褒められるのが苦手な僕が、それをフリにして笑いに変えようと思った話
こんにちは。
この記事は、人の言葉を受け取るのが苦手な僕が、それを利用して盛り上げることができないか考えた記事です。
「褒められるのが苦手」「褒められたときの返答に困る」などを思っている方には、面白く読んでいただけるかもしれません。
「声が良い」と褒められ続けた、とある男性の話です。
言葉をうまく受け取れないことがあります。
僕の仕事の関係もありますが「声、良いですね」と言われることがあります。自分が努力していることなので、言われるととても嬉しいです。(もっと言ってほしいくらい)
しかし油断すると、つい「いや、僕なんて全然良くないですよ」と思っていることと言っていることが、あべこべなことがあります。
必要以上にへりくだってしまったり、誰かと比べてしまったりして、自分を守ろうとしている機能が働いているような気がしているのです。
このとき僕は「あぁ、俺って、言葉の受け取り方が下手だな」と思い、さらに自己嫌悪に陥ってしまうことが多々ありました。
なんでこんなにも自分は、人の言葉を受け取るのが下手なんだろうと思い、少し考察してみることにしました。
過剰にへりくだってしまう
まず、受け取り側の要素です。
様々な要素があると思いますが、そのひとつに、過剰にへりくだってしまうことがあります。
たとえば、「声、良いですね」と言われたとき、自分の心の中に、ポコポコ浮かび上がってくる言葉あります。
「いや、僕より良い声の人ってたくさんいるし、自分なんて・・・」
「肯定しちゃうと、失礼に思われるんじゃないか」
「あまり過大評価されるのも怖い」
など、以上のようなことが、思い浮かびます。
そしてその後、「ありがとうございます」の言葉ではなく、「いや、僕なんて全然良くないですよ」と、相手が良かれと思って声をかけてくれたことを、ばっさり否定してしまい、変な空気になってしまったことが多々ありました。
過剰にへりくだってしまうと、迷惑行為になることがあります。過剰に自分の価値を下げるやり取りをしていると、相手が、次にどんな言葉をかけていいかわからなくなるからです。
仮に僕が、「自分の声が良くない」ということを証明するために、力説したところで、何が生まれるでしょう。望まないディベートをはじめ、ただ僕が、「自分の声が良くない」と論破しただけになります。
こんな嫌な気持ちになるために、声をかけてくれたわけではないと思うのです。
謙虚の「虚」には、からっぽという意味があります。自分がどう思われているかは、すこし横においておいて、そのまま相手の言葉を受け取れることが、「謙虚」なのかもしれません。
ほんとうの自分は違う
ちなみに、この手の話をしていると、「あなたは良いと思ったかもそれないけど、"ほんとう"は違う」という言葉もよく聞きます。”ほんとう”ということにこだわりがある。
これは、「誤解されたくない」とか、「過大評価されたくない」などから出てくる言葉だと思うのですが、僕は、本当のことを見極めるのは難しいことだと思っています。そして、それを相手に委ねることも。
そもそも、"ほんとう"とは何なんでしょうか?
もし、あなたがそう思っていることがすべて真実だとしたら、相手が思っていることもすべて真実だということになります。
「真実はいつもひとつ」ではなく、もしかしたら「人の数だけ」あるのかもしれません。
そもそも評価されたくない
次に「そもそも評価されたくない」ということがあると思います。
褒め言葉には、少なからず「評価」の要素があります。
「褒めるときはみんなの前で、叱るときは個別で」とよく言われてきました。おそらく配慮からきていることだと思うのですが、僕は、みんなの前で褒められるのが、苦手でした。
「目立ちたくない」
「期待してほしくない」
「そういう対象としてみないでほしい」
など、みんなの前で褒められているとき、そんなことを思っていました。
あなたは「優」。あなたは「良」。あなたは「可」など、人間性に成績がつけられている気分でした。みんなの前で、わざわざ区別しないでほしいと思っていました。
しかし、多くの人は、きっと「褒め言葉」を「評価」だとは思っていないと思います。なので、実際は、評価されているわけではないと思うのです。
どちらかというと、「事実の承認」に近い。
ただ、肯定してくれた、それだけなのかもしれません。
なので、もし評価されたくないという思いから、言葉がうまく受け取れない人は「評価」ではなく「承認」だと思えば、うまく受け取れるかもしれません。
その先にあるのが、心が固まったままの「ありがとうございます」だとしても、それは大きな一歩だと思います。
わかりやすい褒め言葉は受け取りにくい
少し変わりまして、言葉を発する側の要素の話をさせてください。
そもそも何でこんなに受け取りにくいんだろう、と思ったとき、言葉を発す側にも原因があるのではないかと思いました。キャッチボールで言えば、ものすごい暴投しているのではないか、ということです。
その中のひとつに、「わかりやすい褒め言葉」があると思います。言い換えると「その人が理解できていて、他の人も理解できている褒め言葉」になります。
たとえば、
「かわいい人にかわいい」と言う。
「かっこいい人にかっこいい」と言う。
「スタイルがいい人に、スタイルがいい」と言う。
など、以上があります。
これは、誰からみてもわかりやすい、浅い部分しか見てくれていないのかなと思ってしまいます。
少し話がずれますが、子供のころ「足が速い」「明るい」「背が高い」だけで、モテたりすることがありました。それは、その人の良さがわかりやすかったからだと思います。
逆に大人になると、「足が速い」だけではモテません。仕事や年収、家族構成など、様々な要素が追加され、その人の良さは見えにくくなります。
わかりやすさとは、マグカップの取っ手のようなもの。子供がみてもわかりやすく、接しやすい部分を褒めても、なかなか人には響きにくく、受け取りにくいものです。
「絶対言われ慣れてるよね」
少し僕の話に戻しますが、コロナ禍になり、クラブハウスやXスペース、ZOOMなど、音声だけでやりとりする機会が増えてきたころの話です。
直接お会いしたことない人とも会話する機会があり、「声、良いですね」と言われることが多くなってきました。僕は、少し固い声ではあるものの、「ありがとうございます」と言えるようになってきていました。
すると、
「声がいいって、絶対言われ慣れてますよね」
と言われました。
僕は急な言葉に「そんなことないですよ」と、言っていました。
その人は、僕の反応のせいか、少し不機嫌そうにしばらく話したあと、スペースから落ちました。
今だから正直に言えるのですが、めちゃめちゃ言われ慣れていました・・・(笑)
つまり、僕によっては、わかりやすい褒め言葉になりつつある言葉になっていました。
少し面倒なことを言うのですが、もっと話を聞いてもらって、もっと具体的に褒めてほしいのです。
「かわいい」も「きれい」も「声がいい」も、誰かに使い回せる言葉ではなく、私だけに向けられた言葉をかけてほしいのです。
自分の真ん中に向けて投げられた言葉は、意識せずとも受け取れると思います。
それをフリにして、笑いにできないか
言葉を受け取る側のマインドや、発する側の事情などを考慮しても、なお僕は、満足いく受け取り方ができないでいました。もういっそのこと、それを利用して、笑いに変えることはできないのか、模索しはじめました。言葉を与えられる側ではなく、それを利用して与える側にまわる。逆襲です。
その一部をご紹介します。
たとえば・・・
①とある飲み会の席
A「◯◯さんって、かっこいいですね」
B「そんなことないですよ。もっと言ってください」
説明すると、Aさんがなにかしたら、褒めてくれたとします。Bさんは、「一度、そんなことない」と謙遜しますが、その後に、「もっと言ってください」と再度おかわりを要求しましょう。Aさんの発言をフリに、少し場を盛り上げることができます。
②とあるオフィスの会議室で
A「◯◯さんって、めちゃめちゃ仕事できますね」
B「めちゃめちゃ仕事できるじゃないんですよ。めちゃめちゃめっちゃ仕事できるんです。」
説明すると、Aさんがなにかしたら、褒めてくれたとします。Bさんは、一度軽く否定しますが、その後に、さらに強調して肯定して返す方法です。「超」や「ガチ」など、強調語をよく使用する人に対して、少し場を盛り上げることができます。
さいごに
本来であれば、褒め言葉をかけられたとき、にっこり笑顔で「ありがとうございます」と言えるのがいいと思います。
それは、褒め言葉は、その人の主観が多く入っていると思っているからです。自分の気持ちも肯定しつつ、相手がそう思ってくれた気持ちも肯定できるように振る舞えるようになれば、さらなる与える側になれると思っています。
そんな言葉を重ねていきながら、よりよい関係が築けるといいなぁと思っています。
おしまい。
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