叶わぬ願い

時計修理の受付の仕事は楽しかったです。
販売をしているスタッフのお姉さんはみんな綺麗で、祐介、ゆうすけと名前で呼んでもらっていました。

一人で時計の修理をしていたおじいちゃんが私の師匠です。
修理依頼のお客さまの対応、伝票の書き方、ベルト交換へきたお客さまと一緒にベルトを選んだりと新しいことの連続。
クレーム対応は苦手でしたが、以前は時計の修理の個人事業をやっていた師匠の話はとても面白く、暇をみつけては色々な話を聞く中で、自分も早く時計修理が出来るようになりたいという思いが膨れ上がります。
電池交換を初めてやったときは、おれはいま凄いことをやってる。
こうやって一歩ずつ独立時計師への階段を登っていくんやな、と思ったのを覚えています。

テレビでやっていた、独立時計師の小宇宙という番組を録画したものを何度も何度も見ては、日本のフィリップデュフォーにおれはなるんだと信じ切っていました。

始めは新しいことばかりで楽しかった時計修理の受付の仕事もしばらくすると機械式時計の修理はここでは出来ず、メーカーへ出して修理するという事が分かってきました。
電池で動くクォーツ時計も裏蓋が特殊な工具が無いと開けられないものや、防水の保証が必要な場合もメーカー出しです。
機械式時計の修理をして構造を知りたかった私は次第にやる気を失っていきます。
一歩ずつという割には耐える事が出来なかったのです。
貰った給料で師匠から時計修理に必要な精密ドライバーのセットとかを購入しては、機械式時計に思いを馳せていました。
このドライバーは今でも持っています。

そんなモヤモヤしていたある日、時計コーナーがテナントから外れる事が決まりました。
店長からその事を告げられ、愛知へ行けるなら時計修理の仕事を紹介してやると言ってくださり私は飛び付きました。
退職してから知ったのですが、国内大手の時計修理を扱う企業への就職を果たしたのです。

新しい土地での出発、親と離れたい思いも叶う。今度こそ時計修理のプロになれる。
希望に満ち溢れていました。そこで出会った人達はみんな同じ時期に転職してきた方が多く、前職から時計業界に関わってきた人ばかり。時計学校を卒業した同年代もいて、みんなでご飯を食べに行きました。
修理工場みたいな場所で仕事が出来ると思っていた私がその旨を伝えると、上司から意外な一言。
「時計修理の経験がないから、修理コーナーの受付をお願いする」
修理コーナーで経験を積めばいつかは機械式時計の修理に関われるようになるよ、と言われました。

同年代の時計学校卒業生は私より一年ばかり先に入社していて、入社直後にロレックスのデイトナというクロノグラフ式の機械式時計の修理をしたと自慢げに話をしてきました。
生まれた都市、家庭環境、親ガチャという言葉は当時存在しませんでしたが、そんな事を思わずにはいられず、それでも俺だって時計を作りたい。
修理じゃなくて創る人になるんだと密かに思っていました。

修理コーナーの受付になると言われたとき、直感的に修理の仕事を教えてもらえる時は来ないと思いました。
学校で学んだ人間に優先的にポストが用意される。当たり前の話に入社してから気付きました。

親に啖呵を切って飛び出し愛知へ出てきた手前、何もせずに引き下がる事は出来ない。
修理コーナーの仕事を頑張って這い上がってやると決意を新たにしたのです。

私の夢はきっと叶うと言ってくれる仲間がたくさん出来ました。
具体的に修理や時計製作について教えてもらえる事はありませんでしたが、応援してくれるだけでめちゃくちゃ嬉しくて、仕事に打ち込むようになります。

そして修理コーナーへ派遣社員として入社してきた女性と恋に落ちるのです。

これは20歳の頃に抱いて一度は諦めた夢を、現実にするために動き出した40歳の物語。

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