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書評 #69|バルサ・コンプレックス “ドリームチーム”から”FCメッシ”までの栄光と凋落

 歴史を駆け抜けた気がする。FCバルセロナの栄枯盛衰。「大聖堂」と表現されるクラブはバルセロナで現在も完成に向けて歩みを進める、サグラダ・ファミリアと重なる。地元の象徴であることはそのままに、ヨハン・クライフの手によって異常なまでにクオリティを求めるクラブへと進化し、世界的な名声を得るに至った。奇跡のような高みへと到達した一方、その過程は再現性に乏しい奇跡であったことも否めない。

 サッカーを体系立てたクライフ。合理性の追求がその根底にある。当然ながら、体現することは容易ではない。しかし、難題に対する多くの問いがシンプルであるように、バルセロナも「スペースを巡る舞踏」「顔を上げてプレーする」といった明快な言葉にスタイルが象徴される。

 その血脈はクライフの薫陶を受けたペップ・グアルディオラによって完全無欠と呼んでも差し支えない極みへと到達する。さらに異次元の強さを人材供給の面から支えるマシアまで軌道に乗せ、まさに「鬼に金棒」の状態を作り上げる。終わりのない栄光。ユートピア。そんな言葉も頭をかすめる。しかし、すべての物事には始まりがあれば、終わりがあることも知らぬ者はいない事実だろう。

 クラブが大切にしてきた選手の人間性。バルセロナを人間と呼ぶことが正しいとは思えないが、その破綻こそが現在へとつながる混迷の源泉ではないだろうか。保守的な風土。芸術を尊ぶ気風。穏やかな気候。そのすべてに支えられて、バルセロナという世界が存在し、そのドグマとも言えるクラブが鼓動を打つ。一言で言えば「誇り」という言葉が頭に浮かぶ。その誇りが気づいたら消えていた。または消えるほどに商業的な側面においてクラブが肥大化してしまった。アントニ・ガウディと同様にクライフもリオネル・メッシも並の人間ではない。現在の凋落はそんな天才たちの手腕にあぐらをかいた結果であり、天才たちが次世代への導き手を据えられなかったこともまた事実であろう。

 惑星の創造と破壊をも連想させる、FCバルセロナが紡ぐ現在進行形の物語。それは温暖化の余波を受ける地球のよう。人間の手によって作られた秩序が秩序の崩壊をもたらした皮肉。成長のためには苦難が必要とクライフは説いた。神格化されたメッシでさえ、苦しみを味わった。美しきバルサ。唯一無二の姿をまた眼にしたい。


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