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書評 #8|下町ロケット ガウディ計画

「物事を上手くやるために必要なこと。第一に愛、第二に技術」

 サグラダ・ファミリアやグエル公園を生んだアントニ・ガウディは前述の言葉を残した。『下町ロケット ガウディ計画』に彼の名が冠されているが、この言葉はものづくりに通底する真髄とも言える。本作におけるガウディの紹介は限られているが、読後にその印象を強く持った。この後の文中では作品の核心や結末が示唆されているため、気になる読者は読むのを避けてもらいたい。

 池井戸潤の作品に見られる起承転結は健在だ。主人公である佃航平が率いる佃製作所は数々の難題に直面する。その難題を超越する答えは「仕事の意義」に結びつく。誰のために仕事をするのか。この仕事を通じて人々はどのように救われるのか。本質を見極めた思いは道を切り開く。

 反対に私利私欲にさいなまれた上辺の理念や装飾は芯を持たずに脆弱だ。現実社会ではそれらがまかり通ることも多々あるだろう。しかし、脆弱である事実は変わらず、本質を念頭に置くことの大切さを日々の仕事でも痛感する。本質という意味では、デバイスラグやドラッグラグが生じる日本社会の構造的な問題も興味深かった。

 一方で本質には絶対回答が存在しないことも事実だ。社会的な意義。事業におけるリスク。費用が回収できなければ、ビジネスとしては成立しない。その狭間でもがき、自分自身が信じる答えを出そうとする登場人物たちの生き様に共感を覚える。特に佃が残した右記の言葉は意志を支える価値観として感銘を受けた。

「今時誠実さとか、ひたむきさなんていったら古い人間って笑われるかもしれないけど、結局のところ、最後の拠り所はそこしかねえんだよ」

 思いをつなげる。アイデアをつなげる。これらの描写は本作でも難局を突破する鍵となるが、ガウディ計画の主翼を担う桜田章は心臓病で亡くした自身の娘に「結」の名を与えた。人と人とを結ぶ。その事実を著者はこの名に授けたかったと考えるのは大袈裟だろうか。

 池井戸潤の作品において頻繁に登場する「ねじ」の比喩。ねじは社会の歯車になり、困難を解決する発明の礎にもなり得る。それと同時にねじが機能しなければ、困難をもたらす可能性もある。ねじを「人」と置き換えても違和感はない。

 働くことの難しさを再認識させられるが、それ以上に素晴らしさに眼を向けることができる。数多くの描写に胸が熱くなった。「強く、誠実なねじ」でありたいと思う。


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