死は悪いことではない

夏休みが始まる今だからこそ書きたいこのテーマ。

ちょっと前まで死ぬのは当たり前の光景だった

ちょっと前というのは第二次世界大戦までの話だ。

つまり1945年まで。

戦没者数約310万人。

そこから今日に至るまでの間に、死というものはどんどん忌避されるものとなった。

一貫して日本は「戦争は良くない」というポリシーとともに、「死ぬことは良くない」というメッセージを脈々と受け継いできた。

その結果が今だ。

人身事故は迷惑がり、自殺は良くないという一点張り、その割にネットでは人間性の欠片もない誹謗中傷の嵐である。

自殺について

かくいうこの記事を書いている筆者も自殺を試みた一人である。

でも今現在はこのように生きて仕事までしている。

何故なのか?

答えは至極単純なものだ。

死ねなかったからだ。

死ねない、自分にその根性がないとわかった時点で私は自殺を諦めた。

人間は簡単には死なない

これが私が自殺に対する答えだ。

この世界では、自殺以外の死に方しか許されていないのである。

自殺に反対せらるべき唯一の適切な倫理的根拠を、私は私の主著の第一巻、第六九節のなかに述べておいた。
その根拠はこうである、―自殺はこの悲哀の世界からの真実の救済の代りに、単なる仮象的な救済を差出すことによって、最高の倫理的目標への到達に反抗することになるものであるということ。

ショーペンハウアー「自殺について」p78より

この世界はそもそも苦しみに満ち満ちた世界だ、とショーペンハウアーは論じます。

そして、自殺は責められる罪でなくとも、されるべきではないと言います。

だから、人は人身事故に優しくなれないのです。

皆、こういう世界(苦しみの世界)だと知っていてなおかつ、死なないように耐えて我慢しているのですから、批判的になってしまうのです。

安楽死について

私は、日本で安楽死制度が合法化することはまずないと考えています。

根拠として、日本にはまだ死刑制度があるからです。

人がどんな重罪人であれ、法的に殺してもいい、このような制度がある限り日本の死についての認識はかなり古いと思います。

この制度が廃止されない限り、安楽死まで考えることができないというのが私の考えです。

皆100年後には死んでいる

今回のテーマ「死は悪いことではない」という題材の本意は、

どうせいつか死ぬのだから今はやめとこう

ということです。

死にたいと思うことが悪いという認識があるからそれに囚われるんです。

だからnoteを読む学生さん(別に社会人でも主婦でもいい)には知っておいてもらいたい。

人間の致死率は100%

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