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書評 #56|ディエゴを探して

 マラドーナではなく、ディエゴを探す旅。マラドーナは僕にとって神話に近い。驚異的なプレーと同時に、数々の不祥事や奇行によって浮世離れした存在としての印象が色濃い。しかし、本書を読み終え、マラドーナとは異なる「ディエゴ」の存在を初めて知った。マラドーナのルーツであるディエゴ。そのルーツを忘れなかったマラドーナ。だからこそ、この世を去ってもマラドーナはマラドーナとして人々の記憶に生き続けるのだろう。

 本書に記された多くの詩的な表現に胸は高鳴る。ディエゴのプレーは「魔法」と形容され続けた。

「あの頃からみんな知っていたのです。ディエゴが出場している試合を観に行けば、おみやげにちょっとした魔法を持ち帰ることができると」

「毎試合、今日はどんなプレーを見せてくれるんだろうとワクワクしながら観に行って、期待を裏切られた記憶がない。チームが負けても、マラドーナがゴールを決めなくてもだ。彼の動きそのものが魔法だった」

アスリートとして、これ以上の賛辞はないのではないか。

 そんな常人離れしたプレーに加え、ディエゴは人間だった。成功を収めた後も、彼は少年たちの宿題に協力し、経営不振に陥った町工場を救い、病に苦しむ人に手を差し伸べた。ディエゴは自らの原点がそうであるように、常に弱者の側に立ち、その代弁者として往々にして苦しみをもたらす要因となる権力者たちに立ち向かい続けた。その戦う姿勢は本書でも紹介されたように、同じく母国の英雄であるチェ・ゲバラと重なる。

 彼が犯した罪は許されるべきものではないかもしれない。しかし、「神となった故に苦しんだ人間」が生きるために、葛藤や苦悩を乗り越えるために取らざるを得ない行動だったとも感じる。激しく揺れ動く「ジェットコースター」のような人生を安定させるために。『ディエゴを探して』は何を読者に授けてくれるのか。それはマラドーナが神ではなく、ディエゴという一人の人間であるという当然の、そして、当然だからこそ忘れてしまいがちな一つの事実である。

 衝動に突き動かされ、好きなものを追い求めて日本からアルゼンチンへと旅立った藤坂ガルシア千鶴の信念もまた素晴らしい。


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