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絶望と言いながら

「隣の芝生は青く見える」というけれど、本当に「隣の芝生だから」青く見えているのか、もしくは誰が見てもこっちの芝生より隣の芝生の方が青く見えているのか、よくわからなくなってきてしまった。
私の場合、おそらくほとんどは後者の方だろう。
自分は何をやっても中途半端だなぁと、最近よく思う。
これだけは自信を持って、胸を張ってできると言えるようなことなんてなく、あっちを向いたりこっちを向いたりしながら、その度に「もしかしたら、これなら」という期待を抱いては、まんまと裏切られる。
私の人生とは、今までも、そしてこれからもそういうふうに進んでいくのだろうかと考えると、軽い絶望が脳裏をかすめる。

phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』という本を読んだ。
もしうちの父親におすすめしたなら、一ページ目から「なんやこれ、しょうもない」と言って投げ出しそうな、そんな本だった。
要するに、私はかなり面白く読ませていただいた。

若干27歳の若造が何を言っているんだと叱られるかもしれないが、私はすでに、精神的には「中年」に差し掛かっているといっても過言ではないと思っている。とにかく、「あきらめ」感がすごいのだ。
まだまだ若い(といっても腰の痛みは老人並みの)身体が「おいおい、お前俺に比べて先急ぎすぎるなよ」とツッコミを入れるんじゃないかと思うほど、精神の「中年化」が激しい自覚がある。
「中年クライシス」、ちょっとわかるもんなあ。

朝早く起きたり、多少無理をして頑張ろうという気持ちが年々薄れてきた。頑張る前からすでに限界が見えるというか、「あ、これ私無理なやつや」という予感がしてしまう。とにかく、やる前から結果がわかってしまうようで、挑戦すること自体が億劫になってしまっている。
でもそれも悪いことばかりではなくて、一方では、以前は何かを生み出そうとするとき(主に文章、ときどき音楽)「完璧じゃないと発表できない!」と思って時間をかけていたことが、今では「中途半端でもいいから外に出してしまおう」という心持ちになって、少し楽になったと思うこともできる。
完璧じゃなくてもそこそこ楽しめるし、それなりに反応をもらうこともできるということに気づいたのだ。(これが本当にいいことなのかどうかは、意見が分かれるところだが)

そしてphaさんの文章は、そんな私の「中年」的な感覚に妙にフィットする。
書かれている内容はまさに絶望そのものなのに、なぜか文体からは絶望感が感じられず、むしろどこか明るさが漂っている。
実はこの本、読み終わった瞬間にメルカリで売ってしまったのでディティールまではよく覚えてないのだが(すいません…)、「退屈な日常に面白さを見出そう!」とか、「年を重ねたからこそ見えてきたものがある」とか、年を取ることで得られるポジティブな要素についてはほとんど書いてなかった気がする。
タイトルから想像できる通り、内容自体はめっちゃ暗い。読む人によっては、かなりキツいと感じる部分もあるだろう。
だけど不思議なことに、何度も出てきた(気がする)「絶望」という文字に、一切の絶望感が感じられなかったのだ。まるで、もしかしてこの世界には「絶望」なんてものはないのではないか?と思ってしまうくらいに。

絶望絶望と言いながら、実のところ、私はまだ全てを諦めきれていないのだと思う。相変わらず隣の芝は青く見えるし、どこに向かって生きているのかすら自覚がないけど、それでもときどき、何かが変わるかもしれないという微かな予感が胸をよぎることもある。
大きな期待ではなく、ほんの些細な希望のようなものだけど、もしかしたら、その感覚に従ってみた先に思いがけない風景に出会えるかもしれない。そんな曖昧で淡い思いを抱えながら、私は今日も生きている。


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