夢と職人

京都へ戻るとすぐにこれからどうするか考え始めました。
独自の方法で独立時計師になると決めて帰ってきたのはいいけど、一体どうする?
完全に崩壊している家族の元へ帰るのは心底嫌で、自分から戻ってきたくせに一秒でも早く離れたいと思ってました。

家族からは離れたいし、独立時計師にもなりたい。
やはり働くしかない。働いて一人暮らしをするしかない、とありきたりな結論に辿り着きます。

夢に近づくオリジナルの方法はなにか、そもそも機械式時計というのはいくつもの小さい部品が組み合わされて出来ている。その部品は金属で出来ているけど、それってどうやって加工しているのか。
答えは録画していたビデオ、独立時計師の小宇宙にありました。

工作物を回転させ、刃物を押し当てる事で丸く加工する機械、旋盤です。
時計製作には時計旋盤という、机に置けるほどの大きさの卓上旋盤が使われており、職人が研いだ刃物を使用して小さな部品を手作りしていました。

他にも削り出した部品の表面をなめらかにする磨き工程や、歯車の歯を割り出して削るアタッチメントなどが紹介されていたと思います。

これだ、旋盤の使い方を覚えれば独立時計師へ一歩近づく。他のことは旋盤の技術を習得しながら少しずつ手に入れていこう。
このくらいの安易な計画とも言えないようなプランを立てた私は、旋盤工として働くため、求人を探し始めたのです。

時計旋盤は用途が時計部品を加工することに限定されており、一般的な旋盤とはサイズが全く異なっていることも、この時点では知りませんでした。
求人を探す際にその事を知りましたが、サイズは異なるし立ち仕事だが、旋盤の構造は大して違わないだろう。
学校で教わるお金は無いし、時計修理の仕事で電池交換ばかりやらされるのも耐えられない。

自分なりの方法で独立時計師になると決めていた私は、旋盤工の職人から独立時計師となり、オリジナルの時計を製作している未来を思い浮かべて妙に納得していました。

家から自転車で40分、京都の市外にある町工場。それが私の旋盤工としてのキャリアをスタートさせた会社です。
当時からネットの求人サイトがあったのか分からないのですが、パソコンが一般的に普及しておらず、スマホも無い時代だったので、求人と言えば、タウンワークなどの求人情報誌か新聞でした。
私も新聞の求人から町工場へ電話をかけ、働き始めたのです。

この時はまだ、旋盤工という仕事は時計製作のための要素にすぎませんでした。
図面の読み方も、測定器の使い方も知らない素人は、すぐに旋盤を触らせてもらえず、検査部門で図面の読み方、測定器の使い方を教わりました。
その後マシニングという工作機械を扱う部門へいったりと、すぐに旋盤が使えると思っていたので悶々とした日々が続きますが、ここで辞めたら独立時計師への夢は完全に途絶えると言い聞かせ、耐えていました。

はれて旋盤工としてのキャリアがスタートしたのは入社して半年が経過したころだったと思います。
この時、私は自分が旋盤工としての仕事にハマってしまうとは思ってもいなかったのです。

これは20歳の時に抱いた夢を叶えようと動き始めた40歳の物語。

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