧客へのヒヤリングを進め、顧客にペインを認知してもらいつつ私はペインの理解を深めました。そしてどういうツールがあればペインを解決できるか解像度を上げ、解決ツールを探し始めました。

ところが、顧客のペインをターゲットにした有効な解決ツールが全然見つかりませんでした。

私は技術者なので当たり前のように「世の中に無いなら自分が開発しよう!」と考え、新しく企画したのが少量多品種の工程管理に特化した管理ツールです。

これが現在の当社の主力プロダクトの起源です。

このプロダクトは、ブラウザで動くWebアプリで提供し、ライセンス販売ではなく利用料というかたちで月額費用をいただくビジネスモデルにしました。(当時はSaaSという言葉を知らなかったのでブラウザで動くWebアプリと呼んでました)

ブラウザで動くWebアプリとしてプロダクトを提供する目的
・顧客との関係を継続しつづけることでアプリを絶え間なく改善する
・顧客データを通じて顧客と繋がり続けることで一度頓挫したマッチングプラットフォームに再チャレンジし将来的に新しい価値体験を提供する
・顧客側のハードウェア等の制約を最小化することで導入しやすくする
・顧客側の費用対効果をイメージしやすくすることで導入しやすくする
・当社の開発・管理するリソースを最小化する

下の画像は当時の企画書の一部です。この記事を執筆した5年半前の企画ですが、例えばAIによる作業見積の自働化など未だ実装できていませんが、ちょうど現在社内でプロダクトマネージャとCTOが議論している内容です。

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今思えば顧客との接点の考え方もビジネスモデルもビジネスの拡張性もまさにSaaSそのものの考え方でしたw
そして、これが当社の革命へのロードマップの礎になります。

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MVPによる仮説検証

さて、解決すべき課題の発見と最高の解決方法の仮説を立てましたが開発するお金がありませんw

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そこで、エクセルでプロダクトの仮説と画面イメージを作ったものをPDF化して顧客の元に持っていき紙芝居をしながらペインの解決方法の検証を進めることにしました。(パワポ買うお金もなかった)

今思えばこのPDFがものレボのMVPでした。

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プロダクト(といってもPDFによる紙芝居)による仮説検証(当時付き合ってくれた町工場の人たちには感謝しかない)を10か月くらい続けて猛スピードで仕様を改善していきました。

そして、仮説検証を回す中でどうしても検証したいUXがあったので知り合いに頼んでhtmlペラ1枚の画面を作りました。DBもない画面1枚がものレボ工程管理のWebでのファーストリリースです。

170131生産スケジューラ開発画面

更新するたびに同じ画面に戻るので検証が簡単でしたw
ただ、このペラ1枚で検証したUXのインパクトはすごくて顧客の反応が一機に変わりました。

ベータ版のリリース

当時出入りしていた町工場にプロダクトを創ったら実務で検証してくれるか確認したところ十数社が手を挙げてくれたので、いよいよプロダクト開発することになりました。(この頃は大手メーカー相手に生産技術コンサルや生産設備の開発で稼いでいたのでベータ版の開発余力があった)

「ものづくりクラウド」を作ってくれたITベンダーに頼んでエンジニアを3か月間うち専任にアサインしてもらう契約をしました。さらに、その会社さんのエンジニアの横に私の席を用意してもらいました。(お金を払って仕入先に常駐するとか業界を逆行していたと思いますがこれは正解でした)

そこからは仮説検証で使ったエクセルを元に開発してもらいながら、私自身は客先とエンジニアの隣の席を往復する毎日を過ごしました。

客先に行くたびに仕様変更する勢いでしたが、きっちり3か月でプロダクトをリリースしてくれたエンジニアはかなりイケてました。感謝しかない。(もしこのnoteを読んだら連絡下さい)

無事ベータ版をリリースし、顧客に導入して評価してもらえるようになりました。

初めてのマネタイズ

数十社の顧客工場でのプロダクトのベータ版の検証と改善に1年4か月かけました。

この期間に様々な問題とブレイクスルーがありました。

当社プロダクトである工程管理は製造現場で使うものです。ある日、製造現場の人がITそのものが触れない(拒否反応に近い)ため運用ができないといった問題が発生しました。

何か良い方法はないかと現場の人の動きを観察していると共通点がありました。ものづくりには必ず"ものと情報の流れ"があります。その流れをルール化し可視化することで流れを管理できるようにするのが我々の工程管理です。そして、現場で古くから"もの"に紐づいている"情報"は紙です。紙は必ずものと一緒に流れます。

その紙の動きをハードウェアで検知することで、現場の人がITを触らなくてもリアルタイムで"ものと情報の流れ"を可視化できることに気が付きました。

それが、ものレボ謹製「いきなりIoT」です。

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どんな工場でも今までどおり紙の運用しながらいきなりIoT化いきなりIoT化できるのが名前の由来です。

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当時一緒に働いていた超優秀な学生アルバイトにお願いして1か月でプロトタイプを開発しました。(これも感謝しかない)

これは顧客に最高の驚き体験をもたらし、そしてピッチイベントや展示会やセミナー等でちょっとバズりましたw

おかげで日経産業新聞の一面に載ったりと一気に「いきなりIoT」の知名度があがりました。

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ただ、皮肉にも「いきなりIoT」を現場に配備したら現場の人はPCやタブレットでも簡単に操作できるしいらないと言ってしまう始末でした。(嬉しいことですが)

そして人気者の「いきなりIoT」はマーケットツールにピボットしました。

その間、初めてのエクイティファイナンスを実施したり現COOの松下(元アイシン精機の同期&隣のチーム)を東京まで口説きにいったりしてました。松下COOがジョインした話に興味があれば下記も読んでみて下さい。

そんな感じでベータ版の評価と改善を最初は数十社でスタートしましたが、評価を進める中でどんどん脱落して行き最終的には2社が継続利用している状態でした。

松下COOが正式に取締役COOとして当社にジョインしたちょうどその月に、初めて継続利用している顧客2社に対して初期費用100万円と月額2万円を払っても使い続けたいか判断してもらうことにしました。

この時の設定した初期費用100万円は本気度を測るための精神的なハードルです。

この判断を顧客に求める前に私と松下は一緒にドキドキしていたのを覚えています。

そしていよいよ顧客の元に言って伝えました。

なんと、2社とも言い値でOKしてくれました!!!

これが「ものレボ工程管理」の初のマネタイズです。(なぜか初めて売れたときの風景は思い出せません)

リリース後

プロダクトが飛ぶように売れたら我々のリソースが追いつけないという理由で、精神的ハードルの初期費用100万円を残してイノベーターやアーリーアダプターと呼ばれる顧客にターゲットを絞って販売開始しました。

そして、全然売れませんでしたw

このあたりのハードシングスはいつか松下COOがnoteにしてくれるでしょう。期待してます。

ただ、リリース後にも嬉しかったことはたくさんあって、ベータ版で実証実験をしてくれていた顧客が2社新たにユーザーになってくれたり(今も超仲良し)、新規顧客が少しずつ増えてきたり、口コミで問合せが来たり、海外の工場に導入されたり、競合にパクられたり(プロダクトだけでなくLPまで丸パクリされたw)と少しずつ我々の影響範囲が広がってきたことが楽しかったです。

この記事を書いている今は顧客も100社以上になり、国内だけでなく海外にもチームを抱えてチーム一丸でPMF達成に向けて最後の踏ん張りをしています。Thank you so much!

振り返り

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今でこそSaaSのビジネスモデル"アントレプレナーの教科書"に書かれている"顧客開発"というメソッドがあることを知っていますが、当時は何も知りませんでした。

当時はMVPという言葉も知らなかったけど、前職では機械系の技術屋で後工程が使える技術開発・リリース・オンボーディングという体験をたくさん積んできたこととお金がまったくない中で目的に立ち返った行動が、いわゆる顧客開発のステップに沿って死ぬことなく無事売れるプロダクトをリリースできた理由と思ってます。

また、創業当初よりブレないビジョンを描いてたことが、ピボットしようがビジョン達成に再挑戦するため"ブラウザで動くWebアプリ"を創るという新しいビジネスモデルにチャレンジできた理由と思ってます。

当時、ピッチイベントで「御社のビジネスモデルはSaaSですか?」と聞かれたときに「?」となったのが懐かしいです。

SaaSの成長とプラットフォームへの展開で仲間を募集してます

現在我々は一丸となってSaaSのPMFを乗り越えることと、プラットフォームのPoC(PDF駆使できるかも)を進めてます。
そんな我々と一緒に歴史を変える一大チャレンジに興味ある方は是非私までDMをお願いします!!!

追伸
当社の組織体制に興味がある方は松下COOのnoteを読んでみて下さい。


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