「死にたい」という感情についての考察
私は適応障害を長年患っており、特に希死念慮について考察を行っている。
理由としては、希死念慮は精神疾患の一症状と数えられてはいるものの、対処のしようがあまりないからである。
やっかいなのが治りかけた時に一番現れる、というところ。
今日は、死にたいという感情が現れる原因と対処について書こうと思う。
1.「死にたい」とは心の解放を望んでいる
死にたい気持ちとは、決して精神疾患だけのものではない。
ごく有り触れたもので、人は人生一度は死にたくなるものである。
発現因子として最も考えられるもの…それは、
解決法がない(と実感として感じられる)
ことである。
これは、実際に解決法があるかないかにかかわらず、現段階で「ない」と断定し感情がそこに向かう、というものである。
つまりは、突発的に発生するのである。
うつ等精神疾患の場合、この突発的に発生した希死念慮が根を張り、継続的思考に移行することによって悩まされる。
いつまでも死にたい気持ちが続くこと、それ自体は異常である。
だがしかし、継続的に続くことによってその人の中で普遍化する。
それが問題なのだ。
希死念慮が治らないのは、気がそれないことにある。
2.気がそれることを探す
希死念慮に悩まされるのは、先ほど気がそれないことだと書いた。
それならば、気がそれるようなことをすればいい。
それに執着し治そうとする限り希死念慮は現れ続けるだろう。
であれば、自分の思うままに生きることを提案したい。
死にたい原因が何であれ、気のそれるようなことをしよう。
原因は複雑化しているものが多いので、一つ一つ解体していくことが大事だ。
原因の一つとしてよくあるのが、仕事である。
辞めろとは言わないが、休職するなり何か手を打つべきである。
単純にメンタルクリニックに通うとか、薬を飲むといったことだけではこの症状は治まらない。
希死念慮のトリガーとなっているものを最初から取り除くのは難しい。
なので一度休んでゆっくりして、そのあと策を講ずるのが最良と私は考える。
3.「そんなこと言われても…」という方へ
本当に対処する一手がないんだよ、という方。
誰でもいいので相談してほしい
あなたが対処法を思いつかなくても、相談した人が提示してくれるかもしれない。
希死念慮に関して言えば、放置が一番良くない。
放置すればするほど、根を張り持続し希死念慮が長引く恐れが高い。
いのちの電話は意味がない、という人がいる。
本当にそうだろうか?
意味がないから電話はやめておこう、あなたはそう思うかもしれない。
そう思える、それだけであなたはまだ大丈夫。
意味がないと言えるあなたは、まだ生きている。
生きているからいのちの電話に文句を言えるのだから。
本当に電話して意味がないと感じたならば、身近な人にも勇気を出して「死にたい」を相談してほしい。
あなたが求めた答えとは違うかもしれないけど、きっと何か答えてくれる。
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