FINAL FANTASY XVI感想:多少要素を犠牲にしてでも、圧倒的なストーリーを誰でも体験できるように尖りまくった、「大人の」ファイナルファンタジー(微ネタバレあり)
※7/30 :主人公名を誤って「クライブ」と表記していたため正式名称の「クライヴ」に修正。すみません!
6月末にFF16をクリアしました。
本当に、「ファイナルファンタジー」を楽しめて最高に嬉しい気分と、だからこそ「ここをこうしてくれればとんでもない作品になったのではないか」というもどかしい気持ちが混ざっています。
色々項目に分けて感想を書いてみましたが、正直FF16は良いところと頑張ってほしかったところがあり、これらが様々な要素に存在している、つまり良くも悪くもどちらとも取れるような作られ方がしているように思えました。
結論的に言えば、私は「良いところ」が「頑張ってほしいところ」をカバーし、発売後4日で30時間、クリアまで7日間というのめり込みでプレイしましたし、なんなら本当に終わってほしくないゲームであると強く感じました。
ここ数作のオフラインFFの中では一番好きかもしれません。そのくらい、ポジティブな気持ちです。
だからこそ、FFシリーズが好きだからこそ、ここを頑張ってくれればシリーズトップどころか歴史に残る作品になったんじゃないかと思う部分もあり、惜しいなあ、という感覚もまた強く心に浮かんだのでした。
そんな感想を残していきたいと思います。
私は世代的にFF7-10あたりがストライクで、一番好きなFFは8。(賛否両論あるのも重々承知ですが)発売から24年経っても大好きなゲームです。そのため、FF16のように真正面からクリスタル、召喚獣を捉えたFFは、なんだか新鮮でした。(まあ、FF15から7年も経っているので、ナンバリングのFF自体が久しぶりなのもありますが)
本編の大きなネタバレはありませんが、細かいネタバレがありますのでご注意ください。また、根本的にネタバレしないといけない項目は、見出しに(ネタバレ)とつけています。
抜群の求心力を持ったストーリー
とにかく本作はストーリーの求心力が素晴らしかったです。一番魅力を感じたところがここでした。
特に物語前半の、場面が2時間~3時間おきに目まぐるしく変わる展開はたまらないものがありました。
「凄い! ここから本編じゃん!」と何度思ったことか。
物語後半は、徐々に様々な国の重要人物が登場することで、それぞれの視点、それぞれの考え方が社会情勢に影響を与え、さらにその結果クライヴたちの状況へも影響を与えていました。
歴史の表面である国ごとの方針と、裏面であるクライヴ達の行動の二面での物語展開を感じましたし、物語の真相に徐々に近づいている感覚になり面白くも不思議な感覚でしたが、後半は前半ほどの求心力は無く、想定された展開を想定した通りに進んでいるな、という感覚でした。
国家間の争いが常に発生しているため、主人公達の意思と関係ないところで情勢が変わるというのもしばしば。これが予想できない展開へと物語が動くことへ大きく寄与していました。
また、まだ主人公達が邂逅していない敵および味方のキャラクターが、彼らなりの目的と苦悩を抱えている。それもまた、プレイヤーの予想を裏切ると同時に、プレイヤーだからこそ俯瞰して物語を理解できる(クライヴ達はなぜそのような展開になったのかはわからない)、群像劇的な面白さがあったと思います。
FFに関しては、戦闘や音楽ももちろん期待していますが、やはり一番は物語。物語性の強いゲームが好きな自分としても、ここは嬉しいポイントでした。
ただし、私の世代的にメインで遊んで印象が強い「FF7-10」あたりの作品とは、物語の形成の仕方が全く違うように思えたのも確か。
それは、「出来事」が中心であり「キャラ」はその一歩下のところに存在する、というところです。
言い換えるとFF16のキャラクターは過去作に比べて印象が薄く、一方でキャラクターが起こした事件やその影響のほうの印象が強い、そんなゲームに感じました。だからこそ、物語の求心力が前半に集中していたように思えます。
登場人物が大人であればあるほど、反比例する存在感
FF16は間違いなく大人向けのファイナルファンタジーです。ベッドシーンから娼館、しっかりとしたキスシーンまで。FF7の頃は蜜蜂の館でなんとなく雰囲気で表現されていた風俗的な描写が、本作ではなんと喘ぎ声までがっつり入ってきます。これは本当に驚きました。キスシーンもバシバシ出てきますし、世界一ピュアなキスのコピーが有名なFF10から随分変わったものだなあと思いました。
そんな描写に加え、世界は領土やクリスタルを奪い合う戦争がメインであること、そもそもの世界情勢の理解、変遷など、自分がもし小学生のときにFF16をプレイしても、あまり話は理解できなかったであろう内容は、大人になった今こそワクワクする物語でした。
主人公はクライヴという青年。少年期をプレイすることもありますが、あくまで極一部で、9割以上は大人になってからのクライヴをプレイします。
このクライブ。とある事件に対し復讐心を燃やしており、それが冒険の原動力となっていますが、印象としては非常に「常識人」でした。
これは、知識があるというよりは、精神的に安定している、ということです。色々と苦悩する場面はありましたが、正直その苦悩はそこまで強いものでは無かったように思えました。(これは、私がプレイしながらクライヴのとある序盤の悩みに関する部分についての真実を、予想できてしまっていたというところもあります)
FF10のティーダがサッカー部のエースでモテまくるキャラ、FF7のクラウドやFF8のスコールがクラスの隅にいる陰のあるイケメン、FF9のジタンがムードメーカーだとしたら、クライヴは生徒会長なんですよね。生徒会長は話をまとめやすい代わりに、波風が立ちにくくて印象が薄くなるのかなと思いました。もちろん、年齢的な部分(FF史上最年長主人公らしいです)ということもありますが……。
何が言いたいのかと言うと、生徒会長的なクライヴを初めとして、ヒロインのジルやその他の味方がみんな良い人で大人で常識人で優しい。
感情に任せて取り乱すこともほぼなく、周りに迷惑をかけない。相手に気遣いながら、クライブの思いに共感し、ひとつの目的に対して全員がまっすぐに突き進むんですよね。
こう……例えばFF10だったらアルベド嫌いのワッカがいてギスギスするとか。FF8だったらスコールとリノアが10代なりの、割と本気の喧嘩をするとか。過去のFFでは、パーティー内での考え方の違い、いざこざがあるからこそ、キャラクターの人間味が見えるところはあったのかなと思います。あとすごい単純で大きなミスをしちゃうキャラとか。
FF16で思ったのは、メインキャラに嫌な奴がいないということ。
そしてみんな、ちゃんと仕事出来るんです。
また、それぞれのキャラクターが独自に、自分の悩みは抱えていますが、それをさほど他人に依存せず、自分の中で解決してしまうように感じました。
セリフ上はそうではなく、色々な困難をクライヴがいたから解決できた…と演出されているのですが、プレイしている身としては、そ、そうなのか…。と少し蚊帳の外にいる印象。きっと困難を抱えた本人はクライヴのおかげだと感じているのだろうけど、それはゲーム上では語られていない部分で何かあったんだろうなあと、そんな感覚でした。
ただ、それはそれでいいんです。某キャラが憎い敵を自ら刺し殺すシーンなんかは、強く自立した感じがして、物凄く好感を覚えました。
そしてそうなると、他のキャラクターからの影響があまり感じられないんですよね。自立した大人の強さを感じるほど、一人でも十分生きていけるのではないかと。自分一人で対処できる強さを、既に持っていたのではないかと思ってしまいます。
そう、つまりは大人なんです。お互いに依存していない。そして、感情を言語化できている。比較的年齢が高いということもありますが、なおさら個人個人が自立しているように思えます。
互いに依存しないからこそ、そこの物語はやや淡白になる。依存しているからこそ発生する物語が発生しないように思えました。
全員が揉めることなく、悪を挫くことに専念する。
皆が同じ目的に向かいつつも、それでもキャラクターの自立、独立した印象が大きいのは、全員が同じパーティーにいるのではなく、世界の様々なところで各々活動しているというのも影響しているように感じます。
クライヴと同行し旅するパーティーは少なく、パーティーメンバー以外のサブキャラクターが、「どこで何をしていたのか」という部分は、手紙やセリフ上のみで知ることが多くなります。
つまりは、味方が何をしているかという過程が比較的バッサリ切られていることが多く感じました。
それがやはり、「単独でも仕事ができる」「わざわざ演出を入れなくても、難なく目的を達成できる」=「自立・独立している」「クライヴがいなくても大丈夫」というような印象を強くしたのです。
また、これは敵キャラにも言えることでした。
FF16における敵キャラは「なぜそこまでクライヴを憎むのか」「なぜそこまで国のために尽くすのか」などを深掘りしてもらいたかったなと思います。
全体的に、敵キャラ全般に、「突然出てきたキャラ」という印象を受けました。この人を倒したから次はこの人が出てきて、その人を倒したから次はこの人……という、順番を守ってゲームに登場してくる印象です。
この流れが、ゲーム前半と後半で、「ゲーム序盤のキャラクターは、そもそもプレイ時間が蓄積されていないので深掘りされていないのもまあわかる」という認識と、「ゲーム後半でだいぶプレイしてきたけどほとんど深掘りされていないキャラが急にボス」というような認識に分かれ、後半にスポットライトがあたるキャラクターほど、「もっと何かキャラクターを描けたのではないか」と思いました。
そして当然クライヴ自身も、能動的にもっと喋って、自分の思いを教えて欲しかったなあと思います。
いや、もちろん伝わっているんです。クライヴが何をしたいか、なぜそう思ったかはゲーム内で説明されていますが、もう一段深い、「それほどまで強い思いを持つのはなぜか」というのが、どうしても「他の人が望んでいるから」というように見えてしまいました。それはそれで一つの答えなのですが、出来ればそこをもっと深く知りたかった。言い換えれば、人間臭さが欲しかったというところでしょうか。
大人向けのファイナルファンタジーで、(いざこざを起こすまでもない)大人な判断であるからこそ、言わなくても通じるという常識が空気としてあり、だからこそプレイヤーとして、先ほど書いた通り蚊帳の外にいるような、(ゲームで描写されてない間に絆を深める出来事が多数あったんだろうな)と思えるような感覚になりました。または、(きっと後半終盤でこの辺の話の回収があるんだろうな)とも思っていました。
この辺りの描写は、主観で言いますがあまり無かったと思います。
後半の物語は前半に比べてやや唐突なものが多く、一本線で繋がっていた物語が急にほどけて曖昧になったように感じました。
最後はまた最終の目的に向かって話が収束していきますが、やや漫然とした物語のように思えました。
これは、前半の求心力の強さのせいで、急に質が落ちたように感じるのかもしれません。ここ十数年の中で間違いなくストーリーの夢中になったFF16の前半部分を体験し、過度な期待を持ち過ぎていたのかもしれません。
関連し、後半に登場するサブキャラクターも大分印象が薄いところがありました。世界を救ういい話という台本が先行し、そこにキャラクターが乗っているような印象。つまりはいわゆる感情移入があまり出来なかったのです。
ストーリーへ夢中になる感覚と反比例するように、サブキャラクターへの印象が薄くなったのは、私自身FFシリーズをプレイしてきて初めてくらいの感覚でした。
今後、もし物語やキャラクターの前日譚なんかがDLCまたは派生作品なんかで出たら絶対買いたいと思います。キャラの表層的な部分から少し内面が見える部分まででも、(もっと深掘りしたら面白くなりそう)と思えて仕方がないからです。逆に言うと、少しもどかしい気持ち。FF8のスコールが誰にも興味ない人間かと思ったら、実は人に嫌われたときの辛さから人と仲良くするのを恐れ、避けていた。
そのような、色々と経験してきた人間だからこそ抱えてしまう複雑な内面が見たいなという気持ちが、とても大きかったです。
アクティブタイムロアという地味ながら素晴らしい補完システム
ストーリー重視のFF16において、このシステムは本当に素晴らしかったです。かなりカットシーン、つまりムービーシーンが多い本作ですが、一般的なゲームでは、それらが流れている間、プレイヤーはただ画面を眺め、セリフを聞くことしかできない…というのが常識でした。
しかし、本作では『アクティブタイムロア』というシステムを使うことが出来ます。これはいわゆる、ノベルゲームにおけるTipsのようなもので、専門用語についての解説を見ることが出来る、というものです。会話の中で登場したキーワードや、それに関係する言葉についての解説を、いつでも確認することが出来るシステムです。
これが本当に、物語を理解する上で画期的かつ役立つシステムでした。過去にプレイしたゲームのうち、本作のように国家間のいざこざになると、王や王妃、部隊長や各国の特徴など、名前と認識が覚えられず混乱し、結果として物語の理解に靄がかかったような部分も生まれていたものです。
しかし、このシステムを使うことで「えーっと今名前が出てきたキャラって誰のことだっけ……」という曖昧な記憶が補完され、物語の理解度低下を防止できます。わからない問題を丁寧に復習させてくれる家庭教師のようなシステム。このシステムは本当に、物語を楽しむ上で重要でした。
そしてこれこそ、ストーリー重視の本作の魅力を途絶えないようにする意図があると思いますし、そこまでしても物語を楽しんでほしいという製作側の気持ちを感じました。
また、これはインディーゲーム『Killer Frequency』をプレイしていたときも思ったのですが、どのゲームでもよほど物語やキャラクターに引き込まれていない限り、操作できない状態であるカットシーンは集中が切れやすいものです。
特にFF16はカットシーンが多いことに加えて画面も暗めで、召喚獣やバトルといったプレイヤーが操作するシーンではないカットシーンはまさに、つい画面外に気を取られやすい部分でした。
何より、そこで自分が理解できない話が展開されていたら、それは全くついていけない学校の授業のようなもので、もはや眠くなってしまうのではないでしょうか。
しかし、アクティブタイムロアというシステムが知識の補完を行ってくれます。さらには、それにより生まれる「カットシーンに介入できる」という、「何かプレイできる」という感覚が素晴らしかったです。
『Killer Frequency』では、セリフが流れている間、その会話を聞きながら丸まった書類のゴミを、小さなバスケットゴールに入れるというミニゲームを楽しむことが出来ます。じっと黙って、何もすることなく話を聞くのではなく、何かをしながら聞くことが出来る。それも、物語への没入を阻害するほどのことではない。
これと同様、FF16ではアクティブタイムロアはシステムとして「いつでも何か出来る」という「遊び」部分であると思いました。ただただムービーを見るわけではないという違いを、顕著に感じました。
何より、このアクティブタイムロアによって、「物語に置いていかれる」という心配がない。この安心感は、専門用語が飛び交うFF16でも、理解が途切れず物語に没入出来ました。
物語テンポの良さと、そこに必要になる説明のシンプルさ
本作は物語重視であるものの、その主軸となっているのは「世界がどうなるか」であると思います。
言い換えると、クライヴ達は世界変革に対するアクションを行っているものの、それによる変化までコントロールは出来ず、どちらかというと常に変わる世界に何とか食らいついて、目的を達成しているような感じです。それは、ファンタジー的にも、政治的にもです。
物語の前半、数時間ごとにプレイする場面が大きく変わるシナリオはダイナミックな魅力を感じますし、その後もサクサクとテンポよく物語が進みます。アクションメインのゲーム性であることもあり、このスピードは過去のFF作品でも相当早いほうではないでしょうか。
冗長になることなく進む物語は、興味とワクワク感が途切れませんでした。落ち着いたかと思えば新たな展開、そして新たな登場人物や変化する各国の情勢。
一方で、そこまでカットしてもいいのかと感じる部分もありました。
中盤くらいだったと思いますが、とあるシーンで、地下水路を通って目的地に行く、というシーンがあります。
「よし、あそこに行くなら地下水路を通っていこう」というセリフがあり、地下水路に入る演出。そして画面が暗転した後のシーンは「地下水路を出た後」の話。すっかり地下水路を攻略するつもりになっていたので、肩透かしを食らった気分でした。
もちろん物語としての重要ポイントはその先なのですが、では一体なぜその演出が必要だったのか、一瞬戸惑いました。
根本的に、というか非常に大きいくくりになりますが、ストーリーテリングの文章量はキャラクターボイスの有無で大きく異なる気がします。
キャラクターボイスが無かった頃のFFは、ウインドウに文字が表示されます。それをプレイヤーは自らのペースで読み、理解します。
人による…のかもしれませんが、自分のペースで文字を読むほうが、他の人の話を聞くより早いと思います。単純な計算ですが、同じ時間であれば、文章で表示されたほうが、話を聞くより多くの情報を得られると思います。
一方で、キャラクターボイスがあることで感じられるのは話者の感情。抑揚や声の大きさで、ドラマ性を強くします。
このあたりも含め、FF10以降とそれより前のFFでは情報量に差があるように……感じます。感じるだけで検証していないので、もしかしたら同じかもしれませんが……。
どっちが良いというわけではないのですが、印象として、情報量はボイスが入る以前のFFがピークであったように思います。
FF16は、情報量が少ないというより、情報に遊びがないように思えます。
必要な情報はあるのですが不要な情報は削られているような感じです。
それももしかすると、余計な情報を入れずに物語を純度高く理解してほしいという製作側の思いなのかとも考えます。物事の説明自体がシンプルになっており、わかりやすさが重視されていたように感じます。
そしてそこから生まれるのが、プレイヤーの心を逃がさない、テンポの良いストーリーの展開。
こう考えると、情報量の多さとテンポの良さは背反するものなのかもしれません。そして、過去作では感じることの無かったテンポの良さとそれに比例するストーリーへののめり込みは見事でしたし、私が「もっと情報量多くして欲しかった」というのはもしかすると、両立しない幻想を追いかけているだけなのかもしれません。
しかし、どうしてもボイスが無かったときのFFを思い出し、無い物ねだりを思い浮かべてしまう。「ここがダメ!」ではなく、「以前の作品では(詳細な物語の説明や、遊びのある描写が)出来てたはず!」とつい、欲深くなってしまう。FF好きだからこそ、こういう気持ちになってしまうのかもしれません。
このような理由で、ここは万人が納得するものではなく、ポジティブにもネガティブにも捉えられる部分であると思いますし、どう切り取るかでFF16の評価は変わると思います。
そして私の評価は冒頭の通り、「もっとこうしてほしかった」と思う部分はあるし、その気持ちはゲームをクリアした今も残りますが、それでも「先が気になりすぎて1日10時間×3日間プレイ」が止まらなかったという事実が、テンポの良さから生まれた物語へののめり込み、ひいては面白さを立証していたと実感しています。
サブクエをプレイしたかどうかで確実にFF16の評価は変わる
先ほど記載した通り、FF16、全体的にキャラの掘り下げは薄めだと思います。
そんなキャラクターについて深く知ることが出来るのがサブクエスト。
特に、後半から終盤のサブクエストは「半分本編では?」と思えるくらいの内容。むしろ、「どうしてこれを本編に入れなかったのか」という印象も生むくらいのクエストが多数ありました。
それは、メインキャラからサブキャラまで、多くのキャラクターを掘り下げる重要なものばかりでした。思わずグッとくる話もあり、また関わりの無いキャラクター同士が意外な関係性にあることが明らかになるなど、非常に興味深く、魅力的なサブクエストでした。
ただ一方で、その掘り下げもとってつけた設定が急に出てきた感じもあります。メインストーリーで何らか示唆されていたかというとそんなことはなく、確かに各キャラの印象を深くするものの、突発的な話である印象はありました。
もちろん、サブクエストで新しい設定が出てくるのは、「サブクエストを行わなくてもメインクエストの物語だけで独立して楽しめる」ことの裏返しであることは間違いないのですが、さらに裏返して考えると、「メインクエストで示唆されない、各キャラクターの深掘りがサブクエストに眠っている」ということになります。
先ほど書いた通り、大人であるクライヴ達には、仲間割れよりはお互いを気遣うシーンのほうが多いです。だからこそ、キャラクター同士の関係も物語も、波風が立ちにくい。
そこに波風を立ててくれるのがサブクエストなのでした。
そのサブクエスト、特に終盤のサブクエストですが、キャラクターの理解を深めるためには確実にプレイすべきサブクエストでした。これがまた、若気の至りのようなサブクエストではなく、それぞれの登場人物が大人であるからこそ、精神的に成熟しているからこそのサブクエストであり、他人を気遣って少し遠慮していた…というより、踏み込むラインをしっかりと見定めていた、各キャラとクライブの関係が、縮まっていくような感覚でした。
この温度感がとても良かったです。
普段、お互いのことを考えているキャラクターが、少し胸の内を曝け出す。そして、お互いを強く理解する。大笑いや大泣きは無いけれども、信頼がより強くなる。そしてその先にあるのは、お互いの依存が強くなるのではなく、お互いがさらに自立して信じあう。
まさに、「大人」のサブクエストであり、「大人」のファイナルファンタジーでした。FF16で私は泣くことはなかったのですが、ここの描写があと10時間分くらいあれば、私はエンディングで号泣していたかもなあと思うばかりです。
「挫折させない」アクションバトル
FF16のアクションバトルについて感じるのは、「そもそも挫折させるつもりは無いのではないか」というところです。
コマンド選択式で、レベルの概念が大きく関わるRPGの良さは、レベルさえ上げれば誰でもクリアできるということ。これは、アクションが苦手な人でも、しっかり物語を楽しむことが出来るという意味になります。
一方で、アクションゲーム、つまり「プレイヤー自身の操作スキル」が必要になるゲームは、プレイヤー自身がゲームスキルを上達させない限り、先に進むことが出来ません。
FF16ではこの部分がかなり易しい、言い換えれば難易度が低いと思いました。
私自身、いわゆる高難易度ゲームは割と苦手で、エルデンリングをはじめフロム・ソフトウェアの高難易度アクションはクリアできたことがありません。アクションゲームに長けているわけではないのです。
ただ、そんな私でもFF16はかなり易しい難易度だと感じました。特段レベル上げはせず、ゲームクリアまでに本編でゲームオーバーになった回数は1回。
ゲーム本編開始時に、敵の攻撃を自動回避する装備が付与されており、デフォルトでアシストがついている状態。さすがに簡単すぎたので、その装備は外してプレイしましたが、それでも難しさは感じませんでした。
ストーリーフォーカスモードとアクションフォーカスモードという2つが用意されている中、私はいわゆる難易度の高いほうであるアクションフォーカスモードでのプレイを行いました。
一度ゲームオーバーになったのは、ゲーム後半でのボス戦。そのボスは倒すまでに何段階か経る必要があったのですが、その2段階目で負けました。
すると、リトライがその2段階目から。しかも、回復アイテムが補充された状態。至れり尽くせりでした。
FF16のバトルは、どちらかというと、「気持ちよくなるため」の戦闘なのかなと思います。
雑魚敵や中ボスとの戦闘における派手な演出や召喚獣技は、多数の敵を一気に殲滅したり、通常攻撃の何倍もの一撃を敵に与えることができ、気持ちよさは抜群。
特に召喚獣技は強力で、全体攻撃が出来るフェニックス技は雑魚敵退治に役立っていました。もはや戦闘がルーティン化していましたし、ボスの特殊な動きも何度か見ていればわかるものでした。
長けてはいないもののある程度アクションゲームをプレイした経験があったため、ゲームを最後まで詰むことなくクリアできました。物足りなさは、特に感じませんでした。
物足りなさというのは退屈さと似ていると思います。
そしてそれは、ゲームそのものの刺激の無さに繋がり、ゲームプレイを継続する欲求を薄めてしまうのではないでしょうか。
これは本当に個人的な感想なのですが…、そもそもこのゲーム、何度も書いているように物語を味わうことを第一優先としていると思います。
そのため、歯ごたえのある、刺激の強い戦闘、つまり「努力しないと先に進めない戦闘」は極力控えているのではないか、と考えました。それが、結果としてプレイヤーにとって物語の理解を阻害しない結果に繋がっているんじゃないか。そう思います。
これも背反ではないかと考えます。
比較的簡単でアシストも潤沢に用意されているアクションバトルだからこそ、スムーズに物語を体験できる。もしアクションが苦手でも、戦闘でゲームから脱落しないよう配慮され、その結果物語を最後までテンポよく楽しむことが出来るということに繋がります。
一方で、戦闘で挫折する、つまりは戦闘の攻略に頭と体を動かし、苦労の末に撃破するカタルシスは、あまりこのゲームでは感じられません。なぜならその難しさを提供すると、確実に一定数はゲームに挫折してしまうから。もしかしたら私もそこに入っていたかもしれません。
つまり、難しさから生まれるカタルシスを求めていると、やはりプレイヤーの需要とゲーム側の供給がマッチしないことになってしまうのかなと感じます。
もちろん、戦闘が簡単というのはメインストーリー上での話であり、その他のやりこみ要素ではかなり歯ごたえのあるアクションチャレンジもあるので、よりカタルシスを得たい場合はそちらでの挑戦が可能です。
とはいえ、高難易度ゲームとはやはり感じられる達成感の質が違うのは否めないと思います。
メインストーリーではないやりこみ要素で体験できるもの。それは、いわゆるコマンド選択式のRPGではおおよそがレベル上げで解決出来てしまうものです。
だからこそ、物凄く強いボスで、何度もゲームオーバーになるようなボスも、過去のFFやドラクエではストーリー上に配置されていたわけです。
時間はかかれど、レベルを上げて、何らかのパターン通りに正解の行動であるコマンドを選択すれば、倒すことができます。そしてそこから、達成感を得ることが出来るので。
ここがゲームの難しいところだと思うんです。
いくらアクションゲームでも、簡単にクリアできるボスばかりでは面白くありません。逆に、高難易度なだけでもプレイヤーには認められません。(フロム・ソフトウェアのゲームは、高難易度であるのはもちろん、それでもプレイヤーが満足できる緻密なデザインがなされているものであると思います)
本来は、プレイヤーの技量に合わせて徐々に難しくしていく…という難易度調整がされるのがスタンダードな中、FF16ではその徐々に難しくなっていく勾配が非常に緩やかであるように感じました。
それはつまり、プレイヤーにとっては簡単すぎてやや退屈よりであるという評価をする人がいても全くおかしくありません。ビジュアルの美しさはあれど、カバーできない退屈さというのはあります。
それでも、それでも、FF16は「プレイヤーを挫折させない」というところに振り切っていたように感じました。アクションが得意な人はもちろんスムーズにクリアできますし、アクションが苦手でも、こまめなリトライ、回復アイテムの補充、サポートアクセサリなどを用いて、とにかく背中を押してくれる仕組みが準備されています。
そこで生まれる、ゲームに慣れ、アクションが得意なプレイヤーにとっての「やや退屈な気持ち」、これはもう否定できません。全てのプレイヤーが満足する難易度はありません。
それでも、出来る限り多くのプレイヤーを挫折させないことを目的とする。挫折させないというのはつまり、クリアまで物語を体験させる。
そこに徹底的に重きを置いたコンセプトであると感じました。
数多のゲームを開発してきたスクウェア・エニックスが、このナンバリングFFで、一流のスタッフで製作したアクションですから、当然難易度には非常に気を使っていると思います。そしてこの手厚いサポートがあるアクション。
間違いなくそこには、ストーリーに自信があるからこそ、多少難しさを犠牲にしてでも(それによる批判があったとしても)全てのプレイヤーに最後まで遊んでもらいたいという、強い気持ちを感じました。
この辺りの考えは、おおよそ下記の記事と同じです。根本的な設計の目的の違いであると思いました。
アビリティの成長、装備・レベルについて
いわゆるアビリティや装備については、正直さほどゲームに影響を与えるものではなかったかなと思います。
召喚獣ごとの固有のアビリティを最大まで強化することで、他の召喚獣の技とを入れ替えて戦略を生むことができますが、私はその入れ替えを行わずにクリアすることが出来ました。
これも、「プレイヤーを必ずエンディングまで案内する、物語を全部見させる」という、このゲームのコンセプトを感じた部分です。
使用できるアビリティは各召喚獣ごとに特徴があり、ダメージが大きいとか、範囲攻撃とか色々あるのですが、これはアビリティを入れ替えしないとボスを倒せないというより、入れ替えをすると楽に倒せる、というような仕組みだと感じました。
私は中盤からはほぼ召喚獣を変えることもなく、また強化の必要性もあまり感じず、クリアする頃にはアビリティ強化のためのポイントであるアビリティポイントが10,000以上溜まっていました。
同時に、装備についてもそこまで重要性は感じていないところがあります。
割とテンポよく新しい武器・防具が購入できるため、短い時間でどんどん買い換えます。そもそも戦闘がアクションである分、敵の攻撃を「回避」すると、どんな防具でも意味を成しません。ダメージを受けないのですから。
武器についても、敵を倒すのが楽になるのはもちろんですが、とにかく新武器を手に入れられるペースが早いのと、一度戦ったボスとは二度と戦わないことから、どの程度強くなったのかを実感することはあまりありませんでした。
強くなった敵に、強くなった武器で戦うことで一定のダメージ、つまりは適正なダメージを与えられる。ストーリー上、「こんなの負けイベだろ…」と思うような、理不尽なバランスを感じることもなかったことから、結果としては強い武器の嬉しさなどはあまりなく、なんというかブランド品のような印象でした。
その強さはあまりわからないけど、聞いたことがあるとか、強そうな名前とか、そういう武器を手に入れられるという嬉しさのほうが実感として強かったように思えます。
レベル上げも行わず、武器防具も無意識に購入し、お金が不足することも無かったので、このあたりはほぼ作業。敵が倒せないから武器を新調するというよりは早く先に進みたい、早くボスを倒したいからこその武器新調でした。
総じて、FF16ではアビリティ・武器防具・レベルへと強いこだわりと印象は、私としては持つことはありませんでした。このあたりもやはり、「武器防具レベルアビリティを駆使しないと先に行けない、駆使できなければ挫折する」という状況が発生するのを防いでいたのかなと思います。
いわゆる「脳筋プレイ」のようなプレイをしていたと思いますが、これが急に「今まで使ってなかったアビリティをうまく使わないと先に進めないよ」というような仕掛けに行きあたると、なかなかの面倒くささを感じるものです。
そういった仕掛けを感じなかったのも、本当にエスカレーター、ジェットコースターのような物語の体験を促す……いや促すというよりは、阻害しないような作りとしているのかと思いました。
全体的に暗い画面と、キャラクターの服装から思う見た目の話
とにかく画面が暗かったというのは、クリアまで至っての感想でした。
設定で明るさを上げてプレイしましたが、それでも全体的な暗さは否めません。
これはダークファンタジーであること、ゲーム内に登場するベアラー(と呼ばれる人々)に対する差別が残酷なほどに横行している世界であることなど、物語の雰囲気を保ち続けることに一役買っており、常に世界観がぶれず、没入する一つの役割として機能しています。
一方で思うのは、ちょっと見にくいというところ。
暗さはいいのですが、色味のせいか私の安いモニターのせいか、明るいところでも薄く砂埃が舞っているようなビジュアル(というかそういう印象)は物理的に目を細めてしまうことも。
ここはなんとも難しい塩梅だと思いますが、ただ場面によっては青々とした空の下で冒険できた分、結果として暗い世界はなおさら見にくく感じました。
彷彿としたのは『テイルズ オブ アライズ』で、こちらは世界を旅した感覚があるものの、FF16は世界を旅したという感覚はあまりありませんでした。
それは、マップごとのビジュアルの差が大きかったと思います。
極端に言えば、特定の色(雪国なら真っ白など)で統一されたエリアがあり、また別のエリアは別の色(海なら青、火山なら赤など)で統一されたエリアがあると、別の場所や別の国に来たような印象が強いですが、FF16は全体的にあまり変わり映えの無い世界。各都市にある大きな街を観光できるタイプではなかったというところも大きいように思えます。
また、キャラクターのビジュアルもそうです。特に、PS以降のFFで感じるのは「色」。私が好きなFF8で例えると、スコールは黒い服。リノアは青い服。セルフィ―は黄色、アーヴァインはベージュ…など、各キャラに固有の服装、固有のカラーが割り当てられています。
これはキャラクター同士の印象を際立たせる役割があると思うのですが、FF16では割と似たような色味および形の服装が多いように感じました。全体的に黒・茶・赤が多く、いわゆる、突飛なビジュアルが無いのではないでしょうか。
これはダークな物語を形成するには良いかと思いますが、一方で印象は薄れます。ここがもう少しメリハリがあると、キャラクターの印象も強くなったのかなと感じます。
とはいえこの中世感あふれる世界観の中に、全身黄色や緑や紫のキャラクターが出てきても違和感です。クライヴやジルはまだ貴族的なポジションであったから良いように感じるギリギリのラインで目立っていますので、ここも背反する部分であるのかな、と感じます。
FF15なんかはノクティスたち4人とも真っ黒な服装でしたが、一方で4人旅がずっと続いて各キャラがワイワイ喋るうえに、攻撃方法や体格の差があるため、カラーが同じでも個性が生まれていました。
FF16の、戦闘での操作は主人公のみ、歴代のFFでも最年長の主人公、世界観に沿った服装、そして画面の暗さというところから生まれる物語への集中。
これに加えてビジュアル的なところでも世界観とキャラクターの服装が矛盾するのを防ぐために、やや個性が埋没するようなビジュアルを構築したのかと思います。
キャラクターの掘り下げという物語的な部分では無く、ぱっと見の印象の部分でも、派手ではない、物語と違和感の無い作りとした。
想像ですが、これらも全て物語の魅力を少しでも上げるための仕組みであり、キャラクターが従来に比べて目立たなくなることも厭わず実装されたとしたら、その徹底さに畏怖をも感じます。
もはやキャラクターを目立たせるというよりは、違和感(いわゆる昨今のFFの「日本のホスト的」な服装をしているという姿が、世界観とマッチしていないという感覚)を除外しようとしたのかと思います。
ビジュアル含め、実際にはグッと物語に引き込まれたわけですから、ここも考え抜かれた結果なのだろうと思います。
やや暗めな画面や地味目なキャラクターの服装という要素も、物語重視というベースを崩さないように作りこまれたもの。そう考えても違和感が無いのが、まさに落ち着いたFF、すなわち大人のFFであるように感じました。
細かな設定を重視しないことが物語の駆動スピードを生む
私の大好きなゲームのひとつに『サガ・フロンティア2』というゲームがあります。FF16と同じくスクウェア・エニックス(発売当時はスクウェア)から発売されたゲームで、人気RPGシリーズである『サガ』シリーズのひとつです。
FF16をプレイした際、サガ・フロンティア2を思い浮かべました。
能力のある弟と能力の無い兄の対比、政治的なやり取り、そしてその立場にいる人には全くわからない、世界の危機。世の中の表と裏、それぞれを生きる人たちが、それぞれの立場で困難を乗り越えていく物語は、今でも大好きな作品です。
こういう設定はとても好きですし、特に本作はいくつもの国が登場すること、そして主人公のクライブには関係ないところで争い合っているというのが、先ほど書いた通り群像劇の感覚を増し、物語への興味を非常に強くするところでした。
主人公のクライヴは、色々ありFF16の世界であまりいい評判ではありません。特に中盤以降、世間に仇なす存在となってしまいます。
世界から祝福され応援される主人公ではないというところがまた、旅の悲壮感を強め、主人公のクライヴおよびその周りの真剣さを強めていました。クライヴが笑う姿、あまり印象に残っていません。
この、クライヴがいわゆる「大罪人」と呼ばれ、ダークな主人公として世界を救う。その設定自体は魅力的です。
ただ、個人的にはどうも、その「大罪人」感がかなり薄かったように思えました。FF7のクラウドたちアバランチのほうがよほど「悪」という感覚が強かったです。
それもおそらく、物語が駆動していくことこそFF16の優先順位1位であるからじゃないかと思います。
大罪人であること。そこから発生する事象はもちろん、いわゆる警察的な、体制的な存在に追われること。
FF16の中ではその、逃げて苦しんでという体験が、ムービーシーン以外ではあまり感じることがありませんでした。
プレイヤーの操作するシーンは目的に向かって進むこと。
そこには主人公クライヴの敵となる、兵士などが現れるわけです。明確に、大罪人と国の兵士という敵対関係が発生します。
しかし、プレイヤーがここで行っているのは、物語をどんどん進めるという行為。発生したのは「先に進むからこそ邪魔される」という展開でした。
この展開において、敵に邪魔されて物語が停滞または後戻りするということはなく、物語が良くも悪くも何らかの方向に転がっていきました。
だからこそ、大罪人が隠れながら暮らしているという印象より(なんなら町の人も怯えたり称えたりすることなく普通に接してくる)、普通の旅人となんら変わりないような印象が強かったです。
大罪人という言葉がアクセサリーのようなものに聞こえたのは間違いなく、言葉の強さの割にあまり効力を発揮していないように思えました。
結果、確実に世界と歴史を陰から動かしているのですが、その「世界を動かすこと」に対する障害がかなり少ないように感じました。
これが、逆に言えばさほど苦労せずに世界を動かせているようにも感じ、少し没入感が削がれました。
ただし、ここでも生まれるのが物語のテンポの良さ。
大罪人が何か大きいことをしようとしたときに何度も何度も敵が邪魔をしてくれば、それは物語としてのスピードは遅くなりますが確実に「苦労している」感が生まれます。
一方で、大罪人が何かやろうとしたときにスムーズにいけば、果たして本当に大罪人としてマークされているのかは微妙な感覚に。しかし、その分物語が勢いよく進みます。これがテンポの良さです。
サガ・フロンティア2はたったひとつの目的のために、いくつものシナリオをクリアして、序盤から明示されていた目的に辿り着きます。
そこまでの時間は数十時間に及び、そしてその、当初から示されていた目的の終着点がラスボスのため、物語が一貫しています。
一方でFF16は中盤で複数の目的が提示され、さらにはラスボスがまた別個で存在しています。それぞれの目的やラスボスは完全に別々のものではなく物語として深く関わってはいるものの、オムニバス的な印象は否めません。
その代わり、サガ・フロンティア2で体験した、「1つの目的に対する物語」ではなく、単純にその数倍の目的に対する物語を、テンポよく体験できるのです。
複数の目的があり、複数の代表的な敵キャラがいて、それぞれが織り成す物語を体験する。少人数での複雑な人間関係ではなく、情報を滝のように浴びせられるとともに、それらは一瞬で過ぎ去っていくというスピード感。
それこそがFF16の魅力であり、そのためには大罪人という立場を初め、多くの(本来なら描写できる)要素を削ぎ落していたのではないでしょうか。
結果として完成したのがFF16のストーリー。世界がどう動いていくかについてフォーカスをあてたこだわりを感じられるものでした。
召喚獣バトルへと没入できるか否か
本作のメインコンテンツである召喚獣および召喚獣バトル。
まずは圧倒的な映像美。
序盤のシヴァ VS タイタンから、スクエニの技術力を感じますし、以降の召喚獣バトルは圧巻の一言。なんというか、あの迫力のゲームは体験したことが無かったですし、もう『ファイナルファンタジーだ!!!』と嬉しくなる瞬間でしたね。
なじみ深い召喚獣が非常に美麗に、しかも正面から戦えたり扱えたりするプレイ感は、FFでしか味わえないものでした。
一方で、これは自分側の問題かもしれませんが、とある召喚獣バトルはあまりに突き抜けすぎた感じがしました。つまり、演出の派手さとかっこよさが突き抜けすぎてちょっと笑えてしまう体験になったのです。
これこそ色々な年代の方の感想を聞きたい場面で、それこそ私はずーっとゲームをやってきた30代半ばだからこそ、こういう感想になってしまったのかもしれません。「あっ、俺はもしかしてもうFFのターゲット層から外れたのかも」と切なくなる瞬間でした。
笑うところじゃないのに笑えてしまったのは、つまり感性がFF16のターゲット層ではなくなってしまったのかと勘ぐってしまったのです。真剣なバトルでしたし、物語的にも笑うところではなかったわけですから、笑えてしまったのはなんだか場違いな場所に投げ込まれた気持ちになってしまいました。
とはいえ、その他の召喚獣バトルはもう最高。特に後半になればなるほど、物語を盛り上げる召喚獣バトルになるとともに、演出も派手で熱く、盛り上がるものとなっていました。バトルシステム自体が変わることもあり、また、最近はもはやゲーマーから忌避され気味なQTEも、ド派手な演出で押し切ったように思えます。
一方で、先ほどの突き抜けすぎている演出と同様、私は「明らかに戦闘の展開を言葉で説明する丁寧さ」で少し没入感が削がれました。
イフリートが召喚獣バトル中に発する「こいつを…ぶつける!」「これで打ち抜く!」というようなセリフ、少なくともゲーム内で完結するセリフではなく、プレイしているプレイヤーへの説明セリフであるように強く感じました。
もしそういう、プレイヤーの意識を次の展開に向かわせるのであれば、例えば「弱点はあそこか!」とか、イフリートの行動の説明というより、行動の動機となるセリフであると嬉しかったかなと思います。激しくスピーディーな召喚獣バトルだからこそ、やや説明口調な部分が気になってしまいました。
とはいえこれも、「物語を過不足なく伝える」という強いコンセプトを感じた部分です。
徹底的に具体的な説明を加えることで、プレイヤーの誤認を防ぐ。
それにより、キャラクターが伝えたいことをストレートに、100%伝える。
やはり、物語や映像に絶対の自信があったからこその演出であったと思います。たまたま私は少し過剰なくらいの説明であると感じましたが、それはFF慣れ、ゲーム慣れしているからであると思いますし、アクションの難易度からも感じる通り、間口を広げ、FFのストーリーテリングやアクションに慣れていない人をふるいにかけない気配りの結果だったのではないかと思います。
説明不足でも、説明過剰でも、どちらでも物語は伝わりにくくなるものであり、これは人それぞれ感じ方が違うので、万人に対する正解はありません。その中で、このFF16が過去作に比べて非常に丁寧に丁寧に状況を説明しているのは、シリーズプレイヤーの私からすると意外でしたが、それがこのFF16のコンセプトであったのだろうと思います。
(それこそ、FF13の「パルスのファルシのルシがコクーンでパージ」というネットミームが生まれるほどの難解さに比べれば、多少説明が過剰でもFF16のようなシンプルさが良いのは間違いないかなと思います)
(ネタバレ)伏線かと思ったものの伏線では無かった瞬間の多さと、伏線回収の薄さ
ゲームの中に、小さな薬売りの女の子が出てきますが、その伏線の回収がかなり薄かったです。また、ジョシュアが言及していた召喚獣のリヴァイアサンが出てこないのも驚きました。どう考えても出てくる伏線だったと思います。また、ジルの故郷、北部の国もどこかで出てくるものだと思っていました。
ディオンの従者の退場もあっさりしていたり、そもそもディオンの過去も、アナベラとの会話で興味深い内容が出てきましたが、そのまま。国で言えば、鉄王国も出番が一瞬でした。
この辺りはなんというか、もっともっと話を広げてほしかった感が結構強いです。後に繋がる伏線かと思ったのですが、結果的に何もなかった。
完全に素人目ですが、ここを生かせば物語をより濃いものに出来たのではないか…と考えてしまいます。
FFのストーリーは、いわゆる細部までなんらかの伏線があり、それが後々解放されたり点と点が繋がることにも大きな魅力があると、PS時代のFFがストライク世代の私の中では定義していたので、FF16のこの「伏線っぽいけどほとんど伏線ではなかった」というのは、もったいなさを感じました。
また、「ピンチのときに味方が助けに来てくれる」というシーンもありましたが、一部非常にあっさりとした演出に感じました。こここそスクエニの本気のムービーで描いてほしかったなあと思います。
私はFF16が影響を受けているゲーム・オブ・スローンズは見ていないこともあり、FF16から連想したのはロード・オブ・ザ・リング。どうしても、どこかで「王の帰還」でアラゴルンが亡霊たちを連れて助太刀に来るような、熱い盛り上がりを感じたかったのですが、そのようなシーンも割とあっさりだなあ、と感じました。
FF9ならジタンのもとに味方が集まってくる終盤のシーンのような演出こそ、スクエニの最強の映像技術で見たかった、という思いが浮かびます。
演出はさておき、リヴァイアサンなどは今後のDLCを期待しておけばいいのでしょうか。それはとても楽しみですが、もし本当にDLCで出た場合、(最初から本編に入れて欲しかったな)という気持ちも生まれてしまうと思うので、この辺りは複雑なところです。
(ネタバレ)音楽について
月並みな感想ですが、ゲームの場面場面を盛り上げるBGMは素晴らしいの一言。戦闘は熱いとともにどこか神聖さ、それこそクリスタルの厳かさを感じられるような音楽でもあり、大満足でした。
明らかに過去のFFを意識したであろう楽曲や、メインテーマが流れるタイミングの素晴らしさなど、曲が物語を盛り上げるシーンも抜群にうまい演出でした。
特徴として感じたのは、曲と曲の繋ぎについて、あえてなのか極端にしているところ。つまりは、昨今のゲームでよくある「いつの間にか他の曲に変わっていた」という展開があまりなかったように感じました。
このやり方がいいのか、そうでないほうがいいのか、という話ではなく、最近にしては珍しい曲の変え方だな、と強く印象に残っています。
また、ひとつだけ(それはどうなんだ…)と思ったのが、エンディング、スタッフロールのBGM。これだけの超大作だから仕方ないのですが、かなり長いスタッフロールであるなと感じました。
そしてそこで流れる音楽。サントラのシャッフル再生のようにいくつもの曲が流れるのですが、出来ればここは何かオリジナルのBGM1曲から2,3曲くらいだと嬉しかったなあと思います。静かな曲だけでなく激しい曲も流れていたので、あまり余韻とかそういうものではなく単純になんらかの順番で、ゲーム内に使用された曲をかけているのかなと思いました。正直少し気持ちが冷めてしまったところもありました。
確かにスタッフロールはめちゃくちゃ長かったですが、やはり私の好きなFF8と比較してしまうと、スタッフロールでももう少し魅せてくれると嬉しかったなと思います。
おわりに
なんだかんだ感想を書くと、結局は「もっとこうして欲しかった」という部分が多くなってしまっています。ただ、冒頭にも書きましたが、私はFF16に大満足しています。
それは、もはや自分の人格形成にまで影響を与えたと言っていいであろうファイナルファンタジーの、ファイナルファンタジー感をとにかく猛烈に浴びることが出来るとともに、体感できたからです。
それは何かと考えても明確な言葉に出来ないのですが、その感覚の一部は間違いなく「かっこよさ」であったと思います。それは顔が良いとかそういうことではなく、自分の理念に向かって突き進んだり、とにかく道徳の教科書のように他者を守ることを大切にする、「ファイナルファンタジーらしいかっこよさ」なのかなと考えています。
もはやそういったかっこよさは、FFの様式美と言えるかもしれません。
その感覚をここ数年、十数年で最も感じたのがこのFF16でした。
これらも含めた総評として、FF16はやはり物語(特に前半)の魅力で引っ張っていったゲームであったと思います。
アクティブタイムロアやその他の解説キャラクターの存在で、例えセリフを聞き逃しても後から復習できるシステムは、物語の展開を忘れてしまい話についていけなくなることを防止していました。
また、戦闘も比較的易しいことから、戦闘で挫折し物語を体験できなくなることを防いでいたように感じます。あらゆる要素が、「プレイヤーに物語を最後まで体験させる」という目的に集約されているようでした。
そしてその物語の展開に、見事にハマって落ちてしまったのが私です。
寝るのも惜しむくらい次の話が気になり、どんどん進めていく。
この世界が面白く、好きになるからこそ、後半、キャラクターをもっと知りたいという欲が強くなりました。それは終盤のサブクエでの補完が中心だったなあという感想ですが、やはり理想は本編で大々的に各キャラを取り上げて、様々な人間ドラマが欲しかったところです。
とはいえ、根本の物語が面白いのでどんどんゲームを進め、召喚獣バトルでは理解が追いつかないほどの迫力に圧倒され、これこそがスクエニであり、ファイナルファンタジーだと感じました。
映像で魅せ、物語で魅せる。それがもしかすると、私の中のファイナルファンタジーの「印象」を構成するものだったのかもしれません。戦闘システムがいいFF、ジョブチェンジが面白いFF、色々ありますが、それでも印象に残るのは物語であり、映像の迫力であり、他の追随を許さない「振り切った力強さ」のようなものでした。
他に合わせるのではなく、独自のスタイルを貫き続ける「ファイナルファンタジー」というシリーズ。その強さを体感できたことが、私はとても嬉しかったのです。
結局、自分が求めていた、「FFをプレイすることで得られる何か」が、しっかりと凝縮されていたのは間違いありません。
キャラクターの掘り下げを中心に、もっと欲しいところを挙げれば切りがないですが、それでもこの満足感と思い入れは何なのか。
それは物語が、逆に言えばキャラクターに頼らなくても強すぎる魅力を発揮していたのだと思います。
ここまで物語に重きを置いたFFを体験したのは初めてでした。
あまりに物語が中心な分、相対的に他の部分が少し物足りなく、感じていたかもしれません。そのくらい、本当に十数年ぶりに先が気になってソワソワする思いをしたFFでした。
こんなFFが遊べるのであれば、数年後にきっと発売されるであろうFF17が心の底から楽しみです。
吉田プロデューサーが、最近のスクエニのゲームはユーザーの期待に応えられていないとお話しされていたのですが、正直それは本当にその通りだと思っていて。
ヴァルキリープロファイルシリーズ新作『ヴァルキリーエリュシオン』や新作SLG『The DioField Chronicle』も正直、体験版で買うのをやめたり。『FORSPOKEN』も惜しいなあと思っていました。(『オクトパストラベラー2』や、新規IPの『パラノマサイト FILE23 本所七不思議』は楽しめました)
だからこそ、こういうAAAタイトルの中でも最大級の注目作、ナンバリングのFFで間違いなく「楽しめた」のは最高の体験でした。
FF16は個人的に大好きですが、歴史に残る名作…とまではいかないと思います。
しかし、FF史においては、ファイナルファンタジーがファイナルファンタジーたる所以を濃厚に抱えた、力強い作品であることは間違いなありません。
そこにがっつり心を掴まれた私にとって、忘れられない素晴らしい作品になりました。
これこそがFF。次のFFが心から楽しみ。そう思えて、本当に良かったです。
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