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或るベーカリーの広告のこと

世界中が心配している非常事態。わたしも、先日つぶやいたように、このウクライナ情勢がずっと気になっている。

あれから2週間が過ぎた。刻一刻と状況が変わる。おおくの国々によるロシアへの経済制裁を考えれば、すでに世界大戦だとの見方もある。ロシア側、というか非米欧側にはとくに不穏な動きが出てきた。日本をふくめ、どの国や地域にいつ飛び火するかわからない。

2月24日以来、いろんな国の報道を追っている。とくにヨーロッパ諸国は地続きなだけあって、日本の報道とは緊迫感がまったくちがう。現地からの生々しい情報にくわえ、専門家による客観的な分析が常にアップデートされる。目が離せない。

こうした情勢では、各国の立場でのプロパガンダがつきもの。それぞれの国、それぞれの政治的立場で”正義”はことなっている。流される情報には嘘も誇張もある。すべてが情報戦の一部。そう思うと、ソーシャルメディアでの共有・言及にも躊躇してしまう。

だから、このnoteでは素人のわたしがこの情勢について無責任に述べるようなことはしない。

わたしはウクライナに渡航したことはないのだけど、まったく縁がなかったわけではない。今回は、そのウクライナとの縁について書くことにする。

わたしは2005年のはじめから毎日絵を描いて「一日一画」としてネット公開している。現在の固定記事でも触れたとおり、最多の題材はパン。なかでもフランスパンなどの硬いパンがほとんど。

わたしは毎日絵を描いてブログとソーシャルメディアに載せている。なかには、パンのように400回以上描いているモチーフがある。もう連作と呼んでもよいだろう。

2021年11月20日付け拙note「連作から見えてくるものは・・・」より

10年前の2012年。ネットで毎日の絵を公開していたことが縁で、わたしのパンの絵がとあるベーカリーの宣伝に使われることになった。

ロシアとウクライナに店舗展開するベーカリー、ヴォルコンスキー。

ヴォルコンスキー・ウクライナでマーケティング・マネジャーをしているベラさんというかたから連絡があった。礼儀正しく丁寧な英文メールだった。

「キエフ(キーウ)に新店舗を開店します。その宣伝に、あなたのバゲットの絵をつかわせてくれませんか」
そのメールには、わたしが2009年に描いた作品の画像が添付されていた。

当時、わたしはモンゴルに住んでいた。その作品は渡航前に描いたもの。作品自体は日本に置いてきたので、わたしの手元にはなかった。

その事実を伝えると、
「高解像度のデジタルデータがあれば、それを買わせてください。予算は○○ドル」
との返事。

たしかに宣伝につかうのなら作品自体がなくても良いわけだ。作品そのものの売買しか念頭になかったので、この提案にはちょっと驚いた。

わたしはこの種のデジタルデータの価格相場には明るくない。結局、「今回のみの使用に限る」との覚書を交わして、先方の提示額で画像データを販売した。わたしの作品は新店舗を宣伝するポストカードにデザインされた。このnote記事のヘッダ画像がそれだ。

ポストカードの両面。マーカー部分にアーティストとしてわたしの名前が書かれてある。

当時、ソ連崩壊から20年あまり。わたしが住んでいたモンゴルも、ウクライナの独立とほぼおなじタイミングで民主化された旧社会主義国だ。生活のいたるところででくわす共産圏の名残。わたしたち家族にとっては驚きに満ちていた。

ベラさんとのやりとり、ベーカリーの写真やポストカードデザインには、モンゴルに残っていた旧共産圏の雰囲気はなかった。ヨーロッパに位置するウクライナでは、モンゴルよりも急速に西側文化が浸透していたのだろうか。実際のところはわからないけど、そんな感じがした。

その後、チェーン店共通のキャンペーンにも別の作品3点をつかってもらえた。どれも色画用紙に描いた作品。その背景色をいかしたデザインだった。

キャンペーンのカード3種類にあしらわれているのが、わたしのオイルパステル画。

その後の2014年クリミア危機が影響したのかどうかわからない。わたしの作品をつかってもらえたのはこれが最後だ。

どうやらベラさんは担当をはなれたようだった。

その後ベラさんは双子を出産。彼女のソーシャルメディアには子育ての様子が頻繁に伝えられるようになった。たまにベーカリーの写真もあがっていたので、そのうち仕事に復帰されるのかもしれない。またパンの絵をつかってもらえるとありがたいなぁと思いながら、わたしは時折ベーカリーの写真に「いいね」をつけている。

ベラさんはジョージア出身。戦争でトビリシをはなれてキエフに移住したらしい。ヴォルコンスキーは、フランス人がロシアとウクライナではじめたベーカリーとのこと。民主化後のウクライナでロシアにもあるベーカリーで仕事をされていたのだから、きっと平和な時代の到来を信じていたことだろう。

しかし国と民間の感覚がおなじとは限らないのはどこもおなじ。

いま、ロシア軍がウクライナに侵攻している。彼女はジョージアでもロシア軍の侵攻に巻き込まれたのだから、これで2度目。最近のソーシャルメディアでは、地下鉄の駅に避難したときの様子が載せられていた。自身と家族の無事を伝えるとともに状況に負けない意志が綴られていた。

ウクライナ国旗🇺🇦の青と黄色、このナショナルカラーをよく目にするようになった。黄色は小麦畑の色。地政学的な要衝にあることにくわえて、肥沃だからこそ、これまで何度も何度も周辺の国ぐにからの侵攻にさらされてきた歴史がある。

わたしが監修した『国旗の図鑑2ヨーロッパと南北アメリカの国旗』(2020年、あかね書房)より

ナショナルカラーにもなっている小麦。小麦からつくられるパン。それをつくるベーカリーに縁があったというのは、象徴的かもしれない。

戦火にさらされていても、毎日の食糧は欠かすことができない。

キエフのベーカリー、ヴォルコンスキーのソーシャルメディアには毎日、やきたてのパンの写真と各店舗の営業時間がアップロードされている。ベーカリーの営業時間の案内をとおして、当地の無事を知る、そんな状況がつづいている。

10年間相互フォローをしているヴォルコンスキーのソーシャルメディア。毎日営業時間が発表されるようになったのはここ2週間のことだ。それを見ながら、わたしには心配することしかできない。

どうか一日もはやく平和が戻ってほしい。

この戦争が終われば、どのような形で終わるにせよ、国の体制や周辺国との関係もおおきく変わることだろう。だけど、そこに人びとの生活があることは変わらない。ヴォルコンスキーも変わらずパンを焼き続けられるだろうか。最低限の糧としてではなく、人びとの心までを満たすパンを売りつづけられるだろうか。

昨日たまたま外出先でベーカリーに立ち寄った。バゲットを買った。10年前にヴォルコンスキーのポストカードにつかわれた作品を思い出し、おなじ構図でバゲットを描いた。ウクライナに平和がもどったら、パンの絵を描いて平和を祝福したい。

3月15日追記:
ヴォルコンスキーについて、「ロシア系列のベーカリー」と書いていましたが、誤りだったため「フランス人がロシアとウクライナではじめたベーカリー」と改めました。また、ベラさんは子供たちと友人とともにウクライナから陸路ドイツに向かわれているとのことです。

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