逃げる夢と

派遣社員として入社してきた彼女は明るいオーラを放っており、今まで出会った人達とは違う雰囲気を持っていました。
いるだけで周りの人達が元気になる、愛らしい表情と声。小柄であるのに存在感があり自信に満ちている。
今までの人生を全て肯定して生きているような姿に一目惚れしました。

何者にもなれていない自分と対照的な存在。
細くてよく絡まる髪の毛、小さな顔に大きな目、皮膚炎なのか首筋だけ異なる質感。
小柄な体型でロングスカートがよく似合う彼女。
そして年上。

彼女と仕事以外の時間を共有したいという思いで頭の中がパンクしました。
誰とでも話せる彼女は自分のことが上手く話せない私の話もよく聞いてくれて、仕事終わりの駅までの帰り道で独立時計師になりたいことや愛知で働くまでの経緯、彼女のこれまでの人生経験、いろいろ話しました。

何度目かのそんな帰り道、抑えられない思いを伝えます。
始めは断られました。それでも諦められずもう一度だけ、電話で告白したとき
「じゃ、いいよ」
と言われ、夜中に外で電話したのですが大声で叫んだのを覚えています。
名前で呼ぶ事が出来る、それが嬉しくて彼女を幸せにする事が自分の使命だと思い込みました。

独立時計師になるために愛知へ出てきたのに、時計修理について一切関われない現状も、全て彼女と出会うために用意されたんだと思えました。
付き合えたことで仕事の目的が独立時計師になるために経験を積む場から、彼女とご飯を食べに行くためにお金を稼ぐ方法にどんどん変わっていきます。
それでいいと思っていました。でも私の決意が甘かったことから、この関係は長くは続きませんでした。

休日にご飯を食べに行ったり、買い物をしたりと幸せな時間を過ごしているのに何処か虚しさを感じる。
夜一人でアパートへ帰ると独立時計師になりたい思いを捨てきれていない事に自己嫌悪に陥る。

仕事にも身が入らず、喧嘩も増えました。
彼女と過ごしていても楽しめなくなっていきました。
心が弱かったんです。それは今もあまり改善してないかもしれません。

今を楽しめてないなら、京都へ戻って再出発しよう。
そんな考えが浮かんできたのはこの頃です。

とにかく早く、若いうちに日本人初の独立時計師になって有名になりたかった当時の私は、クォーツ時計の電池交換や、メーカーへの修理見積書の書き方などを学ぶことに意味を見いだせなくなっていました。
それに加えて、彼女とも上手くいってない。そんな状況をリセットしたくなったのです。

京都へ戻ったら何かが前進するわけでは無く、あてもない。
ただ、この場から離れたい気持ちだけが先走り止まらなくなりました。

高橋歩さんの著書、「毎日が冒険」に書かれたフレーズ、
夢は逃げない逃げるのはいつも自分だ
が身に沁みて、ひとり泣いていました。

なんの根拠もないけど、もう一度やり直そう。
時計修理は出来ないし、下積み期間にも耐えられない。時計学校に行くお金も無い。
普通の方法では独立時計師にはなれない。

この前提に立って自分の道を見つけよう。
そんな思いを彼女に話し、別れました。
会社も即退職し、無職になった私はひとり夜行バスに乗って京都へ戻ったのです。

そして旋盤工として働き始めました。

これは20歳の頃に憧れた独立時計師になるという夢をもう一度追いかけようとしている40歳の物語。

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