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『Sea of Stars』感想:90年代JRPGのいいとこどり。その徹底さから感じるJRPGへの熱くて強いリスペクト。海外製JRPGの真骨頂爆誕。

1987年に生まれ、1990年代を3歳から13歳という時期として過ごした私にとって、90年代のJRPGは心に杭を打ち込み、今もそこに鎮座していると言っても過言ではありません。
アクションや物語に夢中になり、ボスを倒してカタルシスを得て、クリアした後の寂しさを感じる。JRPGは間違いなく自分の心に残っています。

スーパーファミコンからゲームに触れ、その後PSへ。何個もゲームハードを買ってもらえるような裕福な家では無かったので、以降はPS寄りのゲーム体験をしてきました。ハードが進化していくにつれ、グラフィックや音楽、ゲームのボリュームも進化。当然、受ける衝撃も大きくなっていきました。

しかし、やはり90年代のゲームの衝撃は、不思議と消えないもの。
兄弟でプレイした聖剣伝説2、ジョブシステムに夢中になったFF5、伏線と世代を超えた物語に驚いたドラクエ5…。
その他多数のRPGに影響され、ゲーム好きの基礎を築いてくれたのは間違いありません。

そして時は過ぎて2023年。まさに、そんな90年代のRPGが復活したかのようなゲームが発売されました。
それが、『Sea of Stars』なのです。

ゲームはドット絵で描かれた世界を旅する、RPG。
シンボルエンカウントかつコマンド選択型の戦闘をこなし、ボスを倒して物語を進めていきます。
つまるところ、完全に90年代の、特にスクウェアから発売されたゲームっぽさを感じられるゲームです。

最も彷彿としたのは『クロノ・トリガー』。
全体的なビジュアルやフィールドの描写、戦闘画面から感じる部分もあるうえに、明らかにオマージュと感じられる敵キャラもいたりします。まあただ何より、BGMにクロノ・トリガーBGMを作曲された光田康典さんが一部楽曲提供されているというところも大きいです。

こういった、いわゆる「あの頃のJRPG感」を出したり、コンセプトとしているゲームはメジャーインディー問わずよく見かけます。
例えば、近年のRPGでも非常に良く出来ている『オクトパストラベラー』シリーズは、この時代にHD-2Dという非常に美麗な「ドット絵」を用い、懐かしさを演出しつつ、ゲームそのものは現代の技術でしっかり形作られた傑作であると思います。

ただし一方で、明らかに話題作りのためにレトロ感、90年代感を出したものや、正直なところ90年代RPGというよりは、新作ゲームにあくまで90年代JRPG感で薄く囲っただけのような作品もちらほらあるなとも思っています。

では、『Sea of Stars』はどうだったのか。
私の印象としては、「90年代JRPGの【面白い部分】のエッセンスを徹底的に抽出して現代に蘇らせたと同時に、90年代JRPGの【余計な部分】を丁寧に削ぎ落して、最後に現代の技術で削ぎ落した部分を補強した」といったところです。

ちょっと他に類を見ないくらい、JRPGに対する理解度とリスペクトを感じられ、「開発がJRPGに対して一歩引いた徹底さ」というバランスで接しているからこそ、上記のような印象が浮かび、そして遊んでいても完璧としか言えない出来栄えのゲームになったんだと思います。



目を引くドット絵の美しさがもう楽しい

プレイしてすぐ、まずは見た目、ドット絵に魅力を感じました。
SNSでもしばしば開発中の画像、動画を見ることが出来ましたが、その少ない情報から感じるのはドット絵の美麗さ。

スーパーファミコンというよりゲームボーイアドバンス、またはCD-ROMまで進化したようなドット絵の描写は、場面によってはアニメーションのようにも感じられる美しさでした。
特に良いなと思ったのが、ゲーム序盤の滝のステージのビジュアル。

その美しさと透明感が、色使いと細かなドットで表現されており、もはや水に浸かっているキャラクターから、自分の足までひんやりとするような錯覚を感じました。これは本当に素晴らしかった。

もちろんフィールドだけではなく、キャラクターや敵モンスターの描写および動きもまた美しい。ドット絵が細かく動く様子から感じられるアニメーションのようなコミカルさは、戦闘を初めゲームを飽きさせない要素の一つでした。

そしてそんな魅力的なビジュアルを楽しみながらプレイすると、そこには90年代RPGへの徹底的なこだわりとリスペクトを感じられる、様々な要素と出会うことが出来ました。


ダンジョンや街を動くだけで面白く、これもまた飽きない

特にダンジョン攻略においては、戦闘だけではなくギミック、謎解きを必要とする場面も多々あります。

もちろんその部分も面白いのですが、本当にこのゲームは「プレイヤーを飽きさせない」要素で満ち溢れていると思いました。
ダンジョンと言っても、戦闘があるだけではありません。

ちょっとしたギミック……物を動かすとか、壁を登る、細いロープや岸壁を歩く……その他ゲームを進めるにつれてキャラクターが出来ることが増えていき、とにかく「ただ走ってボスまで向かう」というような印象はありませんでした。

いわゆるアクション、つまりは頭を使って謎を解いて進まないといけないわけではなく、ちょっとしたボタン操作、ちょっとしたキャラクターの演出、そういったものがやはり単調な感じを非常に薄れさせていました。

それに加えて謎解きも難しすぎず、達成感を与えてくれるもの。この辺あたりが、途中で飽きさせないという意味で、FF16のように、誰でもちゃんとストーリーの最後まで楽しめるようにしているような配慮に通ずるところがあると感じました。

なおかつ、2Dで描かれた分、3Dに比べもしかすると単調になりがちなエリア移動を、刺激的にしていた部分なのかなと思います。

街も同じで、そもそものビジュアル的な美しさから歩いているだけでも楽しいし、高低差があったりごちゃごちゃしている街を歩いていても、俯瞰している視点だからこそストレスが無いのは大きいです。

3Dのゲームだと、街の構造が分かりにくいこともありますが(それが一つの魅力でもありますが)、2Dドット絵だと視覚的にわかりやすいのでストレスがありません。隠し通路や宝箱もあり、そういった、俯瞰視点だからこそ見えないものを探すワクワク感もまた、懐かしく楽しい、そして飽きないものでした。

更にどうしても言いたいのが、キャラクターのビジュアル的な描写。
ちょっとした演出でありますが、私がぐっと来たのは、ダンジョンで細いロープを渡るとき、いわゆる綱渡りのときの描写。

こういう、ロープを渡る部分はダンジョン中幾度もあり、言ってみればダンジョンを進む上でのちょっとしたスパイスとなっています。その上を渡るとき、キャラクターは両腕を左右にひろげ、落ちないように体のバランスを取って渡ります。

ところが、パーティーに忍者(アサシン)のキャラクターを入れたときのこと。そのキャラクターだけは、腕を両手に広げることなく、すたすたと歩くのです。
つまりは忍者だから綱渡りなんていうのは簡単で、バランスをとるほどのことではないこと……そう言葉で示されているような感覚でした。

こういう、ちょっとした演出が非常に好きで。
特に、語らずに伝わるような配慮、これが素晴らしくて。忍者はバランスを取るのが得意だから綱渡りも動じない、これを文章で説明されたら興醒めですが、ビジュアルで、語らずして示すことこそ粋な演出であると感じました。

つまるところ、ただただ綺麗なドット絵なのではなく、その細部にさえ気配りが行き届いている。だからこそそれが新しい刺激となり、退屈さを生み出さない原因となっていると思いました。
これは正直、やや説明過多なゲーム、伝わりやすさ重視の油っこいゲームも多い中、90年代の説明不足な(だけど伝わる)伝え方の上手さを感じた瞬間でした。



スーパーマリオRPGを感じる戦闘アクション、戦略性 - 雑にボタン連打して勝てる戦闘ではない面白さ

戦闘はシンボルエンカウント方式。ゲーム画面上に敵の姿が見えている状態で、接触するとバトルになります。一部強制バトルもありますが、おおよそは接触しない限りバトルになりません。

とはいえ、全体的に敵のいるフィールドがそこまで広くないので、半ば強制戦闘とも言えると思います。逆に言うと、レベル上げのために何度も敵と戦うというよりは、フィールドに配置された敵と順々に戦っていくというような印象。

戦闘システムは、プレイヤーがタイミングに合わせてボタンを押すアクションと、敵ごとに特定の攻撃を行うことで戦闘を優位に進めるオクトパストラベラー的な形式が融合しています。

プレイヤーが攻撃に合わせて最適なタイミングでボタンを押すことで、そのダメージが大きくなる。また、敵の攻撃にも同じで、最適なタイミングでボタンを押すことで受けるダメージを減らすことが出来る。これは『スーパーマリオRPG』を彷彿とさせるシステムでした。

非常に良い仕組みで、戦闘中の飽きを少なくするとともに、一部の特殊攻撃ではタイミングが合う限り攻撃を連続させることが出来ます。3回タイミングを合わせると3連続攻撃、20回タイミングを合わせると20連続攻撃、といった形です。

レベルアップ時の選択もスーパーマリオRPGのよう

これは飽きません。いくつかのレビューでは、戦闘の単調さや戦闘1回の長さが指摘されていましたが、私は特にそのような印象はありませんでした。
それはもう一つの特徴である、敵に対し特定の攻撃を行う、というシステムが効果していたと感じます。

敵はときおり、特殊攻撃を行います。それは強力なものですが、一方でプレイヤーがその攻撃を防ぐ方法も存在します。
敵の頭上に、いくつかのアイコンが表示されます。それは太陽だったり、月だったり、武器のマークだったり。
その表示されたアイコンに該当する攻撃を行い、全てのアイコンを破壊することで、敵の攻撃をストップすることが出来るのです。

とはいえ、そのアイコンはいくつかの種類が同時に表示されることもしばしば。太陽のマークと月のマークが表示されたときは、太陽の攻撃が出来るキャラクターで1度攻撃し、次に月の攻撃が出来るキャラクターで攻撃をする必要があります。各キャラクターの特性を活かすことで、敵の特殊攻撃を防ぐことが出来るのです。

しかし、その特殊攻撃を行う敵だけにかまっていると、他の敵キャラクター、敵モンスターは無傷でプレイヤーに攻撃してきます。
特殊攻撃を行う敵を無視して、他の敵を倒すか、それとも傷を負いながらもとにかく特殊攻撃を防ぐか。そのあたりの駆け引きも面白く、十分な戦略性でした。

毎戦闘それを考えるため、私自身は飽きることなく、歯ごたえのある戦闘を楽しみましたし、おまけに攻撃・防御の度にタイミングを合わせてボタンを押すので、体としても動き続ける、没入感の高い戦闘システムであったと思います。



90年代JRPGでは足りなかったところを2023年だからこそ徹底的に補強している - 「ここ面倒だなあ」という仕組みがとにかく潰されている

ここがこのゲームで最も感銘を受けたところでした。
非常に地味なのですが、それでもゲームプレイの体験としてはとてつもなく重要なところです。

90年代JRPGから始まり、それこそ2023年のRPGでも、ここまでユーザーエクスペリエンスのことを考えたゲームは多くないように感じます。
それこそ、色々とゲームをしていて「このゲーム、ここの部分の気が利いてないなあ」とプレイヤーに思わせてしまうような要素。それを極限まで研究し無くしたのが、このゲームであると思います。
とにかく気が利いている。具体例を出すと、それは街で装備を購入したときのことでした。

まず、プレイヤーが装備を購入するときに、何を気にするか。
当然、今装備している武器や防具に比べて、購入する武器や防具が強いかどうかですよね。それはもちろん、買う前にわかりたいものです。
その比較が、画面上で購入前にわかります。今の武器より攻撃力が上がるのかどうか。
まあ、このくらいはどのRPGでも実装されている仕組みです。
そして例えば、武器を購入した場合。その場ですぐ装備するかどうか確認され、装備することが出来るのです。
これはゲームにより出来たり出来なかったりするものです。
武器を購入して、店員との会話を終わらせ、メニュー画面を開いて武器を装備する。それはちょっとした手間であり、そこが省略されることで「気が利いているな」と思える瞬間でした。

さらに驚いたのが、店で購入した武器をその場で装備した場合、今まで装備していた武器を売るかどうか質問されるのです。
装備の強さを比べる手間、装備する手間、装備品を売る手間、そういった、ゲームの本筋ではない、手を抜かれてもいい部分に手を抜いていない。ここに感銘を受けました。

ここまで徹底してユーザーの手間を省こうとしているのが驚きであり、そもそも90年代どころか現代のRPGでも「気が利かないなあ」と思うことがある中で、90年代のゲームを模して、しかもインディーゲームがここまでユーザーに寄り添った仕組みを構築できていることに唸りました。

また同時に、これはまさにプレイヤーにどういう思いをしてほしいか、またはしてほしくないかを真剣に考えたからこそ実装されたと思い、開発スタジオがいかにユーザーを尊重し、ゲームを丁寧に制作したかが伝わってきました。

他にも、ダンジョンを攻略するといつも、途中のポイントから(または最奥部から)すぐに入り口に変えることが出来るようショートカットポイントが構築されていましたし、こういう気配りが、「90年代のゲームではだるかった部分だけど、このゲーム、そこはアップデートされている」と感じました。
もちろん当時からそのような仕組みのゲームはありましたが、つまるところそういったユーザ体験が損なわれない仕組みを「サボっていない」というところ、そこに好感を強く抱きました。



(技術的に)ちょっとずるいくらいの物語演出

これはネタバレになるので詳しくは言えませんが、物語の後半、大きく冒険の世界が動き出す際の演出に、全神経が虜になりました。
それは物語の盛り上がり的にも、ビジュアル的にもです。
90年代JRPGを遊んでいるような気分から、そうだこれは2023年のゲームだと急に意識させられるような体験が待っていました。完全に90年代の感覚でいたからこそのちょっとしたオーパーツのような体験。未来の演出で驚かされたような感覚。この瞬間だけ、90年代というある意味レギュレーションのようなものから逸脱されているのですが、それがまた非常に上手い。
90年代リスペクトという土壌があるからこそ、それより少し先の見せ方が非常に強い違和感として浮き出るとともに、効果的かつ魅力的に作用する。
素晴らしい仕掛けでした。



やりこみ要素をやりこみたくなるのはゲームそのものの魅力が強いから

ラスボスを倒しても、そこで終わりではありません。
やりこみ要素をコンプリートしたくなるような仕掛けもそこに存在します。
そして、前述の通りあらゆる要素が遊びやすさを演出しているからこそ、「やりこみ要素」が「まだ楽しめる要素」と感じられるのです。

ゲームによっては、やりこみ要素があってもそこまでモチベーションが高まらないものも多々あると思います。
しかしいくつもの「飽きない要素」で彩られたこのゲームでは、むしろ「まだ楽しめる要素があって嬉しい」という気持ちに繋がるとともに、そのやりこみ要素のボリュームすら喜びに変わりました。

ついでに言えば、異常なクオリティのミニゲームも素晴らしい出来。
両サイドの駒の特性を活かしつつ、正面のランダムな絵柄をポーカー的に揃えて戦略的に敵のポイントを減らすのですが、「せっかくだし1回だけ遊んでみるか」というようなレベルのクオリティでは無く、もはや勝つまで維持になるくらいの面白さ。ビジュアルも美しいので、非常にやりこみたくなるミニゲームでした。



あえて綻びを挙げるとすれば、キャラクターと翻訳

他の要素が非常に魅力的なので無視できるレベルかと思いますが、昨今のゲームに比べてキャラクターの魅力は少し薄いかなと思います。
そこまで強くキャラクターにフォーカスが当たっていないこと、そして物語の展開はダイナミックですが、あくまでそれは物語というジェットコースターが秀逸であり、キャラクターはその流れに乗っかっているだけ、という印象がありました。
このキャラだからこそ、このキャラでなければ、というような展開が、(その個人の資質という意味以外には)あまり無かったように感じたのは確か。つまり、替えが効くキャラクターのように思えてしまったところがありました。

翻訳は十分で、しっかり理解できるものとなっています。しかし、そこはどうしても別の言語から日本語に訳されたもの。微妙な違和感は最後まで拭えませんでした。
会話がやや特徴的というか、不自然に感じてしまう部分もあり、少し物語の理解を阻害したのは確かです。
特に、接続詞として「そしたら」と「なら」がかなり多く使用されていたところが引っかかり、もし自分が英語をスラスラと理解できればなあ…と思ったところでした。それもあり、キャラクターの魅力が少し薄く感じたのはあるかもしれません。
このあたり、英語圏でのプレイヤーの感想が知りたくなるところでした。



音楽面も90年代リスペクト

意図的にスーファミ感が出ている音楽は、ゲームの音楽を邪魔しません。冒頭に書いた通り、クロノ・トリガーの作曲で有名な光田康典さんが一部楽曲提供をされていることもあり、ここにも90年代、特にクロノ・トリガーへの熱いリスペクトを感じます。

全体的にスーファミ感のある楽曲で、街や戦闘、ダンジョンなどでの体験を阻害しません。さすがにクロノ・トリガーほどメロディが強い曲は無かったような印象でした。もしかすると音楽面は、最新のゲームをプレイしていると少し物足りなく感じる部分はあるかもしれませんが、ここもあえて最新の音楽を(実装しようと思えばできるのに)使用していない、つまりは90年代感で統一させようとするこだわりなのかと感じました。



海外産という味付け

これは賛否両論というところなのですが、先ほどのキャラクター描写等にも関係するところで、JRPGとしての要素がとても丁寧に描かれたところに、海外のRPGの味付けがなされているところは否めません。

強く感じたのは先ほどと同じくキャラクターの薄さ。ただこれはこれで、90年代のRPGって意外と今やり直すとこれくらい淡白なキャラクターばかりったような気もしますので、なんとも言えません。が、しかしやはりここ最近のRPGに比べるとどうしても薄さを感じます。

ここからは完全に個人的に「思う」だけの話なのですが、ここで思ったのが、海外産というところ。非常に主語が大きくなっているので適正ではないかもしれませんが、何が言いたいかというと、RPGとしてプレイヤーキャラに完全になり切る、演じるという感覚が強いのかなと思いました。

JRPGはRPG、つまりRoll(役割)をPlaying(演じる)のではなく、どちらかというとキャラクターの描く物語を見ているような感じではないでしょうか。海外のゲームはなんとなく、そこよりはプレイヤー自身が切り開いていくような感覚と、ゲーム性そのものの魅力に比重を置いているような気もしています。

だからこそUndertaleのような、システムというより物語展開にJRPGっぽさを感じるゲームが特異なものでかつ爆発的人気になったような……気がします。

これは海外産、日本産、どちらがいいというわけではなく、ただの違いではありますが、だからこそ日本産のゲームに親しんできた身とすると、もうちょっとキャラクターを掘り下げてもいいのでは、と思う結果となりました。



おわりに

今回感想として書いた、ビジュアル面の美しさやダンジョンの飽きなさ、戦闘システムなど、それぞれ個別にみればそこまで真新しいものではありません。だからこそ、Sea of Starsは意外と突出したところを提示するのが難しい部分もあります。

ただ、言いたいのはそれらが全て満たされているというところ。例えば戦闘システムは、オクトパストラベラーと似ている部分があります。一方で、オクトパストラベラーはドット絵というノスタルジーを感じさせるようなビジュアルや戦闘レイアウトですが、そこには明らかに「ノスタルジーをフックにしつつ現代版に進化させたRPG」を感じました。2D!ドット絵!懐かしい!と思いつつも、遊んでみるとその気配りと、2DでありつつもHD-2Dという超美麗な映像表現は、また新たなジャンルであるようにも思えました。

オクトパストラベラーは名作ですが、一方で90年代RPGを再現するという意図は無いように感じます。それが良い悪いではありません。ゲームそのもののコンセプトの違いでありますが、だからこそ私は『Sea of Stars』に、あえて現代感を入れず90年代のゲームそのままを再現・再構築したというところに魅力を感じました。

そしてその再構築が非常に繊細かつ熱量を持って行われており、その結果が戦闘からビジュアル、音楽、システムにUIまで、全てが足を引っ張ることなく高い水準に保たれていたと思います。

とにかく、ここなんです。
正直どれか1つまたは2つくらいの要素が90年代ではなくてもゲームは成立します。戦闘システムが現代風のリッチな3Dものになっていても良かったでしょう。音楽が壮大なオーケストラになっていても良かったと思います。
しかしそれらが全て、90年代の再構築に終始しているところが、逆に新鮮かつ突出した魅力となっているゲームなのだと思います。

90年代のRPGが心に残っている人も、逆にプレイしたことが無い人も。
あの頃の完全再現とまではなりませんが、しかし明らかにその片鱗を、当時の空気感を損なうことなく、遊びやすく体験できるものとなっていますので、ぜひ遊んでみてはいかがでしょうか。


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