前田祐介

旋盤工として生計を立てている、今年(2024年)40歳になるアラフォーです。 39歳の…

前田祐介

旋盤工として生計を立てている、今年(2024年)40歳になるアラフォーです。 39歳の春に急性肝炎で入院したことをきっかけに、死について考えるようになり、自身と向き合う中で、 昔抱いた夢が忘れられていない事に気付きました。 ここから一歩ずつ進んでいく過程を記録に残そうと思います。

最近の記事

旋盤加工の奥深さにハマる

旋盤の仕事は初めから出来ました。 こう書くと職人から怒られそうですが、旋盤加工が簡単とかそういう意味ではなく、今まで経験してきたどの仕事より、自分に合っていたということです。 なかなか旋盤を触らせてもらえなかった間に切削加工に関するいくつかの書籍を購入して読んでいたため、手取り足取り教えてくれない職人が話す事もなんとか理解できましたし、何より旋盤のハンドルを握り金属を削ることが楽しかったんです。 旋盤加工で使用する工具は多岐に渡り、用途も形もバラバラで、目の前の図面を読み

    • 夢と職人

      京都へ戻るとすぐにこれからどうするか考え始めました。 独自の方法で独立時計師になると決めて帰ってきたのはいいけど、一体どうする? 完全に崩壊している家族の元へ帰るのは心底嫌で、自分から戻ってきたくせに一秒でも早く離れたいと思ってました。 家族からは離れたいし、独立時計師にもなりたい。 やはり働くしかない。働いて一人暮らしをするしかない、とありきたりな結論に辿り着きます。 夢に近づくオリジナルの方法はなにか、そもそも機械式時計というのはいくつもの小さい部品が組み合わされて出

      • 逃げる夢と

        派遣社員として入社してきた彼女は明るいオーラを放っており、今まで出会った人達とは違う雰囲気を持っていました。 いるだけで周りの人達が元気になる、愛らしい表情と声。小柄であるのに存在感があり自信に満ちている。 今までの人生を全て肯定して生きているような姿に一目惚れしました。 何者にもなれていない自分と対照的な存在。 細くてよく絡まる髪の毛、小さな顔に大きな目、皮膚炎なのか首筋だけ異なる質感。 小柄な体型でロングスカートがよく似合う彼女。 そして年上。 彼女と仕事以外の時間を

        • 叶わぬ願い

          時計修理の受付の仕事は楽しかったです。 販売をしているスタッフのお姉さんはみんな綺麗で、祐介、ゆうすけと名前で呼んでもらっていました。 一人で時計の修理をしていたおじいちゃんが私の師匠です。 修理依頼のお客さまの対応、伝票の書き方、ベルト交換へきたお客さまと一緒にベルトを選んだりと新しいことの連続。 クレーム対応は苦手でしたが、以前は時計の修理の個人事業をやっていた師匠の話はとても面白く、暇をみつけては色々な話を聞く中で、自分も早く時計修理が出来るようになりたいという思いが

        旋盤加工の奥深さにハマる

          模索する日々

          独立時計師の存在を知り夢中になった私は、さっそく時計業界に関われる仕事を探し始めました。 村上龍さんの書籍「13歳のハローワーク」には時計学校で学ぶのがおすすめと書かれていましたが、そんなお金はない。 バイトも辞めたいと思っていたし、働かないと生活が出来ない。 当時は公団に両親と暮らしていましたが、一日も早く抜け出したい場所でもあったので、自分で稼げるようになりたいと思っていました。 収入を得たい、でも何でもいいわけじゃない。 時計業界で働くという以外に道は無い。 なかば強

          模索する日々

          好きを探す旅

          村上龍さんの小説は高校のころから大好きで「13歳のハローワーク」を本屋で見つけたとき、既に焼肉屋のバイトの輝きは消滅し、完全に興味を失っていた私は何もやりたい事がない状態に逆戻りしていました。 やりたい事は見つからないのに、やりたくない事や向いてない事だけが増えていくことに焦りがあったのかは良く覚えていませんが、このままではいけない事は分かっていました。 現状を打開するための何か、を探していたあの時期にこの本と出会ったことが全ての始まり。 これは自分のために書かれた本だと

          好きを探す旅

          独立時計師への憧れ以前

          これは20歳の時に抱いた、独立時計師になるという夢を叶える40歳の物語。 独立時計師という言葉を知ったのは村上龍さんが書かれた「13歳のハローワーク」という書籍でした。 これから数回に渡って、時計製作者として起業すると決めた経緯について知ってもらうために、過去の自分について話していきたいと思います。 高校は家から1番近い府立の高校に通っていました。 家庭の事情で大学進学が無理だと分かっていたにも関わらず、私は高校を卒業すると同時に就職したりはせず、焼肉屋でバイトを始めます

          独立時計師への憧れ以前

          とんでもない夢を思い描いてしまった

          前田祐介と申します。 プロフィールにも記載した通り、今年(2024年5月22日)で40歳になるアラフォーの旋盤工です。 22歳ぐらいから京都の町工場でキャリアをスタートさせ、現在はそこそこ名の知れた大手企業へ転職し、旋盤工として、開発品の試作加工や生産工程の検討、量産治具を提案したり加工精度の評価なんかを行って6年目となります。 3月末に急性肝炎を患い19日間入院していたのですが、仕事に復帰したのはゴールデンウィーク明けだったので、自宅療養期間を含めると1か月と少し休職して

          とんでもない夢を思い描いてしまった