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食レポ|まるきんラーメン

 頭の隅にある記憶をあさった。僕は車の助手席に座っている。運転するのは母親だ。車窓の先には白地に赤文字の看板があった。「金」を囲む赤い円。「まるきんラーメン」だ。

 助手席から店先まで二十メートル。眼と鼻の先。しかし、先に広がる風景は別世界のように思えた。小学生の僕が過ごす世界との隔絶。気になる、遠い存在。それが僕にとっての「まるきんラーメン」だった。

 僕の食欲を満たした記憶は鮮明に残っている。しかし、初めて口にした時の記憶は穴が空いたかのごとく欠落していた。その穴を埋めるように、父親が笑みとともに残した言葉が響く。

「いっさいがっさいがたまらない」

「まるきん」の頂点に君臨する味わいを僕は求めていた。刺激と安心が共存する、乳白色の豚骨スープ。どんなに低く見積もっても、五年は口にしていない。食欲が顔をのぞかせると、身体の細胞が「まるきん」を求める信号を発する。その欲求に応える時がきた。

 白金のプラチナ通りには優雅な風が流れていた。紺色のワンピース。地面に落ちた銀杏。空気と溶け合うカップルたちの笑い声。現世との時の移ろいに微差を感じる。ぐずる長女を肩に乗せた。首都高速二号目黒線に沿って、僕は「まるきん」へと突き進む。

 恵比寿三丁目交差点。「まるきんラーメン 白金店」はその真横にある。白地に赤。その外観は不変だ。記憶の表面に浮かぶ具体的な事柄はない。ただし、記憶の粟立ちのようなものを感じた。奥のテーブル席へと座る。店員が子ども用の椅子を運んでくれた。トイストーリー。僕は迷うことなく、「いっさいがっさい」を注文した。

 週末の昼下がり。プラチナ通りの風が店内にも漂っていた。「いっさいがっさい」が静かに運ばれる。花が開いたような一杯だ。洗練された豚骨スープ。それはふんだんに添えられた海苔を染める。スープを埋め尽くす、万能ネギの風味とみずみずしい食感。僕はすでに満足感を覚えている。

 スープとともに生まれてきたかのような細麺。チャーシューも半熟玉子も素晴らしい。しかし、僕にとってはスープ、麺、そして、ネギが主役だ。小皿に守られた辛し高菜が白いスープに赤みを差す。その辛味は燃え盛る食欲に油を注いだ。

 替え玉、硬め。ボトルに入った「かえし」をスープに加える。スープの輪郭が際立つ。丼に向かう欲が削がれることはない。長女は隣で半ラーメンを完食する。僕がこの年齢で「まるきん」と出会っていたら、豚骨ラーメンとの向き合い方は変わったのだろうか。そんな妄想は霧散する。秋空の下、僕たちは店を出て恵比寿へと歩き始めた。


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